滋賀県大津地方裁判所(大津地裁)の山本善彦裁判長は「福島第一原発事故の原因究明が不十分なのに、この点に意を払わない関西電力、原子力規制委員会に不安を覚える。過酷な事故を生じても致命的な状態に陥らないように新しい規制基準を策定すべきだ」(2016・3・9)と述べ、住民29人が申し立てた福井県の関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転を差し止める仮処分を決定しました。井戸謙一弁護士はその原発運転差し止めを求めた滋賀県住民側の弁護団長を務めました。
志賀原発2号機運転差し止め
住民勝訴の判決
- 岡田
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井戸さんの原発とのかかわりは、2006年、石川県の北陸電力志賀(し か)原発2号機の差し止め訴訟で裁判長として住民側の訴えを認めたころからですね。
- 井戸
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名古屋高裁金沢支部に赴任したのが2002年4月で、すでに裁判が起こって3年半くらい経過していました。
原発訴訟は裁判所のなかでは、「住民が訴えてもダメだ」ということで決まっているような流れでしたし、まだ高速増殖炉「もんじゅ」の設置許可無効を求める訴訟の二審判決(2003年)もなかったので、住民が求める訴訟は全敗の時代でした。わたしも原発訴訟は、まあそういう結論になるんだろうなという漠然とした認識で金沢に赴任して記録を読み始めたわけです。
記録を読み進めていくなかで、いろいろ問題があるということにだんだん気がついてくるわけです。
原告住民側が提起している問題について北陸電力に安全性についてもっと主張してくれと何回か促しましたが、まともな主張をしてこない。ちょっと待てよ、これはこのまま従来通りの棄却判決にしていいのだろうかという思いがだんだん強くなっていきました。
そのなかでいろいろなタイミングがあるんですけど、大きくいうと、日本の地震学というのは1995年の阪神・淡路大震災の後、急速に発展したんです。
原発に関して、当時の耐震設計審査指針は1981年にできていますから、阪神・淡路大震災後の地震学の発展が全然踏まえられていませんでした。問題があることは、多くの人が認識していて、2001年には原子力安全委員会が耐震設計審査指針の改定のための委員会を作って、ずっと協議をしていました。石川県の志賀原発2号機の運転を差し止めた判決が2006年3月で、新指針ができたのがその年の9月ですから、旧指針の矛盾がもっとも拡大した時期だったんです。
阪神・淡路大震災の後、政府の調査委員会が全国の活断層の調査を始めたのですが、2005年春に、志賀原発2号機の近くにある長さ44㌔㍍の邑(おう)知(ち)潟(がた)断層帯について、全部同時に動く可能性があって、その場合の想定マグニチュードは7・6程度だという評価を出しました。
ところが北陸電力は個別にしか動かないという。個別に動く場合、原発に一番影響がある断層が動いても、マグニチュード6・5くらいだと主張したわけです。全然違う。原告側の指摘に対して、北陸電力側は調査委員会の見解が間違っているというわけです。現地で活断層調査をしているから、自分たちのほうが正しいという言い分です。裁判所には、どちらが正しいかは分からないけれども、原発の事業者としては、地震調査委員会の見解を前提としても大丈夫な安全対策をとるべきだと思いました。
2005年8月16日に宮城地震があり、その時に東北電力女川(おな がわ)原発で初めて基準地震動を超えたので、やはり基準地震動の策定方法に問題があることがはっきりしました。
いろいろなタイミングが重なり、稼働中の原発の運転を差し止める判決ができたと思います。
川内原発、なぜ止めないのか
- 岡田
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4月14日以降、熊本県益城(ましき)町を震源として震度7という大きな地震が連続してあり、いまだおさまっていない状況です。心配したのは再稼働したばかりの鹿児島県の川内(せん だい)原発と中央構造線沿いにある愛媛県の伊方(い かた)原発です。とくに川内原発に関してはなぜ止めないんだという声が強く出ています。
- 井戸
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九州電力は、日奈久(ひ な ぐ)断層のことは一応想定しています。日奈久断層というのは川内原発よりもだいぶ北東で切れているので、日奈久断層が動いても、川内原発の基準地震動は620ガルですが、それ以下の揺れしか来ないとしています。
実は活断層の位置や長さは正確にわかっていないという基本的な問題があります。福岡県の西部地震はいまでは警固(け ご)断層が揺れたということになっているんですけれど、当時、警固断層は陸地の断層であって、その先の海底に伸びているとは考えられていませんでした。西部地震は、その警固断層の先が震源だったので、いまでは海底まで伸びている長い断層だ、ということになっています。
中央構造線が活発化していることをより強く想定して、対処すべきだと思いますが、原子力規制委員会も九州電力も自分たちの想定には間違いがないという前提でしか動かないのです。それからもう一つの基本的問題は、九州地方は大きな揺れが来ないといわれていたことです。本州などは両方から圧迫されて逆断層型でずれるんですけど、九州は中央が逆に引っ張られて正断層型でずれるので、大きな揺れにならないといわれていて、川内原発の基準地震動もその前提で考えられていました。ところがマグニチュード6・5で震度7の揺れがきた。従来の認識を改めなければならない、もう一度立ち止まって考えてほしいというのが国民としての当然の思いですよね。
