コンパクトシティーの本来の考え方は都市の拡大拡散ストップと都市内部の充実ですが、現在の政策は部分的な都市計画手法に偏っているように思われます。
人口減少・高齢社会とコンパクトシティーの考え方
都市計画法は、都市の計画的な開発、基盤整備あるいは開発規制、自然環境や良好な生活環境、歴史文化遺産の保全などの役割があります。我が国で、現在の都市計画法が制定されたのは1968年、旧都市計画法が施行されたのは1919年です。この50年間、100年間は、都市計画の発展とともにあったといえるかもしれません。この100年間の成長拡大に都市計画は対応してきたのです。
日本全体の人口減少は2013年ごろ始まったと考えられていますが、地域的にはもっと前から始まっています(表1)。それは、過疎地域、旧産炭地域や多くの地方中小都市です。人口1万人未満の市町村は過去50年間のどの時期でも7割以上が人口減少してきました。2010~2015年では、50万人以上の大規模都市でも4割が人口減少になりました。21世紀は人口減少が、高齢化と少子化と並行して、大都市を含めてほぼすべての地域で進行します。21世紀は都市の「成熟期」さらには「衰退期」を迎えるのです。
こうした状況に、都市政策、都市計画は成長期とは違った理念や方法で、適切に対応をすることが求められています。その基本は、都市の郊外への拡大拡散をストップさせ、都市の内部を充実させることです。生活の利便性の確保や財政の効率化から考えても、低密度に拡散した市街地よりも、人口密度がある程度高く、公共交通が利用可能で生活関連施設が一定の場所に集約しているほうが、市民や住民にとってはより便利で安全・安心、さらに財政的にも効率的であるといえるでしょう。これに対応した都市像として、コンパクトシティーという考え方はわかりやすくインパクトがあり、説得力を持っているといえます。しかし、もうすこし突っ込んで考えてみると次のような疑問が出てきます。
- どのような状況になるとコンパクトシティーと呼べるのでしょうか。
- それを実現することは可能でしょうか。
- 居住地をすべてコンパクトにすることは望ましいのでしょうか。
- 地域の人々の支持は得られるでしょうか。
- 住民の間にあらたな格差をもたらすことはないでしょうか。
- 目標とする都市空間の実現までにはどれくらいの時間と費用がかかるのでしょうか。
- 期待される効果は果たして得られるでしょうか。
そもそもコンパクトシティーとは
1)自動車優先・効率性優先の20世紀の都市づくりへの反省
自動車交通が発達する前、そして、バスや路面電車などの公共交通が発達した時期でも人々の移動は徒歩を基本としました。都市の土地利用や施設立地などは、歩いて日常生活の用が足せるように、人口密度が高くいろいろな用途や都市機能が一定の範囲に集まっていました。都市の中心部や商店街は大勢の人で賑わっていました。こうした都市の姿は、ヨーロッパの中世都市であり、日本でも1960年頃までどこの地方都市でも当たり前の状態でした。これがコンパクトシティーの原型です。
都市人口が急速に増大し自動車交通が発達すると、郊外でさまざまな開発や施設立地が進み、既成市街地の人口が減少するようになりました。ドーナツ化やスプロール市街地といった現象で、それはさまざまな問題をもたらしました。そこで、郊外への無秩序な拡大拡散を規制・抑制して徒歩でも生活でき、街なかが賑わい、人々の生活の質を高め、公共交通も便利に利用できるようにしようという都市政策が立案されるようになりました。これがコンパクトシティー政策です。そのねらいと期待される効果を、表2にまとめました。
2)人間らしい都市のあり方
いま、わたしは人々が安全、快適に歩ける歩行環境とそれを支える街のあり方に関心を持って、調査を進めています。そのねらいは、コンパクトな都市の姿を歩行者の視点、市民生活の視点で具体化していると考えているからです。都市空間が持っていた人間的なスケールから次第に自動車交通がより利便になるように道路が整備され、駐車場が大規模に設置され、土地利用や施設配置も自動車時代以前から大きく変わりました。しかし、歩行者の視点に立って都市のあり方を見直すこと、街のなかをもっと人々が自由に歩ける環境にすることは、これからのまちづくりに、とても重要です。
