アイヌ新法自体の問題点、次に「先住民族の権利に関する国際連合宣言」との対比からアイヌの先住権についてまったく触れようともしない政府側の意図、目的を探り、本来あるべきアイヌ新法の姿について論じます。
2019年4月、国会は「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(以下、アイヌ新法)を成立させました。国やマスコミはアイヌ新法を日本で初めてアイヌを先住民族として認めた法律として、画期的であるかのように喧伝しています。しかし、1899(明治32)年に帝国議会(当時)は「北海道旧土人保護法」という法律を制定しており、この旧土人という表現はアイヌに対する蔑称ではあったものの、アイヌを先住民族として認める表現でした。当時、日本には「先住民族」という表記はなく、この法律はアイヌを旧土人という蔑称を用いつつ、内容はアイヌを和人とは異なる先住民族としたうえで、和人への同化を進める政策として制定されたものだったのです。実際、北海道旧土人保護法は英語表記ではHokkaido Indigenous People Protection Actと表記され、Indigenous People、すなわち先住民族とされているのです。
では、喧伝されるように、アイヌ新法は従来の日本政府のアイヌに対する諸政策を大転換するような「画期的な内容」があるのでしょうか。
アイヌ新法の概観
(1)法律の体裁
アイヌ新法は、その体裁からして「施策の推進に関する法律」となっており、あくまで行政の施策、制度を定めた法律でしかありません。この法律はアイヌの権利を明記し、その保障を謳うものではないのです。「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現する」ための施策とされていますが、「アイヌの誇り」とは何か、その「尊重」とは何か、については定義すらされていません。
①国、都道府県、市町村の施策(7条、8条、10条)
国は、アイヌ政策に関する基本方針を策定するとともに、国有財産をもって北海道白老町に設置される「民族共生象徴空間施設」(以下、象徴空間)の管理を行うことが明記されています。象徴空間というのは博物館、遊園地などから構成される一種のアイヌテーマパークで、このなかの施設の一つに、全国12の大学や博物館が保有するアイヌ遺骨を集約する「慰霊施設」が含まれています(内閣官房アイヌ総合政策室・アイヌ政策推進会議「民族共生の象徴となる空間」作業部会報告書、2011年)。都道府県は、国の基本方針に基づいて都道府県内のアイヌ施策について方針(都道府県方針)を定める、とされています。市町村は、国の基本方針に基づいて、また都道府県方針を勘案して「アイヌ政策推進地域計画」(以下、地域計画)を作成することができることになり、この地域計画は内閣総理大臣の認定を受けることになります。
②交付金の交付(15条)
市町村が策定し、内閣総理大臣が認定した地域計画には国から交付金が交付されます。この交付金は市町村に対して交付されるものでアイヌに直接交付されるものではありません。
③象徴空間と指定法人(2条)
前記した象徴空間の管理は、具体的には指定法人(一般社団法人、一般財団法人で、全国で一つ)に対し、委託されます。この委託された法人が象徴空間における「アイヌ文化、儀式等」を行うことになるのです。ちなみに、現在、アイヌの団体のなかで、NPOではなく、法人として設立されているものは、北海道アイヌ協会だけで、象徴空間において管理を委託されるのは公益社団法人である北海道アイヌ協会という可能性が強いのです。
(2)アイヌ施策とは何か
アイヌ新法の定義(2条)によると、アイヌ施策とは、①アイヌ文化の振興、②アイヌの伝統等に関する知識の普及・啓発、③そのための環境整備策、とされています。①と②は、1997年に制定されたアイヌ文化振興法の内容と同じです。しかも、アイヌ文化振興法でもアイヌ文化の振興等を図ることにより、「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図」る(アイヌ文化振興法1条)とあって、アイヌ新法とあまり異なりません。今回のアイヌ新法は、アイヌ文化振興法に③を追加しただけで、その具体的内容は、一つは象徴空間の管理・運営、二つに交付金事業としての地域計画の策定があげられるのです。