- 岡田
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今回の熊本地震で新幹線も脱線し動きませんでしたし、高速道路も破壊されてしまいました。鹿児島県薩摩川内市の岩切秀雄市長が2014年、九州電力川内原子力発電所で再稼働後に重大事故が発生した場合、住民避難のために九州新幹線を利用できるよう、JR九州に、協定締結を申し入れると発言したことを思い出しますが、避難経路についても、東日本大震災・福島第1原発事故の教訓を生かせていませんね。
- 井戸
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IAEA(国際原子力機関)の深層防護という考え方が国際基準ですので、それにのっとらなければいけないわけです。深層防護は1層から5層までそれぞれが独立して存在しなければいけないわけですが、わたしたちはその5層の避難計画がそもそも合理的ではないという問題提起をしています。仮にそれが合理的だとしても、今回の熊本地震で道路は寸断され、新幹線は動かない、少なくともそれが復旧するまでの間は避難なんてできない。つまり5層が機能していない。1層から5層までがきちんと機能して初めて原発を動かすことができるというのが、深層防護の考え方ですから、その考え方にのっとれば5層が一定期間機能していないのであれば、その期間原発は止めなければならないというのは、当然出てくる考え方です。
福島の子どもたちの被曝(ひばく)
- 岡田
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井戸さんは福島の子どもたちの被曝の問題にもかかわっておられますね。
- 井戸
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2011年5月ごろ、東京にいる学生時代の友人の弁護士が東京で集団疎開裁判の準備をはじめていて、子どもたちを集団避難させるべきだという仮処分をやりたいということで相談を受けていました。相談にのっているうちに関わるようになりました。
カルチャーショックを受けたのも関わることを決断した理由の一つです。事故後の対応がドタバタしていて国も東電も適切な対応ができなかったし、そもそもあんなことはだれも想定もしていなかった。ある意味やむを得ないというふうな思いがありました。ところが、蓋(ふた)を開けてみると安定ヨウ素剤がまったく配られていなかったし、とくに20ミリシーベルト問題です。わたしが出した金沢地裁の判決は志賀原発が事故を起こして1ミリシーベルトの被曝をする恐れがあれば、差し止めを求めることができるという論旨ですので、年20ミリシーベルトまでは学校を開いていいなんてとても信じられませんでした。
- 岡田
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その当時の原子力関係官僚の問題ではありませんか。
- 井戸
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これは単に日本の官僚に知識がないという問題ではなくて、非常に意図的なものを感じました。福島の子どもたちを被曝させる、そういう行動を意図的にとっていると感じました。被曝のことは判決を書くのに必要な程度にしか勉強はしていませんでしたが、ちゃんと取り組まなければいけない大変な問題だという意識があって、被曝の裁判にも関わり、一方で原発差し止めの裁判にも関わってきました。
- 岡田
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裁判官を退官されて滋賀県彦根市で弁護士活動をやりながら、いま原発再稼働反対運動の弁護団の中心におられますね。
- 井戸
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滋賀県で原発訴訟をやりたいといい出したのは吉原稔弁護士です。わたしに弁護団に入ってくれ、訪問するので話を聞いてくれといってきました。お約束した時点では、吉原先生一人で来られるのかと思っていたら吉原事務所の4人の弁護士を全員連れてきたんです。吉原さんの〝食らいついたら絶対離さないぞ〟という意思を感じました。滋賀県の弁護士は原発訴訟の経験がまったくありませんから、自分の知識が役にたつのであればお手伝いくらいしようかなという気持ちで、弁護団に加わらせてもらうことになりました。ところが吉原さんが倒れられて、わたしが弁護団長になったのです。
- 岡田
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最初から裁判の見通しはたっていたのですか。
- 井戸
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そもそも原発で仮処分というのはほとんど例がなかったのです。仮処分で求めたのは、福島第1原発事故の経験を踏まえて新しい安全基準ができて、それに合格するまでは原発の稼働を止めろという仮処分でした。だから、だれも反対できない。しかし、裁判所がずるずる決定を引き延ばして、新規制基準(2013年)ができて、高浜3、4号機の規制基準の適合判断が出る直前で第1回の決定が出たんです。当初は非常に面白い申立てでした。