アメリカのジャーナリストのジェイン・ジェイコブズが亡くなってから、10年ほどたちます。彼女は近代都市計画の原理で開発され、改造されてきた都市開発のあり方を批判しました。自分が住んでいたニューヨークの下町を通る高速道路計画の反対運動に積極的に関わり、投獄もされました。ジェイコブズは、都市の本質が多様性と人間スケールの空間で繰り広げられる密度の濃い生活にあることを指摘して、近代都市計画の原理はそれに反していると批判したのでした。
また、ジェイコブズは美しい都市、そこにしかない都市、住んで快適な都市、文化を享受できる都市、多様な価値観を受け入れてくれる都市、こうした都市は都市本来の価値を有するだけでなく、持続的な地域経済にも重要だとのべています。その考え方は、今日のコンパクトシティーを評価する考え方と同じです。当時は異端と思われていたジェイコブズの考え方は、いまではより人間的な考え方で都市を計画し改装することが望ましい理念として、多くの都市プランナーに支持されています。では実際に、政府の進めているいまのコンパクトシティー政策は、こうした考え方を実現してくれるのでしょうか。
3)空き家問題への対応
もうひとつ、わたしが関心を持って調査しているのが空き家問題です。人口減少、高齢化を背景として増大する空き家は、地域にさまざまな問題─環境、コミュニティー、景観、防災、防犯─をもたらしています。反対に、空き家や空き地を地域資源として利用活用できれば、こうした問題の発生を防ぐことができるだけではなく、空間的、機能的あるいは新たに人々を迎え入れることによる価値を加えることができます。空き家・既存建物のリノベーション(修復・修繕・用途変更)が、都市づくりや建築界でも大きな注目をあび、さまざまな活動がみられます(図1)。
学生など若い人たちも大きな関心を払うようになってきています。また、地方都市や農山村地域では、移住者を迎えるための資源として、空き家を活用しようとする動きも強まっています。住宅の空き家だけではなく、空きビルや空き店舗の活用も大きな課題です。都市の衰退の現象のなかから、新たな価値を生み出そうという取り組みと考えられます。
都市計画の問題として、空き家問題を考えるとき、空き家や空き地が増えてくる地域を「たたむ」という考え方があります。これによって、拡散分散した都市や地域をコンパクトにしようという考え方です。街なかや駅の周辺などに集約すれば、空き家や空き地だらけの地域で生活している人にとっては安心と利便をもたらし、行財政的には効率的だと考えられるからです。しかし、一方で、人口減少するなかで、特定地域に居住誘導して居住集約的な地域を形成しようとすれば、それ以外の地域の人口減少をいっそう促進してしまいます。また、財産として住宅や土地をとらえれば、価格差がより拡大することになります。なにより、災害の危険などがさしせまっている地域を除けば、そこで居住している人々にとっては、住生活を大きく変えるような政策に賛成することは、とてもできないということになるでしょう。
日本のコンパクトシティー政策の経緯
1)欧米での流れ
ヨーロッパのコンパクトシティー政策は、自動車交通への依存度を低下させることをねらいとして、1990年代後半に都市環境問題への対応を出発点として始まりました(図2)。この政策は専門家の間ではさまざまな議論を呼びました。先に述べたコンパクトシティー政策への疑問は、実は欧米での論争ですでにさまざまに議論され検証された事項を含んでいます。ただ、いろいろな議論はあるにしても、コンパクトシティーは望ましいと専門家の間では理解されています。
EU加盟各国では従来からの政策と合わせて、コンパクトシティー政策が具体化されています。『コンパクトシティ政策・国際比較報告書』(OECD、2012年)では、コンパクトシティーあるいはコンパクトな都市形態、都市開発を目指す政策が、ほとんどの国で取り入れられていることが紹介されています。「コンパクトシティ」という言葉を使うかは別にして、都市のスプロールを抑制して、一定の密度の居住地形成と複合機能用途が適切に配置された土地利用により、コンパクトな構造を持った都市を目指す政策、計画、プロジェクトを進めることは、世界共通の都市政策になっています。
2)日本での政策のはじまり
