はじめに
神奈川県小田原市の生活保護担当職員が不適切な表記のあるジャンパーを作製・着用していたことが今年1月に発覚しました。問題を重くみた小田原市は、有識者による検討会を設置して、抜本的改善のための検証を行いました。その精力的な検証で明らかになったことは、問題の根が深いということでした。
東京都内の生活保護職場で長年働いてきた者として、この問題の本質と背景について考察します。
小田原市ジャンパー問題とは
このジャンパー問題が明らかになったのは、読売新聞からの指摘でした。市職員が「保護なめんな」などとプリントしたジャンパーを10年も前から自費で作製し、訪問時にも着用しているとの指摘でした。ジャンパーの背面には「生活保護悪撲滅チーム」を意味する「SHAT」(「生活」「保護」「悪撲滅」「チーム」の頭文字)の文字とともに、「わたしたちは正義だ。不正受給してわれわれを欺くのであれば、あえていう。そのような人はクズだ」という内容の英文がつづられていました。また、正面の左胸には「HOGO NAMENNA(保護なめんな)」と記されたエンブレムも付いていました。
その後、ジャンパーだけでなく、「SHAT」などをプリントしたポロシャツやTシャツ、携帯ストラップ、マグカップなども作製していたことが明らかになりました。
問題のジャンパーは、生活保護を廃止された住民が2007年に市役所内で職員2人をカッターナイフで切りつけた事件を機に、当時の保護担当係長の発案で作製したそうです。市当局の説明では、職場の一体感を高める狙いで作ったものであり、あくまで内部に向けたものであった。ただ、住民に対し不快感を与える文言であり、すべての関連グッズの使用を禁止した。小田原市の管理職もジャンパーなどの存在には気づいていたものの、ロゴなどについては確認していなかったと説明しています。
問題の本質はどこにあるのか
この社会問題ともなった事件の基本的な問題点として、次の3点を指摘します。
第一に、利用者(保護受給者)を蔑視する表現です。憲法第25条に定められた人権である生存権の根幹を成すものは生活保護制度です。福祉事務所の職員としては、憲法を尊重し、生活保護法のもと、寄り添う支援をすることが求められています。ところが、あたかもすべてが不正受給者であるかのような表現をとり、受給者への差別と敵意丸出しの姿勢では、利用者や申請者に高圧的と受け取られても仕方ありません。当然、自らの「正義」を振りかざす姿勢では、利用者が進んで相談したいとは思いにくく、萎縮効果を生んでしまいます。本来あるべき「寄り添う支援」など望めなくなります。
第二に、利用者の人権・プライバシーへの配慮の不足です。地方自治体と厚労省との間の疑義照会を問答にした「生活保護手帳別冊問答集」では、わざわざ項を起こして、生活保護の利用の「秘密保持」について留意を求めています。担当職員が保護世帯を訪問する際は、利用者のプライバシーに配慮して、服装や言動には細心の注意を払うのが当たり前になっています。たとえば自転車で訪問しても、すぐそばではなく、少し離れた所に停めて歩いて行くとか、名乗る際も役所の職員、ましてや福祉事務所の職員だとは分からないようにしています。ところが、小田原市ではロゴ入りのジャンパーを着用して日常的に訪問していたということです。これでは、利用者が生活保護世帯であることを公にしていることになり、守秘義務に反しています。
第三に、10年もの間、内部での見直しがされず受け継がれていたことです。本来なら、後任の管理職なり係長・職員が、問題に気づき軌道修正すべきでした。それなのに、だれも異論や疑問を唱えることがありませんでした。市のホームページや「保護のしおり」の内容も、生活保護について誤解を招くものであり、それがずっと続いていたことにも業務に対する認識の低さ、意識の低さを感じます(なお、すでにホームページは修正されています)。
検証委員会で明らかになったこと
小田原市は問題発覚後、全職員アンケートを実施し、人権研修を行うとともに、「生活保護行政のあり方検討会」を設置し、今年3月末までの4回の公開検討会で検証を行いました。特筆すべきことは、検討会委員に生活保護利用者の権利擁護に取り組んできた森川清弁護士(東京)と、元生活保護利用当事者である和久井みちる氏を選任したことです。また、検討会の資料や議事録もホームページに掲載されています。小田原市が積極的に問題の改善に取り組もうとする姿勢の表れだと思います。
ただ、検討会で明らかになったのは、小田原市の生活保護法についての誤った理解や、違法ともいえる法運用の数々でした。申請から決定まで原則の14日以内を守れず30日以内の決定が多いこと、市のホームページの記載や「保護のしおり」の記述に誤りや誤解を招く表現が多く、かつ分かりにくいこと、市民全体の母子世帯の割合が高いにもかかわらず利用者のなかに占める母子世帯の割合が低いこと(稼働能力のある世帯をはじいている可能性がある)、辞退廃止が多いこと、親族の引き取りによる廃止が多いこと(圧力をかけて扶養義務の履行を求めている可能性がある)、ホームレスは「居住先が確保できる見通しがついてから保護申請」などの違法な運用があること。また職員配置では女性が2人しかおらず、圧倒的に若手男性で構成されていること(住民を威圧するため?)などの指摘が委員からなされました。
なお市当局は、生活保護担当職員の平均在籍年は4年以上であり、経験も蓄積されていること、研修についても県や外部の研修にも積極的に参加しているとの説明を検討会でしていました。にもかかわらず、違法な運用や問題が起き、ジャンパーが10年間も継続して使用されてきたのです。ここに、問題の根の深さがあります。
不正受給の実態はどういうものか
小田原市の職員が問題視した不正受給の実態はどうでしょうか。確かに不正受給は許されるものではありませんし、極めて悪質な場合には刑事罰も必要でしょう。
