日本有数の外国人集住のまち大阪市生野区。朝鮮半島出身者が多く暮らすこのまちは、一世、二世が差別や貧困と闘い助け合いながら生きてきました。在日三世が、子どもの学習支援に取り組みながら、多文化共生生野モデルを模索しています。
外国人が集住するまち─大阪市生野区─
本稿では、大阪市生野区(以下、生野区)で子どもの学習を支援するNPOの活動を通してみた、生野区における外国人との共生の課題についてレポートします。まず、生野区について簡単に紹介しておきます。生野区は、大阪市内を一周する大阪環状線の寺田町駅から鶴橋駅にかけての東側(外側)にひろがる、木造の長屋やアパート、町工場などがまだまだ残る「インナーシティ」ということばがぴったりとあてはまる地域(大阪市の24行政区の1つ)です。8・38平方㌔㍍の狭い区域に、12万7511人(2018年1月1日住民基本台帳人口、以下同じ)が住み、そのうち外国人は2万7773人、外国人住民の比率は21・78%で北海道占冠村(人口1450人)の22・69%についで、全国第2位の高さです。基礎自治体である大阪市全体で見ても、外国人比率4・87%は、20政令指定都市でトップです。
生野区の外国籍住民の8割近くが、韓国・朝鮮籍(約2万2000人)で、このまちが東京都の新宿区新大久保と並んで大きな在日コリアンのコミュニティであることを示しています。1万7000人が「旧植民地出身者とその子孫」である特別永住許可者です。生野区は、オールドカマーのまちとしての側面を持っています。一方、近年増えているのは中国人やベトナム人です。また、国籍は60にも及んでおり、ニューカマーによる外国人の多国籍化も進んでいます。背景としては、2000年代半ばから、区内に400人規模の日本語学校が立地しているほか、隣接区にも日本語学校が数校存在することです。また、比較的低廉な賃貸住宅が提供されています。また、在日コリアンのコミュニティが存在してきたことから、外国人が住みやすい環境があることも一因でしょう。
現在の生野区には、大正時代、大阪が大大阪と呼ばれた当時急速に市街化していき、多くの中小零細企業が集まりました。生活の苦しかった朝鮮半島の人々はすでに韓国併合(植民地化)により、日本に職を求めて渡航してきました。大正時代末期に就役した「君が代丸」により、済州島から大阪への渡航者が増加しました。この人々が経済成長著しい大阪の中小零細企業の労働の担い手となりました。
戦後、講和条約で旧植民地出身者は日本国籍を失いました。朝鮮半島への帰国が始まりますが、済州島4・3事件や朝鮮戦争という過酷な状況が待ち受けていました。再び住み慣れた大阪に帰ってこざるを得ない人も多くいました。生野区は、一世の時代から1世紀以上経て、いまは三世、四世が中心になっている有数の在日コリアンのコミュニティです。
地域としても、住民の高齢化は進み、空き家の増加が大きな問題となり、地域コミュニティの核である学校統合が進められようとしています。他方、在日コリアンの食卓を支えていた御幸通商店街(JR大阪環状線の鶴橋駅と桃谷駅の間にある)は、韓流ブームで年間100万人が訪れる大阪市内でも有数の観光スポットになっています。このように変化の波が寄せている生野区の子どもの学習支援の現場から多文化共生の課題を見ることにしましょう。
学習サポート教室DO-YA(どぉや)
このような変化のなか、週2回水曜日と木曜日の夕方、小学生7人、中学生19人の合計26人の子どもたちが、御幸通商店街(コリアタウン)の韓国食品店2階に設けられた学習サポート教室DO-YA(どぉや)に集まってきます。児童生徒の国籍は、日中韓、ベトナム、スリランカ、ネパールと6カ国にわたります。主宰するNPOクロスベイスの代表理事宋悟さんは、インターナショナルスクールを退職後、子どもに関わることで地元に貢献したいと考えてこのNPOを立ち上げました。
