【対談】ライオンの檻を意識してみませんか

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ライオンと檻

朝岡:『檻の中のライオン~憲法がわかる46のおはなし』(かもがわ出版、2016年)を出して、憲法改正を論ずる前に憲法の本質、体系を学んでもらおうと全国を駆け回っている楾大樹弁護士においでいただきました。

さっそくですが、『檻の中のライオン』を書かれたきっかけを教えてください。

楾:憲法96条の改正が2013年の夏の参院選の争点になったときが最初です。憲法改正の発議に必要な国会議員の「3分の2」という要件を「過半数」にしようという提案でした。これは要するに国家権力であるライオンが憲法という檻を柔らかくしようといいだしたということです。そういう重大な問題が起きている、96条改正論が争点になっていること自体をみんな知りません。選挙結果をみても、あまりピンときていない人がほとんどではないかと危機感を持っていたところに、その年の暮れに特定秘密保護法が成立しました。これは法律家としていよいよ何かせねばならないと思って、憲法の啓蒙活動をちょっとずつやり始めました。

最初はフェイスブックで発信し始めました。そうしているうちに檻とライオンのアイデアが浮かんだので、これをもとに講演をしたところ、よく分かったという反応がありました。何回か講演しているうちに本にする話が出てきました。ただ、講演で話した内容を文字にすればいいかと思ったらそうではなくて、本当に苦労しました。

朝岡:「ライオン=国家権力」「檻=憲法」にたとえて憲法の原則と憲法をめぐる問題を解説されたのは非常に独創的で分かりやすく、一気に読みました。

楾:アイデアはわたしが初めてではありません。ただ、憲法全体を最初から最後までライオンと檻一本で説明する本を書いたのは、わたしが初めてではないかと思います。

朝岡:憲法や法律の話なので、厳密にものをいおうとすることと、たとえ話で通すことが難しくありませんでしたか。

楾:たとえ話ですが、法律家が共有している憲法の基礎的理解をひととおり説明したつもりです。たとえを思いついてしまえば、全体の構成を作るのは難しくはありません。ただ、細かいところを詰めていく作業は大変で、大量の文献に目を通しました。

サファリパーク型では、国民が檻のなか

朝岡:本の構成は「基本編~憲法の全体像」と「応用編~立憲と非立憲」の2部構成で、「基本編」は「憲法がわかる46のおはなし」になっています。

ユニークなのは、条文紹介と解説の最初が11条で、その次は13条になっているところです。前文から入ってはいません。憲法の分かりやすい解説として、現行憲法が施行された直後の1947年8月に文部省が発行した『あたらしい憲法のはなし』がありますが、あれとはずいぶん印象が違います。

楾:憲法は、「個人の尊重」「人権尊重」という目的に向かって組み立てられた立体的な構築物のようなものです。憲法問題と政治問題は次元の異なる問題です。政治信条の違いを超えて憲法の仕組みを多くの人に知っていただくため、法律家の多くが共有している事柄だけを整理し、わたしの主観的意見は一切書かないようにしました。「なぜ、憲法があるの」という根っこのところから分かってほしいので、11条の自然権、天賦人権説、13条の個人の尊重から始めました。

・「第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」

・「第13条(前段)すべて国民は、個人として尊重される。」

朝岡:近代社会は、マグナカルタから始まってフランス人権宣言などいろいろなものが出てくるなかで、権利の主体がどんどん広がっていきました。11条と13条の人権は、国家から与えられるものではなくて、人間の生まれながらの権利を確認するという意味の条文になっています。

楾:11条と13条は、憲法がなんのためにあるのかの根っこのところです。主語は「わたしたち」なんです。ライオンが主語になって、お前たちは檻のなかに入っていい子にしろというようなことになったら、動物園ではなくサファリパークになってしまいます。動物園は檻があるので、わたしたちは檻を意識しないで安心してライオンを見ることができますが、サファリパークではわたしたちが檻のなかに入って、ライオンが檻の外を走っています。

その点で、自民党憲法改正草案(2012年)はライオンが主語になっています。

自民党憲法改正草案では11条について次のような解説がついています。

「権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。」

この改正草案は、人間だれでも生まれながらに持っている基本的人権「天賦人権」をやめましょうといっています。前文の主語が「日本国民は」から「日本国は」になっています。出発点の第一歩から間違っています。

朝岡:本では、「ライオン=国家権力」に約束を守ってもらう、檻のなかに入ってもらう、というのが立憲主義という説明があり、政治的な立場としての護憲主義ではない。社会は、立憲主義でなければいけないということが解かれています。