アイヌ文化の振興(①)とは、アイヌの人たちへのアイヌ語、刺しゅう、音楽、踊り、工芸などの教育を指し、知識の普及・啓発(②)とは、もっぱら和人への「理解」のための施策となっています。
アイヌ新法それ自体の問題点
アイヌ新法それ自体の問題点とは、この法律自身が持つ問題点を検討するものです。
(1)アイヌ文化とは何か(宗教性)
アイヌの人たちがよくいうことの一つに、「アイヌにとってまわりのすべての物が神(カムイ)だ」という点があります。つまり、アイヌの生活のなかにさまざまな神が存在し(鍋もカムイといわれたことがあります)、アイヌの衣装、刺しゅう、など文化的所産のすべては宗教的意味を持っているのです。とくに象徴空間に建設される全国の12大学などから集められる約1600体のアイヌ遺骨を慰霊する施設では、「アイヌによる尊厳ある慰霊」が行われるとのことです(前記報告書)。
このような宗教的意味を持つアイヌ文化の振興、普及・啓発を国の交付金事業とすることによって憲法上の問題が生じてきます。それは憲法20条3項の政教分離原則との関係です。政教分離原則は、権力が一定の宗教と結びつくことによる国民の信教の自由の侵害を防止しようとする原則であり、特定の宗教的行為に財政的援助を与えたり、国の財産を特定の宗教的行為のために利用させたりすることを禁止しています。
この憲法上の疑義を回避するためには、交付金事業や慰霊施設での慰霊行為から宗教色を一掃することしかありません。アイヌ文化から宗教色を除き、慰霊行為を宗教行為ではないものに「変容」させる必要があるということなのです。結果、アイヌへの文化教育は単なるカルチャー教室となり、和人へ普及・啓発するアイヌ文化は、宗教色のない観光事業としての「普及・啓発」ということになるのです。市町村が策定する地域計画は、地域振興策としての「アイヌを目玉」とする観光事業ということになるのです。
(2)アイヌの文化とは何か(生きた文化との関係)
そもそも文化とは、生活のなかから生まれ、地域社会に受け継がれ、時に地域社会によって変化させられながら、地域の人々に営まれていくものです。単に過去はこうでしたという「伝統文化」は、生きた文化ではありません。また、文化が受け継がれ、現在において営まれていくためには、その地域社会の生活が基盤となり、その生活は土地と密接に結びついています。現在、福島第一原発の放射性物質の放出によって、福島の地を離れている人たちは、東京電力や国に対して「ふるさと喪失の慰謝料」を請求しています。この「ふるさと」とは、人々が生活していた地域社会、そこで育まれた祭りなどの文化のことなのです。生活している土地を失うことは、脈々と受け継がれてきた文化そのもの(ふるさと)を失うことに他なりません。
国が、アイヌ文化の振興を真に行うのであれば、アイヌの人たちに対し、文化の基盤である土地を保障することが必要ですが、アイヌ新法は、「土地なき、生活なき文化」の振興を施策とするだけです。この点でも、生きた文化の振興施策ではないことが明らかです。
筆者は、「かつての古い生活」に戻ることを主張しているものではありません。文化は、その生活のなかで変容されていく以上、現在のアイヌの人たちの生活のなかで変容されて当然だからです。問題は、文化を変容させていく主体としての地域社会が生活の基盤である土地を有していなければならない、ということなのです。
(3)象徴空間における慰霊施設の問題点
①持ち去られたアイヌ遺骨
アイヌ新法に、象徴空間施設が明記され、そこにアイヌ遺骨約1600体が集約され、「尊厳ある慰霊」が行われることを書きました。
これらのアイヌ遺骨は、明治から1970年代にかけて、研究者によってアイヌ墓地から掘り出され持ち去られた遺骨です。とくに約1000体を超えるアイヌ遺骨を発掘した北海道帝国大学(現在の北海道大学)は、児玉作左衛門という教授が主導して樺太、千島、北海道各地でアイヌ遺骨を発掘しました。その研究は形質人類学という研究分野で、優生学的思想に基づいて「アイヌは劣り、和人は優秀」という成果を求めていた、という指摘があります(『学問の暴力』植木哲也(春風社、2017年))。
政府のアイヌ遺骨返還方針は、まずは祭祀承継者(相続人中の遺骨管理者)に返還する、祭祀承継者が見つからない場合は、象徴空間に集約する(内閣官房アイヌ総合政策室・アイヌ政策推進作業部会(部会長常本照樹))というものです。しかし、アイヌの習慣では墓地に埋葬した死者に対して決して墓参りはせずそのままにし、集団(コタン)が集落内で慰霊行為(イチャルパ)を行う、というものでした。したがって、大学が発掘したときはその遺骨がだれの遺骨かはほとんどわからない遺骨ばかりであったため、その相続人を探して祭祀承継者を特定させることは不可能なのです。