厚生労働省は今年1月に2015年度の生活保護費の不正受給が4万3983件と、過去最多を更新したと公表しています。ただし金額ベースで見ると支給総額の0・5%程度となっており、不正額自体は2012年度から減少を続けています。不正受給とされる件数が増えたのは、課税データとの突き合せが着実に行われるようになったためだと思われます。そして、細かなミスが早期に発見されるようになったことで、不正額そのものは減少しているようです。
実は、世間が想像するような悪質な不正受給は、それほど多くありません。なかには利用者の単純ミスもあり、また職員の説明不足が背景にある場合があります。たとえば、毎月の給与を申告しているのに、うっかりひと月だけ申告を忘れた、年1回の企業年金の受け取りを保護開始の際に申告しているから、毎年役所が収入認定しているのだろうと勘違いした、などというものも含まれます。また、高校生の子どものアルバイト代を申告しなかったというのも「不正受給」の代表例です。高校生に制度や収入申告の必要性を説明しようとしても、親子の仲がよい家庭ばかりではありませんし、保護の利用を子どもに隠している世帯もあります。そのため、子どもにきちんと制度の説明が伝わらないことが多く、未申告が起きてしまうのです(※ この点に関し、高校生の未申告のアルバイト収入を不正受給として福祉事務所が返還を命じた事件で、裁判所が「アルバイト収入の申告義務をケースワーカーが説明していなかった」として、処分取り消しを命じた確定判決があります。横浜地裁判決=2015年3月11日)。
生活保護「バッシング」の根の深さ
報道を受けて小田原市には電話やメールが殺到しました。寄せられた意見のうち過半数は批判的な内容でしたが、他方で、「不正を許さない気持ちは大事」など、職員らに賛同する意見も4割以上も寄せられました。このように、「応援」の声が寄せられたということに、日本における生活保護バッシングの根の深さを感じています。
生活保護は憲法上の権利であるはずなのに、恩恵や慈悲のように感じている住民は少なくありません。生活保護職場で働いてきて、しばしば耳にしたのが「保護だけは利用したくない」「保護を利用していることは絶対に知られたくない」という住民や利用者の思いです。
ことさら不正を強調して生活保護を圧迫すれば、保護が必要な状態の人が制度からこぼれ落ちることになります。もともと、日本の生活保護は捕捉率(本来、生活保護を利用できる人のうち、利用している割合)が低く、2~3割程度といわれています。行政側が窓口で申請を受け付けない「水際作戦」が未だに横行しており、そのためもあって捕捉率が低いことこそ、改善が求められています。福祉においての正義とは、不正受給を許さないことではなく、必要とする一人でも多くの人に生活保護を届けることにあるはずです。
改善のために何が必要か
それでは、改善するために何が必要でしょうか。
この問題は小田原市で起きましたが、全国どこの自治体で起きても不思議ではないと思っています。なぜなら、生活保護の実施体制が非常に脆弱だからです。これを改める必要があります。
第一に、職員の質の担保ができていないことです。そもそも、社会福祉法では「福祉事務所には『社会福祉主事』を置く」としています(法18条)。そして、「社会福祉主事」とは「年齢20歳以上、人格が高潔で、思慮が円熟し、社会福祉の増進に熱意があり、下記各号にいずれかに該当するもの」と定めています(法19条)
- ① 大学・専門学校等で、社会福祉に関する科目を修め卒業した者
- ② 知事の指定する養成機関・講演会の課程を修了した者
- ③ 社会福祉士
- ④ 社会福祉事業従事者試験に合格した者
- ⑤ 上記と同等以上の能力を有すると認められる者として省令で定める者
第二に、研修体制の不備です。生活保護の業務は、医療・介護・障害・年金など他の法律や制度に精通していることが求められています。また、面接技法や福祉的視点について身に着けていることも必要です。ところが、研修体制が十分ではなく、先輩が実地で指導することが中心となっています。福祉のことが分かっていない人が、後輩を指導するため、誤った認識が受け継がれているのです。
第三に、異動年限が短いことです。自治体によっては、新採用者を保護職場に配置し、1年で異動させるところもあります。全国的な平均でも3年程度で異動していきます。専門性があり、経験が求められる業務でありながら、このような短期間で異動していくと、経験が蓄積されず、制度について正しい理解ができないままの体制が続くことになってしまいかねません。
第四に、自治体職員の総定数抑制という国の方針もあって、生活保護の職員数が都市部を中心に足りていないことです。都市部では標準数は一人80世帯とされていますが、それを守っていない自治体が多く、一人で百数十世帯を担当することすらあります。これでは、日常業務に追われて、利用者の相談を十分に聴き取ることもできません。慢性的な人員不足と過重労働、改善されない労働環境など厳しい状況のなか、メンタルヘルス不全を起こす職員が多いのです。
このような脆弱な実施体制を強化すること抜きに、正しい生活保護制度の実施と運用を期待することは困難です。
最後に
十分な研修を受けずに配置されるために、利用者を「財政を浪費する不届き者」だとして、彼らに保護を利用させないようにすることを「正義」だと考えてしまう保護担当職員もいます。小田原市はジャンパーというはっきりした形があるため問題が発覚しましたが、目に見えないジャンパーをまとっている職員は全国各地にいるのではないでしょうか。
生存権を本当の権利にするためには、福祉事務所の実施体制の強化が必要です。いまこそ、すべての自治体に抜本的な改善を求めていく時ではないでしょうか。小田原市が抜本的な改善に踏み出したことを注視していきたいと思います。