楾:講演で、「憲法は日本の国でいちばん大事な決まりです。では憲法という決まりはだれが守らなければならないと思いますか」と聞くと、「国民」とか「わたしたち」という答えが返ってくるんです。「答えは憲法に書いてあります。99条をみてみましょう。憲法を守らないといけないのは公務員と書いてありますね。国民という言葉はないですね」と話します。講演が終わって「憲法を守るのは公務員と知りました」という感想があると、そのことだけで成果があったと思います。

これは、子どもたちだけでなく、大人も分かっていないから問題なのです。さまざまな会場で講演してきましたが、学校の先生も「国民」に手を挙げる人が半分を超えます。役所の職員も同様です。教える立場の人も、公務員自身も、分かっていないのです。

立憲主義は、当たり前なのでいままではあまりいわれませんでした。でも、ずっと社会の基盤にあったのが立憲主義です。明治憲法も一応は檻のなかのライオンだったわけです。一応は立憲主義でしたが、天皇がつくった檻で、形ばかりの檻だったので壊れてしまったのです。

・「第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

憲法尊重擁護義務(99条)と個人の尊重(13条)

朝岡:99条の憲法尊重擁護義務が出てきたので、応用編として、国会議員の発言と表現の自由(21条)についてうかがいます。『新潮45』2018年8月号の自民党・杉田水脈衆議院議員の同性カップルを念頭にした「子供を作らない、つまり『生産性』がない」という寄稿のことです。これが、一般の人の発言なら表現の自由の問題で、賛成しないということですむわけですが、公職にある国会議員がいうとまったく別次元の話になるということを杉田議員本人はちゃんと理解していないのではないかと思うのです。わたしの授業でも話題になりました。学生たちは、発言は文脈の一部分を切りとって評価するべきではないというわけです。しかしわたしは、この発言はどんな文脈でも不適切である。しかもこれは国会議員という公職者がいっていることが問題だと指摘しました。その重みをどう受け止めるのかと学生たちに問うたのです。

楾:杉田議員の発言は、13条の個人の尊重と99条の憲法尊重擁護義務にかかわる問題ですね。生産性がある人が国家の役に立っているかどうかを問題にしているように見えます。全体とか国家の役に立っている人はいい人間だけど、役に立っていない人はいらないというようないい方です。個人の尊重(13条)というのは、一人ひとりが人間らしく生きていけるようにするために国家がある、つまり「個人のために国家がある」のであって「国家のために個人がある」のではない、という考え方です。国の役に立っているかどうかで人の価値を判断するようなことを権力側の人がいってはいけません。憲法尊重擁護義務を負っているのは国会議員です。表現の自由の問題ではありません。いろいろな意見の人がいてもいいですが、憲法尊重擁護義務を負っている公職者は、憲法に反することをいってはいけないということです。

朝岡:憲法に反するような言動をとるのは、国会議員としてふさわしくないということですね。

楾:最近、国会議員としてふさわしくない発言が多いですね。子どもを産まないのは自分勝手、たくさん産んで国を繁栄させようとか発言した国会議員もいます。

朝岡:それを批判をする側の問題もあるような気がします。そういう発言があったときに、戦前と同じだと批判しても本質的な議論になりません。むしろ国会議員のような公職にある人が、憲法の枠を超えた発言を平気で繰り返すこと自体が悪いのだという議論にしていきたいものです。

楾:自民党憲法改正草案をみても、「個人の尊重」をやめて「人の尊重」にしましょうと書いています。わたしたち個人と国の関係が逆になっている書きぶりになっているような気がします。自民党の議員さんからさきほどのような発言が出ているのは、自民党改憲草案と整合していると思います。

ここ5~6年、ライオンが暴れて檻を壊す動きが続いてきたと思います。わたしたちがぼーっとしていたら、ライオンに襲われるかもしれません。わたしたちが自由や権利を守っていくには、わたしたちが「不断の努力」で、ライオンを見張っていないといけません(12条)。

思想が統制の対象になった歴史を踏まえた条文(19条)

朝岡:関連して内心の自由(19条)も重要だと思います。さきほどの杉田議員の発言について学生たちと話をするとき、学生のレポーターは「これについてみなさんどう思いますか」と一人ひとりに意見を聞こうとしましたがわたしは止めました。この発言がいいと思うか悪いと思うかはまさに内心の自由です。授業というフォーマルな場で、一人ひとりに内心を告白させるような進め方はちょっと違うのではないか思ったからです。

