015年1月から3年以上にわたり不通のJR日高線。「選択と集中」「応分負担が不可能なら廃止を」とバス転換を迫られるなか、その必要性を地方の視点からボトムアップで考えます。
JR日高本線一方向の廃止議論のみ
JR日高本線は、北海道南部の苫小牧(苫小牧市)と様似(様似町)を結ぶ146・5㌔㍍の長大路線です。2015年1月に大狩部(新冠町)の一部箇所が高波で被災して以来、鵡川(むかわ町)─様似間116㌔㍍が3年にわたり運休、代行バス運行が続いています(苫小牧─鵡川間30・5㌔㍍は従来通り列車運行中)。
JR北海道は、莫大な維持管理費用と乗客減を理由に復旧を保留、復旧存続の条件として沿線自治体に13億4000万円もの赤字負担を要求し、自治体がそれを拒否すると、廃止・バス転換を提案してきました。北海道も2018年2月に発表した指針のなかでJRと同様の見解を示し、事実上議論は廃止の一方向にしか進まないようになっており、存続を望む沿線7自治体(平取町、日高町、新冠町、新ひだか町、浦河町、様似町、えりも町)との協議はストップしている状態です。
この間、JR北海道は、2016年11月に道内鉄路の半分近くに当たる10路線13区間を「JR単独では維持困難」と発表、日高線だけでなく他にも多くの路線が協議の対象となっています。
なぜこのようなことになっているのでしょうか。これは本当に「地方の問題」なのでしょうか。この問題の本質は、31年前の国鉄分割民営化に端を発する国の政策の失敗によるものではないのでしょうか。つまり、経営安定基金の運用益で赤字経営を補うという分割民営化時のスキームが、バブル崩壊後の金利低下により破たん、運用益の不足額は累計4600億円にものぼり、経営を圧迫しました。このことが、今日のJR北海道の経営危機の主原因ではないのでしょうか。国の政策の失敗のために、なぜ地方の路線が廃止されなければならないのでしょうか。
わたしたちJR日高線を守る会は、こうした「廃線ありき」の議論に危機感を抱き、地域の足と子どもたちの未来を守るために、2015年の秋ごろから活動を始めました。この間、学習会や講演会、駅舎の清掃、写真・作品展、署名活動、通信の発行などさまざまな活動を行ってきました。
「護岸」の問題を第一に
まず、日高線の問題としてわたしたちが第一に訴えたいのは、「護岸」の問題です。日高線では、海岸沿いの線路が複数箇所被災したまま放置されており、その結果、漁業被害(タコ漁・コンブ漁)や国道の浸食、事業所が危険にさらされるなどさまざまな被害が発生しています。
とくに、新ひだか町静内駒場では、防波堤に大きな亀裂が入るなどして非常に危険な状態にあり(写真)、そのすぐ脇に事業所がある静内地方自動車整備協同組合の理事長は、「あと一度強烈な高波が来たら、護岸もバラバラに壊れてまた大きな被害を受けるかもしれず、大変恐ろしい」と述べています。
たしかに、現行制度上これらはJR北海道の管轄です(海岸法施行規則第一条の三)。しかし、JR北海道が「お金がないから直せない」として護岸の管理責任を放棄する場合、だれも責任を負うことなく、わたしたち住民はその被害と危険を甘受しなければならないのでしょうか。そもそも海岸保全の責任は、一企業ではなく国や都道府県が負うものです。1986年の第107国会・参議院日本国有鉄道改革に関する特別委員会では、「水害・雪害等による災害復旧に必要な資金の確保について特別の配慮を行うこと」という附帯決議もなされています。この附帯決議の存在も踏まえ、現行の制度で直せないのならば、その制度を見直し、もって住民の生活を守ることは、政治の役割なのではないでしょうか。住民の生活と安全に政治的責任を持つ人々には、優先順位を間違えることなく、まずこの足元の問題から取り組んでほしいと思います。
長大路線のバス転換は可能か