樋口判決の意義
- 岡田
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今回の高浜原発運転差し止め決定との関係で、福井地裁・樋口英明裁判長の大飯原発3、4号機の再稼働差し止め判決(2014年5月21日)の影響も大きいと思いますので、その意義を教えていただけますか。
- 井戸
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樋口さんの判決は従来の判決から見ると非常に特徴があります。実は裁判官は、自分の判決を維持してもらいたいためにかなりの部分は高裁を意識して判決を書きます。ですから、論理的には精緻であってもわかりにくい。しかし、樋口判決は市民向けに書いているので読みやすいです。3・11後、どういう姿勢で原発事件に臨まなければいけないのかという自覚が散りばめられていて、樋口さんの強い意思を感じます。また、提訴から1年ちょっとで判決が出ています。
- 岡田
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判決が速かったですね。
- 井戸
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前例がないくらい速いと思います。裁判には必ず立証責任があって、原告と被告に立証責任を割り振ります。従来の裁判では、被告側は事実上、原発に設置許可が下りたことだけを立証すればよかったので、簡単でした。対する原告側は、それでも安全性に問題があることを立証できなければ勝てません。これは公平性に欠くとして、樋口裁判長は、福島第1原発事故後にふさわしい新しい枠組みを提示しました。樋口裁判長は、人格権侵害の危険があることの立証責任は原告にあるが、「万が一でも、その危険があれば差し止める」という判断をしたのです。「万が一の危険」を、住民側が証明すれば請求が認められることになったのです。
- 岡田
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ところが、次の福井地裁判決(林潤裁判長)はそれを覆してしまいました(2015年12月24日)。
- 井戸
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従来の裁判の枠組みは、伊方原発の判断(1992年10月29日、最高裁上告棄却)が元になっています。樋口裁判長は従来の最高裁伊方原発判決以降の判断の枠組みをとらずに新たな枠組みをとりました。樋口裁判長の判断は、過去の判例として残ります。
大津地裁・高浜原発判決の意義
- 岡田
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井戸さんが弁護団長をされた今回の大津地裁の仮処分決定と決定文の論理は、各地で起こっている原発裁判を闘ううえで重要な意義があるように思います。
- 井戸
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今回の大津地裁の判決は、伊方原発の判決の枠組みを維持しながらも、関西電力が立証すべきことを従来以上に盛り込みました。関西電力側が立証すべき内容は、規制基準に適合しているとして、許可を得たということだけではダメで、まず3・11原発事故の原因が何だったのか、そしてその原因を踏まえてどう規制基準が強化されて、それに関西電力はどう対応したのか、そこまで立証しなさいといったのです。
そのうえで、関西電力はその立証ができていないので、危険があることを事実上推認するという結論なので、判断の手法としては従来のオーソドックスな裁判例の考え方に基本的にのっとっているのです。被告が立証すべきことを、3・11後の裁判所にふさわしく、中身を膨らませたというところは違うところですが、それはそんなにドラスティックに変わっているわけじゃないから、今後続く原発裁判の判決でもかなり追従しやすい枠組みだと思います。
それと今回の大津地裁の判決の意味としては、避難計画がいまの枠組みではダメだといったことがあります。避難計画を規制の内容に入れなければいけない。避難計画を規制の内容に入れるのは国家の義務だと、そこまでいったわけです。
住民側としては、いまの避難計画の法的枠組みがIAEAの深層防護の考え方に違反しているということは主張していたんですよ。一方で、3・11後に法律が変わって、原子力基本法や原子力規制委員会設置法でも「確立された国際的な基準を踏まえて」施策を策定しなければならないことが書いてあって、それはそれで主張していたんですけど、避難計画と結びつけては書いていなかった。それを結びつけると、確立された国際基準である深層防護の考え方にいまの規制基準はのっとっていないわけだから違法であり、それを規制のなかに入れることは法律上の義務だという結論になる。法律には確立した国際基準を踏まえろと書いてあるので、明確に違法だということがいえます。それをそのまま大津の判決はいっているので、これは非常に影響が大きい。
この点をいままでの裁判例がどういっていたかといいますと、川内原発の鹿児島地裁判決は、合理的な避難計画ができていることが再稼働の要件だとはいっているんです。そのうえで薩摩川内市周辺の自治体が作った避難計画は一応合理的で実効性があるといっているんです。
- 岡田