ヘイトスピーチについても、モラルとして最初からそんな考えをもつべきではないと決めつけてしまうと、差別や偏見はなくなりません。差別や偏見の芽はいつでもありますが、一般論として差別や偏見はいけないと議論しても、たぶん克服できません。それが出てきたとき、それについて具体的になぜいけないのかと議論をするのが大事だと思っています。憲法の問題を一人ひとりの自分たちの問題としてうつしかえたとき、原理原則の延長上に具体的に設定できるかどうかが鍵だと思っています。条文としては13条の個人の尊重があり、その関係で内心の自由が重要な条文だと思います。

楾:心のなかは自由というのは当たり前です。その当たり前のことがなぜ書いてあるかというと、書かれるまでは当たり前ではなかったからです。憲法の人権規定は全部そうだと思います。人権というのは、憲法に書くまでもなく、人間が生まれながらに当然持っているものです。それをなぜいちいち憲法に書くかというと、歴史的に、それが権力によって侵されてきたから、これからは二度と侵さないでくださいよ、と政治家・公務員に念を押しているわけです。内心の自由を保障する条文がある憲法は世界的に珍しいそうです。なぜ日本国憲法にそういう規定があるかというと、治安維持法が背景にあり、思想そのものが統制の対象になった歴史を踏まえて、そういう条文が入ったそうです。

・「第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」

檻を広げたり、柔らかくさせたりしない(96条)

朝岡:立憲主義の話に戻りますが、「檻=憲法」を広げたり、柔らかくしたりしようという動きがありますね。「ライオン=国家権力」が自分で檻を広げることができるようになるとたいへん危険です。

楾:日本国憲法の改正には国会議員の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票で過半数の賛成が必要です。

・「第96条1項 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」

このように改正しづらくなっているからこそ、憲法は最高法規なのです。ライオンを入れる檻ですから、ライオン(時の政権)の力だけでは変えられないくらいに、硬く(変えにくく)作られているわけです(硬性憲法)。ところが自民党などが、「3分の2」という言葉を「過半数」に書き換えようという改憲論をいい出しました。それが2013年の参院選の争点にまでなりました。これはライオンが「この檻は硬すぎるから柔らかい檻に作りかえてくれ」といっているようなものです。柔らかくしてどうするのか、壊す気か、という危機感をわたしは強く感じました。そのあと、檻が壊れてしまったのが2014年から2015年にかけての集団的自衛権を容認する安保関連法制の成立です。これについては、全国すべての弁護士会が、憲法違反だという意見を表明しています。96条改正論についても安保法制についても、拙著『檻の中のライオン』で解説しています。

著者 楾 大樹『檻の中のライオン』かもがわ出版、2016年、(本体1300円+税)
著者 楾 大樹『檻の中のライオン
かもがわ出版、2016年、(本体1300円+税)

朝岡:国会議員のなかに弁護士資格を持っている人がたくさんいるのになぜこういうことが起きているのか不思議です。立憲主義をまったく理解していないとしか思えません。

楾:人間だれしも、権力を持つと自分の権力を維持拡大したいというのが優先になってしまうのではないでしょうか。だからこそ憲法が必要だということです。

朝岡:2013年12月成立の特定秘密保護法も、憲法の根幹に関わる問題でした。

楾:特定秘密保護法は、「檻=憲法」にカーテンをつけるようなものです。これは民主主義とか三権分立という憲法の骨組みを脅かす法律だと思います。

教科書と憲法教育

朝岡:学校現場で、憲法に関する教育が行われているにもかかわらず、非常に大事なことが子どもたちに伝わっていません。その一つが、そもそも憲法って何のためにあるのか、最高法規ってどういう意味なのかということがしっかり理解されていないということです。

一番勉強してほしいのは、憲法改正草案をつくった自民党の国会議員さんですが、やはり、学校教育の枠のなかで憲法がどう教えられるかはとても重要です。その前に学校の先生がどこまでちゃんと理解しているかが問題ですが……。

楾:教員採用試験の過去問題集の分析をやったことがあるんです。本当にしょうもない問題ばかりで、これじゃあ、憲法が分からないままに社会科の先生になってしまう。そもそも問題を作成している人が憲法を分かっていないのではないかという感じがする問題が出ています。理解を伴わない、知識を暗記していれば解ける問題で条文の穴埋め問題とかなんですよ。

朝岡:学校の教科書の憲法の扱いについてはどうですか。

楾:小中高の社会科の教科書を全部買いそろえました。小学校の教科書は本当にダメですね。立憲主義のことを全然書いていないし、公務員が憲法を守らないといけないということも書いていません。人権を守るのはわたしたちだ、と書かれています。表現の自由など自由権全般も説明がありません。権力を縛るという説明がないので、権力を縛ることで自由に生活できる、という説明もできないのです。書かれているのは社会権で、国のおかげで助かっているぞ、という話ばかりです。中学校と高校の教科書には一応は書いてありますが難しいです。難しいので読んでもあまり頭に残らないだろうなと思いました。