2017年夏から始まったこの取り組みの目的は差別と貧困をなくすことです。2013年、生野の玄関口JR鶴橋駅前で、女子中学生がマイクを握り「鶴橋大虐殺」を叫び、住民を震撼させる事件が発生しました。このころから、在日コリアンへの憎悪・差別をあおるヘイトスピーチが増加し、外国にルーツを持つ人々への不寛容さが高まりました。2016年法務省が実施した外国人の生活実態調査報告では、在日外国人の40%が入居差別を、25%が就職差別を経験しています。その根底にあるものとして、具体的な行動ではなくても、なんとなく外国人がきらい(ゼノフォビア)という雰囲気の蔓延も指摘できるでしょう。いまひとつは、経済的格差の広がりが子どもの貧困を拡大していることです。公立小中学校の児童生徒のうち、生野区では3人に1人以上が就学援助制度の支給対象となっており、全国平均の2倍を上回っています。未申請の家庭もあるため、実際にはもっと多いのではないかと推測されます。
DO-YAでは、小学生は学校の宿題、中学生は数学などの教科を学びます。数人日本語のサポートの必要な子もいるので、そのサポートも行います。大阪市では、日本語サポートをセンター校方式で実施していて、週に1、2度センター校で授業を受けますが、そこに通う子どもが増加し、個別対応が十分にできなくなり、効果が薄れてきています。そのため、地元の小学校からも、このような民間ベースの学習サポートが必要とされているのです。DO-YAでは、大学生、大学院生、元教員の講師が、勉強だけでなく、その子どもがおかれた状態にも気を配ります。
外国人であることを理由に学校でいじめを受けることもあります。悪口をいわれた中国の子に、「気にせんでええよ」と、年上のネパール人の子どもがアドバイスする姿も見られます。家庭の事情もさまざまで、両親の雇用が不安定な子もいます。
体験活動DO/CO(どこ)
もう一つの活動の柱が、体験活動です。家庭の教育格差は、経済力だけではなく、家庭の持つ文化資本、社会関係資本に由来する部分も大きいとされています。家庭による文化活動、子どもが出会う人々などの違いです。家庭が提供できないなら、地域でと始めたのがこの活動です。たとえば、区内には大学がないので、郊外の大学キャンパスへ出かけて大学生と交流したり、表現力を身につけるために詩のワークショップを行ったりしています。大阪市内に1人いるベトナム人の公立学校の教師の話に、ベトナムの子どもたちは目標を見いだし、自尊心をもつようになります。これからの体験活動は3つの柱で展開します。「猪飼野せんべい」を売るプロジェクトを考えながら経済の仕組みを学ぶといった「探求型」。生き抜くための知識、たとえば、ブラック企業から権利を守る労働法や、貯金の仕方、性教育など、外国で生き抜くために必要だが、日本の学校では教わらないことを学ぶ「知識型」。先に挙げたキャンパス訪問のように未知の体験をする「体験型」の3つです。
なお、DO-YAとDO/COの活動は2018年度の生野区持続可能なまちづくり活動支援事業に認定されています。
政府の外国人施策の問題点
宋さんは、現在の政府・自治体施策には多くの問題・矛盾があると考えています。一つは、多文化共生政策は普及しつつありますが日本の植民地支配にも関わるオールドカマーの存在が等閑視されていることです。加害の歴史と人権尊重の視点を欠く多文化共生は眉唾物だと指摘します。だれが決めるのか当事者の参加も問われます。
2019年4月から入管法が「改正」されましたが、外国人を日本経済の役に立つかどうか(人口減少による労働力不足を補う)の観点から選別して受け入れるという典型的な新自由主義的移民政策です。政府は保守派への配慮から移民ではないと言い張っていますが、すでに在日外国人270万人の半数以上は定住・永住資格を持ち、制限なく働き、家族を形成し子孫を残しています。これは明らかに国際通念上の移民であり、政府の見解の矛盾が早晩露呈します。
「共生」とは元来生物学の用語ですが、異種の生物が時空間を共有することが、お互いの生存条件であり相互にプラスの効果を持つ状態のことを指し、一方的に利用したり、単にお互いに害を及ぼさない「共存」とも違うはずです。真の多文化共生を実現するには制度とマジョリティーの意識変革が必要です。後者は、外国人とともに暮らすことが日本人社会にとってもプラスになるという意識をもてるかということですがこれには時間がかかるでしょう。制度とはルールですが、外国人施策には、外国人が政府・自治体に困ったことを訴える根拠法、たとえば多文化共生基本法がありません。ヘイトスピーチ規制法は実現したものの、罰則規定を欠いた理念法にとどまっています。外国人施策を要求する根拠となる基本法が必要だと、宋さんは強調します。