最近、政府は地域から遺骨の返還の申し出があれば、国がその適格性を判断して引き渡すとしていますが、「国の適格性判断」は重大な問題を含んでいます(後述)。
②研究対象となるアイヌ遺骨
前記報告書では、象徴空間に集約したアイヌ遺骨は、「アイヌの同意」を得て、将来の研究に資する、としています。政府は返還をしないアイヌ遺骨は、今後も研究対象となるということを明言し、研究のためのガイドラインを策定中です。
最近のアイヌ遺骨研究の目的はかつての形質人類学ではなく、遺骨のDNA解析を行い、人類移動の経路、あるいはアイヌと和人やアジアの人々との関係性を明らかにすることにシフトしています。
しかし、遺骨の所有者、管理者の承諾も得ずに遺骨を研究対象とすることに違いはなく、このような研究は研究者の社会的責任を厳しく問われなければなりません。
先住民族の権利に関する国際連合宣言との対比
(1)先住民族の権利
国連総会で2007年に採択された先住民族の権利に関する国際連合宣言(以下、宣言)では、先住民族の権利について、集団としての権利と個人の権利とを明確に区別して規定しています。このうち、集団としての権利が、いわゆる先住権として問題となる規定です。宣言では、遺骨返還の権利、自然資源(土地や水産、林産等の資源)を利用する権利、自己決定権等が個人ではなく集団の権利として規定されています。この宣言のいう集団(indigenous peoples)が何を指すのか、は各国ごとに判断しなければなりません。
日本では、いままで「アイヌ民族」という表現が使われ、何かアイヌ民族全体がアイヌ民族としての権利を有するかのように誤解されてきました。しかし、宣言が規定する集団の権利は、先住民族とされるなかのさらに小さな集団を権利主体としています。たとえば遺骨返還の権利(12条)で考えてみると、アイヌの場合にAというコタン(集団)で埋葬した遺骨について、まったく別のBというコタン(集団)には遺骨返還の権利はないのです。
(2)アイヌの場合はコタンという集団
アイヌの場合の先住権の主体となる集団は、明治になるまで各地に存在していたコタンという集団です。この集団は、数戸から数十戸からなり、その支配領域において独占的・排他的狩猟・漁猟権を有し、他のコタンのアイヌがこの権限を侵害した場合には、時にコタン間の戦争になりました。また、各コタンでは慣習法に基づく民事法、刑事法が存在し、訴訟も行われていました(拙著『アイヌの法的地位と国の不正義』)。ジョン・バチェラーは、コタンを村社会と称し、「一つ一つの村社会は小さな独立国家に似た集団を形成する」と書いています(ジョン・バチェラー『アイヌの暮らしと伝承』小松哲郎訳、北海道出版企画センター、1999年)。
(3)日本政府の立場
日本政府は宣言に署名したものの、宣言にいう先住権などの集団の権利は、日本では否定することを条件に署名しました。日本政府の見解は、アイヌには、先住権の主体となるべき集団がもはや存在しない、というのが公式見解だからです。したがって、先住権を論ずるまでもない、という立場に立っています。この日本政府の見解から、アイヌの権利にまったく触れることなく、単にアイヌ文化振興について前記した①、②、③の施策を行うとするアイヌ新法が登場するのです。
先住権の主体たるべき集団はいないのか
国際法である宣言に署名した日本政府は、国際的義務として宣言の国内法化に努めなければなりません。しかし、日本政府は「日本には宣言にいう権利を行使できる集団はいない」という立場から、宣言の内容を国内法化することをせずにアイヌ新法を成立させました。
「先住権の主体たるべき集団はない」、という見解はアイヌ遺骨の返還をめぐっても論じられました。内閣官房アイヌ総合政策室・アイヌ政策推進作業部会(前出)は、アイヌ遺骨の返還について、本来であればアメリカなどのようにトライブ(コタンと同様の集団のこと)に返還するべきである、しかしながら日本にはこのような集団(コタン)やコタンの受け皿となる集団が存在しない、したがって日本民法に従い祭祀承継者に返還する、祭祀承継者が判明しない遺骨については、象徴空間に集約される、としました。残念なことに、この作業部会には北海道アイヌ協会の理事も参加しており、北海道アイヌ協会もこの見解を支持していたことになります。