朝岡:社会科は戦後につくられた教科です。その前までは社会科という教科がなく、国史と修身でした。社会科ができたのは戦後民主化の象徴で、憲法ができたから社会科ができたのです。ところが家永教科書裁判に象徴されるように、社会科は政治的な争点になりやすい教科でした。本来、社会科のなかで憲法を教えなければいけないものを政治問題の視点で議論してしまうから、すごくややこしくなって、憲法もきちんと教えなくなってしまいました。その結果として、高校に関しては社会科は解体されています。地理歴史と公民に分かれて社会科がありません。また、評価がわかれますが小学校低学年も社会科がありません。

憲法を教えるバックボーンになる社会科そのものがなくなってしまいそうな教科になってきて、いままさに解体されようとしている印象があります。

朝岡幸彦 × 楾 大樹

憲法を身近に感じなくていい社会

朝岡:身近な問題として憲法を意識した事件がありました。公民館報に俳句を掲載しないという非常にシンプルな問題でしたが、社会教育の研究者としては見逃せない憲法問題です。さいたま市の九条俳句訴訟のことです。俳句会で選句された俳句が、これまでは「公民館だより」に載せられていたのに公民館職員によって断られた。さいたま市と交渉したがらちがあかない。しかし不掲載は納得できない。憲法が保障する表現の自由(学習権)の侵害だと訴えて勝訴した事件です。

楾:やろうとしたことをやるな、といわれたときに憲法を意識することはありますね。

朝岡:社会の風潮として公の場での表現自体が規制されているように感じます。背景には「忖度」という文化も含まれて、権力を持っている人たちが規制し始めているように感じます。忖度させられている側が勝手に忖度しているのだから、そういう空気をつくった側は悪くないという理屈でしょう。

楾:立憲主義の枠組みが壊れているところにつながっています。要するにライオンが檻から出てしまうと、きらいな人にかみついたりします。そういうことがないように檻に入れておくようにしていますが、檻から抜け出しています。そういう状況だと権力者といかに仲良くなれるか、いかにきらわれないかということが重要になって、波風を立てないような行動をとるというのが賢いというか、忖度につながっています。法の支配から人の支配に、ライオンが檻を飛び越えて好き勝手にやり始めている状態が現実に起きています。

朝岡:ますます憲法学習の重要性が増しています。憲法の全体像を学習することは非常に重要ですが、もう一歩踏み込んで、一人ひとりの暮らしの問題として憲法の問題を捉えてもらいたいと思います。

楾:それはとても難しいのですが、強いていえば、憲法を一人ひとりの問題として身近に感じなくていい社会、がいいと思っています。普通は日常生活のなかで憲法のことを考えないで暮らしています。さっきサファリパークの話をしましたが、動物園に行ったときに、この檻はすごい檻だと思わないですよね。それと同じで、身近に感じないで生活できることこそが憲法のおかげだと思うんです。ライオンと檻を理解するには、想像力なり理性の力なりが必要かもしれません。リアルにライオンが襲ってきてからでは遅いということです。

朝岡:ますます、憲法の原理・骨格を分かりやすく伝えなければという思いを強くしました。

楾:子どもたちが分かりやすいようにと『おりとライオン』(かもがわ出版、2018年9月)という絵本を出しました。『檻の中のライオン』Tシャツなどグッズもつくっています。『檻の中のライオン』講演は全国からひっきりなしに依頼があり、今後も講演活動をつづけていきます。

朝岡:いっそうのご活躍を期待しています。ありがとうございました。

楾 大樹:作/今井ヨージ:絵『おりとライオン』かもがわ出版、2018年、(本体1400円+税)
楾 大樹:作/今井ヨージ:絵『けんぽう絵本 おりとライオン
かもがわ出版、2018年、(本体1400円+税)

2018年10月、自治体問題研究所にて。記録、写真『住民と自治』編集部

朝岡 幸彦

1959年新潟県生まれ。博士(教育学)。日本社会教育学会、日本環境教育学会事務局長、『月刊社会教育』編集長など歴任。共編著『社会教育・生涯学習論』、学文社、(2018年)

楾 大樹

1975年生まれ。『檻の中のライオン』、かもがわ出版、(2016年)、『けんぽう絵本 おりとライオン』、かもがわ出版、(2018年)を刊行、いずれもヒット作に。講演は全国29の都道府県で230回を超える。

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