生野区の多文化共生政策の立ち遅れと参加の権利
大阪市や生野区の多文化共生政策もまったく立ち遅れています。大阪市の行政区長は、維新市政以降公募制になっていますが、山口照美生野区長は、区政運営の三本柱の一つとして多文化共生を掲げます。担当者もおき、「やさしい日本語」バッジを作ったり、日本人と外国人の交流の場を作ったりと、そのものは評価すべきとしても、外国人の生活の場面(行政の手続き、医療や福祉、教育へのアクセス)に即したきめ細やかなサポートはまったく不十分といわざるをえません。また、2018年度に好評だった多文化共生イベント・TATAMI TALKも2019年度は予算措置がされませんでした。この背景には、なぜ外国人に税金を使ってまでサポートしなければならないのかという保守的な世論があります。
このような風潮のなかで、多文化共生を求める側も、外国人が暮らしやすいまちを作ることは実は日本人にとってもメリットがあることを主張する必要性を感じています。
他方、多文化共生政策を決めるのはだれかということも重要な論点です。政府の政策が前記のような矛盾や問題点を孕むのも、政策決定の現場に外国人の代表として当事者の外国人住民がいないことに起因します。
大阪市には、地域の住民が区政運営に意見を述べたり、区政を評価したりする「区政会議」が設置されています。生野区では地域からの選出、公募、学識者などで30人の委員が選ばれていますが、外国人枠はありません。日本国籍を取得した委員が存在する可能性はあるものの、区人口に占める比率からいって外国人が数人いてもおかしくないのです。ちなみに、大阪市の「区政会議の運営の基本となる事項に関する条例」には委員の国籍に関する規定はありません。
宋さんは、外国人に地方参政権が必要だといいます。選挙に立候補したり、投票したりするだけではありません。民生委員・児童委員は、住民の生活をサポートする重要な非常勤の公務員で「当該市町村の議会の議員の選挙権を有する者であって成年に達した者」から選ばれます。
生野区のような地域では在日コリアンが民生委員・児童委員としても活躍すればそのメリットは大きいでしょう。
市民主導でつくる多文化共生の生野モデル
2019年、オールドカマーが暮らしてきた歴史と人権保障の視点に立ち、多国籍化していく生野区における多文化共生のモデルを市民が作ろうという動きが始まりました。2月に区内NPOの協力のもと実施した「共生セミナー」を経て、6月末には新たなNPO「IKNO・多文化ふらっと」がスタートしました。
目的は、プラットフォームづくりです。人的交流、情報共有、学びの場をゆるいネットワークで作りだし、そこから具体的なプロジェクトが立ちあがることを期待します。具体的になりつつあるプロジェクトとしては、多文化共生に関する調査・提言、(仮称)生野区多文化交流センターといった「拠点作り」、市民主導の多文化共生イベントの実施などです。
世話人には、地域からの代表、在日コリアン、有識者など多彩な顔ぶれが並びます。オールドカマーのまちから多国籍のまちに変化を遂げている生野区で、日本人(マジョリティー)と協力しながら、行政はバックアップにまわる、市民主導の多文化共生モデルを作ることが設立に動いている有志の皆さんの願いです。
区内の御幸森天神宮境内に、百済から渡来した王仁博士の難波津の歌(「なにはづに さくやこの花 ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな」)の和韓両文の碑が立っています。日本最古ともいうべき多文化コミュニティの行く末に注目したいものです。
最後に、本稿執筆に際して、取材に応じていただいた、NPO法人クロスベイス代表理事の宋悟さんに改めて感謝申し上げます。