我が国のコンパクトシティー政策は、従来の成長型都市政策からの転換が模索され始めた1990年代後半から2000年代にかけて、政府関係の各種報告で取り上げられるようになりました。自治体では、豪雪都市・青森市、震災復興・神戸市がコンパクトシティーやコンパクトタウンを目標としました。政府がコンパクトシティーを将来都市像として位置づけた政策は、中心市街地活性化をねらいとしたいわゆるまちづくり三法の改正(2006年)からです(海道清信『コンパクトシティの計画とデザイン』2007年)。大規模集約施設の立地規制を柱とした郊外化抑制政策と中心市街地活性化のいろいろな施策を組み合わせたものです。このころから、国土交通省は、郊外拡散型開発事業からの撤退をかなり明確にしました。ただし、中心市街地活性化政策は、さまざまな取り組み、政策投資にもかかわらず、十分な成果を上げていないことは、総務省の行政評価(2016年)でも指摘されています。また、青森市のコンパクトシティー政策の柱の一つであった駅前複合商業施設「アウガ」を運営している第三セクターが債務超過になり、市長が引責辞任しました(2016年)。神戸市の「創造的復興」で整備された大規模再開発事業に対してもさまざまな批判があります。
3)日本での政策の展開
政府の施策は自治体でも受け入れられて、都市計画マスタープランや総合計画でもコンパクトシティーあるいは集約型都市構造の実現として、取り入れられていきました。現在、自治体レベルでコンパクトシティーを基本とした政策で有名なのは、富山市と北海道夕張市です。富山市の自己評価では、いろいろな面で大きな成果を上げているとされています。夕張市では公営住宅の集約化などの取り組みが進められていますが、住民の合意形成はとても大変といわれています。
政府の施策としては、その後、地球温暖化対策のなかでもコンパクトシティーが推奨され、2011年の東日本大震災の復興計画でも、コンパクトシティーの考え方を取り入れた計画が策定されています。2014年は政府によるコンパクトシティー政策がより総合的に展開された年といえます。コンパクト+ネットワークを一つの柱とする「国土のグランドデザイン」(2015年に国土形成計画として策定)、地域の足としての公共交通を持続可能にすることを目指す地域公共交通活性化再生法、立地適正化計画を柱とする都市再生特別措置法と都市計画法改正、管理不全な空き家である特定空き家の概念を取り入れた空家対策特別措置法、自治体の公共施設の集約・統合を促す公共施設等総合管理計画策定の自治体への要請(総務省)、こうした施策が2014年に集中的に始められました。
コンパクトシティー政策が都市や地域の将来をミスリードしないために
国土交通省自身が指摘しているように、「“総論賛成・各論反対”に陥りがちなコンパクトなまちづくりの推進に向けては、いかなる都市構造を目指すべきか、客観的かつ定量的な分析、評価のもと、市民をはじめとする地域の関係者でコンセンサスを形成することが重要。」(『都市構造の評価に関するハンドブック』2016年)ということです。都市計画関連の施策として進められている立地適正化計画の策定は、309団体で具体的な取り組みを行って、うち5市で策定済み、107市町で策定手続き中とされています(2017年2月10日現在、国土交通省HP)。
日本のコンパクトシティー政策は、中心市街地の活性化や都市機能・居住誘導地区の設定、公共交通の維持や施設整備が中心です。開発規制や情報公開、計画策定や開発審査段階での市民参加の仕組みが弱いというのが日本の都市計画システムの大きな弱点です。従って、コンパクトシティー政策といっても、整備的な手法、助成などのよる誘導的な手法が中心となっています。
本来、コンパクトシティーの理念からみれば、部分的といえる集約型都市構造や公共交通システムに都市計画的手法が限定されているように見えます。コンパクトシティーの基本的な理念を追求しようとすれば、整備的、施設的、土地利用的な側面以外に、都市運営や資源活用など多面的な手法を組み合わせることが必要と考えられます。都市空間のコンパクト化は、質が高く安全な市民生活、環境の保全と資源エネルギー循環、安定した経済活動、多様でオープンな地域社会、多様な市民の生き生きとした交流、地域の歴史文化の継承・創造、水準の高い都市経営など、さまざまな課題によって持続可能で魅力的な地域・都市を形成するための、一つの手段として位置づけることが必要です。また、地域の自然的・空間的な特性や文化的背景にも配慮した将来都市像をそれぞれの地域で生み出す必要があります。
それぞれの地域や都市の特性を生かして、すでに取り組んでいる実践例からまなび、市民・住民合意を基礎として、自らの地域の豊かな将来像を描くこと。それが、長期にわたるまちづくり、地域づくりをすすめるうえで大切だと考えます。