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薩摩川内市長の先ほどの発言に象徴されているように、熊本地震で自治体の避難計画はどうなっているか心配になりました。
- 井戸
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川内原発についての鹿児島地裁決定は地元の人の感覚には当然反するだろうと思います。
それから福井地裁の高浜の仮処分をひっくり返した異議審の林潤裁判長の決定は、過酷事故を起こさない対策が十分だから、過酷事故が起こった後の避難計画の合理性は裁判所が審理する必要はない、といっています。これでは裁判所の考え方自体が深層防護の考え方に反するわけです。川内原発仮処分の即時抗告審の福岡高裁宮崎支部の西川知一郎裁判長の決定にいたっては、避難計画を規制内容に取り込むか、それとも別の法律で規定するかは立法政策の問題であるから避難計画が合理的であって実効性がある限り、規制の内容に取り込まれていなくても違法とはいえないといったんですよ。
- 岡田
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無理くりの解釈ですね。
- 井戸
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その後がさらにひどい。原告は避難計画に合理性、実効性がないことをいろいろと主張しています。そのことは否定していないんですね。問題はあるにしても、作られた避難計画に合理性・実効性がないとしても形だけがあればいいといったんです。その前段で実効性・合理性があれば違法じゃないといったのですから、その後に実効性があるという事実認定をしなければいけないのに、それはすっ飛ばして、結論のところでは形さえあればいいといったんです。これは明白な論理矛盾ですから高裁決定として本当に恥ずかしい。
ただ、どっちにしても再稼働を認めようとしたら、避難計画の問題で論理矛盾にぶつかりますから、避難計画を正面から規制のラインに取り込まないと違法だといった大津地裁の決定は非常に大きな力を持つと思います。
政府のエネルギー政策の姿勢を問う
- 岡田
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大津地裁の裁判長は山本善彦さんでしたが、画期的な決定内容だったことがよくわかりました。
ところで、高浜3、4号機の仮処分決定後に政府や規制委員会がいろいろなコメントを出しました。関西経済連合会の副会長(阪急電鉄会長)が、「地裁の一裁判官ごときが」という発言をして、国策としての原子力発電所を止めるとはなんぞやと批判する。判決がひっくりかえったら損害賠償請求もするということを関西電力社長が発言する。しかも2016年4月の下旬に関西電力グループ中長期経営計画を発表して、40年たった高浜1、2号機も大丈夫だというお墨付きを規制委員会からもらったので、全部再稼働したうえで東京に電力を売り込むんだと、そういうことまで書いています。
- 井戸
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一つは政府の姿勢です。官僚の世界でも原子力村が完全復活しているという話で、そういう政府の姿勢があるから電力会社は強気で自信を持ってそういう対応に出ているんだと思います。一私企業とはいえ、エネルギーという国民生活の根幹に関わるものを扱っている大会社なんですから、もう少し世界の流れとか、そもそも将来的にエネルギーの形はどうあるべきなのかとか、そういうビジョンを持って中長期の経営策を考えていく姿勢が必要なんだけど、何か目先の利益しかいっていません。経済人としてのレベルの低さを感じますよね。
- 岡田
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ところで弁護団として住民運動とどのように関わり合っておられるのでしょうか。
- 井戸
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滋賀の場合は会員500人ぐらいの「滋賀の訴訟を支える会」があります。それ以外にもいろいろな反原発の市民団体などと提携しながらやっています。毎年3月10日前後の琵琶湖集会には県内の反原発団体が集まります。今年は1500人くらい集まりました。
- 岡田
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滋賀県に原発はなくても琵琶湖は近畿の水がめですから、原発再稼働に周辺自治体として重みを持っている地域です。
国が認可した、あるいは原発立地県である福井県が認可した、あるいは立地市町村が認可したからOKだという従来の「慣習的な枠組み」に対して、周辺自治体が関わる制度がなかったことが問題ですね。
青森県大間原発訴訟
- 井戸
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わたしは北海道函館市の代理人もしています。
- 岡田
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青森県の大間(おおま)原発訴訟ですね。
- 井戸