次に、バス転換についてですが、北海道とJRは、いち早く廃線・バス転換に同意した石勝線夕張支線(夕張─新夕張間、16・1㌔㍍)の事例を「夕張方式」として路線見直しのモデルにしようとしています。しかし、果たして16・1㌔㍍という短い距離の地域内交通である夕張支線の例を、約150㌔㍍の幹線交通である日高線にあてはめることは適切でしょうか。
天北線(音威子府─南稚内間、148・9㌔㍍)や池北線(池田─北見間、140・0㌔㍍)などのその後を見れば明らかなように、長大路線のバス転換は、①時間がかかりすぎる、②揺れる・酔うなどの理由で乗客が減り、結果的に地域公共交通の衰退につながる例が少なくありません。日高線も、列車では全行程3時間のところ、現行の代行バスでは約4時間半もかかるようになり、乗客も減っています。
「日高線は乗降箇所が少なく不便」「バスは小回りが利いて便利」という声がありますが、仮に150㌔㍍もの幹線で「小回り」を利かせた場合、ただでさえ1時間半も所要時間が長くなっているところ、一体いつ目的地に着くのでしょうか。幹線交通は、「面」の輸送ではなく、「線」の輸送であり、速達性と定時性が求められます。この問題は、「面」の輸送である地域内交通=二次交通を充実させて幹線へのアクセスを改善することで解決されるべき問題ではないでしょうか。
AI(人工知能)運行バスなどの新技術を応用すればよいとする人もいますが、この技術は地域内交通での「面」の輸送で威力を発揮するものであり、速達性に貢献するものではありません。日高線の場合は、とくに上りにおいては鵡川発苫小牧行きの列車に定時に接続する必要があるため、速達性と定時性が重要であり、オンデマンド運行の余裕はあまりないのではないでしょうか。
他にも、バス転換には、運賃の上昇やトイレの問題、車椅子の人の移動困難などの問題もあります。列車は、車椅子ごと乗り入れができ、かつ揺れが少ないため、長距離移動でも疲れが少なくて済みます。乗り降りの際の介助も、最も簡単です。
日高の鉄路を再び
鉄道は、交通弱者も安心して利用できるユニバーサルな公共交通機関です。道内いずれの自治体も人口減少は免れませんが、鉄道が存続する地域よりも廃止された地域のほうが、人口も地価も減少率が高いという国土交通省のデータもあります。「鉄道がなくなって栄えた町はない」とも聞きます。
また、日高のがん患者は苫小牧の病院にかかることが想定されているなど、日高の医療圏は最寄りの中核都市である苫小牧市行きを前提として成立しています。今後は高齢化で運転免許を返納する人も増える見込みです。代行バスで、高校生の通学時間も増えており、部活動や勉強にも影響が出ています。こうしたなかで、地域の住民が、安心して通院・通学できる公共交通として、日高線の復旧・運行再開を求めることは、「地域エゴ」なのでしょうか。国民の交通権(憲法13条・22条・25条などより)を保障することは、国の責務ではないでしょうか。
この問題は、徹頭徹尾、国の不作為の問題です。すでに同様の問題は全国に波及しており、便利なところはより便利に、不便なところはより不便になり、地方の暮らしは破壊される一方です。函館まで開通した北海道新幹線も含め、北海道の鉄路は全線が赤字です。鉄路についても道路・空港・港湾と同様に、少なくとも上下分離した「下」の部分については、公共財として国費を投入する必要があるのではないでしょうか。
日高線は、地域の大切な足であり、胆振日高の紐帯となる歴史的・文化的財産です。また、インバウンドも含めた個人観光客にとっても信頼性の高い公共交通機関です。日高線は、太平洋を一望できるオーシャンビューや牧場とサラブレッドなど、風光明媚な路線として全国的に人気も高く、それ自体が観光資源でもあります。日高のこれからの観光振興のためにも、全道・全国の鉄道網に繋がる日高線を残してほしい。日高に鉄路の響きが再び戻ることを願っています。