(1)集団を「壊した」のはだれか
真っ先に問われなければならないのは、先住権の主体たる集団を壊したのは明治政府だということです。江戸時代まで蝦夷地は和人地(松前周辺)とは異なる異域(外国)とされており、アイヌは化外の民として幕藩制国家と対峙する関係でした。異域(外国)である故に鎖国体制下においてもアイヌ交易権を認められていた松前藩がアイヌ集団を通じて大陸との交易品を入手できたのです(幕藩制国家における日本型華夷秩序(『アイヌ民族の歴史』榎森進、草風館、2007年)。幕末になって幕府や商人による政治的・経済的支配が強まったとはいえ、蝦夷地・和人地という地域区分が厳然と存在し、建前上も和人は勝手に蝦夷地に侵入することを禁止され、その上一度もアイヌは「個別的直接的人的支配策や課税はされなかった」のでした(同書)。
明治になるまでアイヌ集団の行動は「蝦夷任せ」とされ、その自主決定権にゆだねられていたのです。もちろん、各コタン(集団)の独占的・排他的狩猟・漁猟権は維持されていました。コタンごとの訴訟も行われていました。
集団を排除していったのが、明治政府だったのです。1869(明治2)年に蝦夷地を北海道と称し、開拓使を置き、和人の移住や自然資源を利用した産業を興すことを公達し、1872(明治5)年に土地売貸規則、地所規則を制定して国有地化宣言を行い、和人の入植を促しました。アイヌ集団が有していた独占的・排他的狩猟・漁猟権は無視され、アイヌから土地や自然資源を奪ったのです。訴訟は私的制裁として禁止され、同化政策として皇民化教育がなされ、文化を放棄させられました。
明治維新以来150年間にわたり日本政府による土地や自然資源の奪取、文化・自主決定権の否定が強制されてきたのです。にもかかわらず、「日本には先住権の主体となるべき集団がもはやない」と公言することは正義に反します。このような集団を壊したのが日本政府なのだから、日本政府はこの集団を復活、再生させる義務を有するはずです。
(2)同質性を有する集団は存在する
アイヌ遺骨の返還訴訟では、いままで北海道大学から約100体の遺骨を返還させましたが、返還を受けた主体は、かつての遺骨発掘地のコタンの構成員の子孫でした。彼らは現代においても文化的同質性を有し、血縁で結ばれています。実はこのような集団は北海道各地に未だ多く存在しています。いま、必要なのはこのようなかつての集団(コタン)と同質性を有する集団を各地に復活させることなのです。そのうえで、宣言にいう先住権をこのような集団に認めていく法律を制定する必要があるのです。
日本政府の意図とあるべき法律
日本政府はなぜ先住権の主体としてのアイヌ集団の存在を否定するのでしょうか。それは、土地問題をはじめ自然資源の帰属など150年の歴史を覆し、明治政府の侵略の歴史として認めることになるからです。多くの和人は、いまさら土地をアイヌに返すのか、と不安になるかもしれません。またアイヌの集団にサケ捕獲権を認めれば、漁協の漁業権や水産庁の水産資源政策が揺らぐ恐れがあるでしょう。
しかし、オーストラリア最高裁がアボリジニの判決でいうように「ヨーロッパ人が大陸を発見して進出しても、そこにはすでに先住するグループ(集団)がおり、伝統に基づく慣習法によって支配を継続している。伝統的な集団の権限は厳然と存在し」「この固有の権力は決して消滅させられることはない」のです。
筆者は、アメリカで1934年に制定されたインディアン再組織法を日本でも取り入れるべきと考えています。ここでは集団を再組織するために、集団が憲法を持ち、議会や裁判所、警察までも有するとされ、連邦政府がかつての土地を買い戻して集団に渡し、支配領域を確保するようにしました。白人社会と対等になるためにはインディアンの組織が必要だとしたのです。
少なくとも日本政府は宣言を国内法化するための国際的義務を負っている以上、宣言を具体化する法律を制定しなければなりません。アイヌ新法は、宣言とはかけ離れ、逆に宣言のいう集団の権利を否定することから始まっているのですから、150年の歴史の上にさらに同化政策を深化させる法律といわざるを得ないのです。
【参考文献】
- 市川守弘『アイヌの法的地位と国の不正義 遺骨返還問題とアメリカインディアン法から考えるアイヌ先住権』、寿郎社、2019年