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あの裁判で求めているのは、一つは電源開発株式会社(J?POWER)に対しての大間原発の建設凍結です。大間原発は「フルMOX」といって燃料のすべてをMOX燃料(プルトニウムとウランの混合燃料)とすることが予定されています。いまフランスやドイツで実施され、日本の原発でも予定されているプルサーマル発電では、MOX燃料の装荷率は約30%程度ですが、それでも安全性に問題点のあることが指摘されています。フルMOXは、世界的に見てもこの大間原発以外予定している原子炉はない危険性の高いものです。そのうえ、活断層もあるし火山もある。要するに危険だから建設するなということで、その点では、他の原発裁判と同じです。
国に対しては、大間原発の設置変更許可の差し止めを求めています。
函館市長の思いは、30㌔㍍圏内の自治体は避難計画を義務づけられながら、なぜ大間原発の再稼働に関わることができないのかということなんです。「函館市が同意しない限りは運転を差し止める」という趣旨の請求を立ててほしいというのが函館市長の思いですが、そういう法律の枠組みがないので、簡単なことではありません。
- 岡田
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「同意」は、あくまで紳士協定的なものですよね。
- 井戸
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原子力安全協定は原子力事業者と原発立地自治体との契約にすぎません。法的な枠組みとしては何もないのです。原子力事業者は、契約の相手が増えれば、そのうちの一自治体でも同意しなければ、原発の運転ができなくなるし、同意を得るために金をつぎ込まなければなりませんから、極力契約の相手を増やしたくありません。ですから、立地自治体以外の自治体とは、少なくとも同意権を与えるような原子力安全協定は結ぼうとしません。
3・11前は絶対核事故は起こさないといっていた。事故を起こさない限りは周辺自治体もそれから自治体住民も被害は受けないわけですよね。だけどこれからは、リスクがないとはだれもいえない。リスクは必ずあるわけですよ。
であれば、運転するということはそのリスクを立地自治体だけじゃなくて、周辺自治体やその住民にも受忍させようとしているわけです。ところがリスクを受忍させられる側の意見を反映する法的仕組みが何もできていないのは、憲法上どう考えてもおかしい。
リスクがあるのに説明すらしていない。もちろん同意権もない。リスクがあるから避難計画はたてろ。安定ヨウ素剤も備蓄せよといっているにもかかわらずです。
自分たちが関与する権限を全く与えられずに、その負担だけを負わせられるのは、単に法律でそういう枠組みがないから仕方がないという問題ではないのです。
使用済み核燃料問題を裁判の争点に
- 岡田
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もう一つ気になるのは廃炉です。
- 井戸
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廃炉の問題では、使用済み核燃料の問題が大きいです。九州電力玄海(げん かい)原発が立地する佐賀県玄海町の岸本英雄町長が今年4月26日、原発から出る「高レベル放射性廃棄物」の最終処分場受け入れに手を挙げてもいいみたいなことをいい始めました。
そんなものを外国に押し付けるのはまったく倫理に反するので、最終的にはどこかが引き受けざるを得ないんでしょうけど、引き受けるためにはこれ以上は作らないということが大前提だと思うのです。
原発の差し止め裁判をする時に、事故を起こす可能性があるかどうか、だけを争点にするのでは狭いと思うんです。事故が起こらなくても10万年も管理を続けなければいけない使用済み核燃料をこれ以上子孫に押し付けてはならないと思っている人はたくさんいます。しかし、いままでの原発裁判は、いまを生きる原告の人格権の侵害を理由にしていましたから、具体的には過酷事故が起こる危険性の有無が争点になり、使用済み核燃料の問題を争点に持ち込むことは難しかったのです。
わたしは、「人格権」概念の捉え直しが必要なのではないかと思っています。生命の本質は、自分のDNAを次の世代に引き継ぐことです。「生命・身体」を中核とする人格権が法制上最高の価値を認められているのは、それを大切に守らないと自分のDNAを次の世代に引き継げないからではないでしょうか。そう考えると、「人格権」の本質は、「次の世代にDNAを安全に引き継ぐ権利」であるということができるし、これを膨らませれば、「将来の世代に将来のDNAが健全に発達できる環境を引き継ぐ権利」ということも観念できると思うのです。将来の世代に将来のDNAが健全に発達できる環境を引き継ぐことは、いまの時代を生きるわたしたちの将来の世代に対する義務ですが、同時に、これを侵害しようとする者との関係では、侵害行為をやめさせる権利でもあると思うのです。このような人格権概念の捉えなおしが可能であれば、使用済み核燃料の問題も法廷で正面から争点にできることになります。
憲法を読み直してみると「現在および将来の国民に与えられる」(11条、97条)という文言が繰り返しあるでしょう。人格権の人類普遍の本質をみます。
- 岡田
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憲法の考え方は、人類史的な視点に立っており、人格権を否定する安倍流改憲は問題ですね。
本日は、ありがとうございました。
インタビュー・2016年5月6日:井戸謙一法律事務所
2016年6月30日脱稿/編集構成:編集部