【論文】「官民連携」の到達点と新たな連携像

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「官民連携」はどうあるべきか。これは古今東西を問わず繰り返されてきたテーマです。国や時代によって、対象ごとに具体的な考察が必要です。現代日本ではとくに重大な課題となっています。

「官民連携」の変遷

「官民連携」とはそもそも何なのでしょうか。ここでいう「官」は国や自治体などの政府部門、「民」とは民間企業、NPO、地域団体、住民などの多様なものを含めた概念です。官と民が互いに協力しあって社会に必要な取り組みを行ってきたという意味では、「官民連携」は大昔からありました。明治時代には紡織・造船・製鉄などは官営工業によって支えられてきましたが、その後は民営化(民間払い下げ)されました。もともとは福祉や教育も官と民が併存してきた領域であり、国や自治体の公的措置に基づく「官民連携」は早い段階から存在していたといえます。

「官民連携」や「公民協働」といった言葉が特有の意味を持ち出したのは、1980年代からです。この時期から、国や自治体は低成長時代へと移行し、税収の伸びの低迷と公共事業・サービスの需要拡大によって財政ひっ迫が問題となりました。1981年に発足した第二次臨時行政調査会は「増税なき財政再建」を達成するために、行財政改革に関する提案を行っていきます。国の予算の抑制施策、三公社の民営化、省庁の統廃合、行政サービスの水準と負担、地方行政の減量化・効率化などが答申に盛り込まれ、自治体の行財政にも大きな影響を及ぼします。地方財政の伸びが抑制され、自治体は業務の民間委託、民営化、規制緩和などへと対応を余儀なくされました。地方自治経営学会は『公・民のコスト比較』(1985年)を刊行し、公共サービスのコスト高を定量的に示すことによって「官から民へ」の流れを後押しします。革新自治体の公準であったシビル・ミニマム論も、財政政策や産業政策の欠如によって「都市経営論」から批判を浴びることになりました。

その後も「官から民へ」の潮流は理論的にも実践的にもますます拡大していきます。1980年代末からは官民共同出資による第三セクターがブームとなり、それを使って自治体は都市開発やリゾート開発に邁進していきます。1990年代からは市場重視、顧客志向、成果志向、権限移譲を公準とするニュー・パブリック・マネジメント(NPM)がもてはやされ、それを受けてPFI、指定管理者制度、市場化テスト、包括的民間委託へと自治体の民間化手法が次々と整備されていきました。現在大きな問題となっている水道事業の民営化(コンセッション)もPFIないし包括的民間委託に位置づけられます。自治体の財政悪化と公共サービスの需要拡大は、市町村合併、公務員削減、自治体財政健全化法、公共施設等総合管理計画などを推し進め、官の領域を抑え込みながら、民の領域を拡充していくことになりました。

「官民連携」の考え方─「市場主義」と「公的責任主義」への批判─

わたしたちは「官民連携」のあり方についてどのように考えればよいのでしょうか。「市場が最も効率的だ」と信じる「市場主義」の立場からすれば、自治体はできるだけ小さい方がよいということになります。そのため、これからも自治体の業務範囲を可能なかぎり民間へ回していくことが「官民連携」の望ましい姿であるということになります。一方で、「住民の暮らしは自治体がきちんと責任をもって支えなければならない」とする「公的責任主義」の立場からは、公共事業・サービスの領域はできるかぎり自治体が直接になうほうがよいということになるでしょう。この両者の考えは水と油のようなものであり、双方の合意によって論理的に官と民の守備範囲を導き出すのは事実上不可能です。

これらの二つの立場が共通して前提にしているのは、「必要な公共事業・サービスがきちんと住民に対して供給されること」です。「市場主義」はその前提の下で、可能なかぎり市場による安価な供給の方が望ましいと考え、「公的責任主義」は市場ではそれが保証されないとみているのです。これはどちらにも一理ありますが、わたしは以前から「住民」の立場から踏み込んだ議論が必要であると感じてきました。

原理的に判断すれば、住民は必要な公共事業・サービスがきちんと供給されるのであれば、その主体が官であろうが民であろうが構いません。住民は、生活権の向上にともなって公共事業・サービスの領域が拡大していくなかで、自治体に対しては財政をうまく節約しつつ、できるだけ多くの公共事業・サービスを行ってほしいと願っています。また、昨今の公共事業・サービスのなかには、官だけではうまくいかない分野が増えています。たとえば、生活困窮者自立支援事業では「引きこもりへの対応」や「子どもの学習支援」などが自治体の責任とされていますが、それらをすべて自治体直営で公務員が行うことは望ましいとはいえないでしょう。自治体は法令に基づいた公平性や画一性を行動原理に据えていますので、このようなオーダーメイド型のサービスが不得意だからです。その場合には、民間への委託=「官民連携」が不可欠であるといえます。近年、NPOが台頭してきた社会経済的要因も公的かつオーダーメイド型の領域が増加してきたことにあるのです。

このような「民に任せるべき公的な領域」を見定めつつ、安定的かつ持続的で質の高い公共事業・サービスを可能なかぎり拡充していくことが自治体の責務です。そのためには「何がなんでも自治体直営で」ということにはならないはずで、民の活用によってサービスの充足を図りつつ財政節約ができるのであれば、そのほうが望ましいのです。その上で、民のほうがより良いサービスが提供できるのであれば、公的責任を維持しつつ民間委託をするべきだということになります。

しかし、現実には日本に限らず世界的に「官から民へ」の潮流に対する批判が大きくなっています。これは、上記のような抽象的議論ではカバーできない公共事業・サービス領域における「民の欠陥」が存在するからです。しかも、公共事業・サービスは生存権・生活権を保障する社会的共同条件であり、それが安定的・持続的に供給されなければ、住民の暮らしはただちに危機に陥ってしまいます。自治体の民間化に対して、厳格な批判性をたえず持ち続けなければならない理由はここにあります。

「民の欠陥」

それでは「民の欠陥」にはどのようなものがあるのでしょうか。これは大きくわけて、①サービスの安定性・持続性のリスク、②サービス・財務内容の不透明性とチェック能力の喪失、③社会的コストの発生リスク、④財政コストの増加、⑤公共性の腐敗の5つに整理することができます。これらは相互に関係していますので、そのことを前提として以下に説明してみたいと思います。

第一の「サービスの安定性・持続性のリスク」とは、公共事業・サービスの性質上、同じような条件で長期にわたって国民・住民全員に供給されなければならない一方で、民間化された場合にはそのような保証がないということです。たとえば、公立病院を民営化すれば、当初はそれまでと変わらない運営が行われていたとしても、事業収益の減少などによって必要な診療部門の廃止や経営そのものからの撤退という事態が発生しえます。市場サービスのように金銭的負担の多寡で受益者を選別してもいけません。

第二の「サービス・財務内容の不透明性とチェック能力の喪失」は、自治体による運営の場合に確保されていたサービス・財務内容に関する情報の透明性が確保されなくなるということです。これには、民間になって必要となる情報開示がなされなくなるという点に加えて、かりに情報が示されたとしても、サービスへの実質的関与を手放した自治体にはもはやそれをチェックするだけの能力が失われてしまうという問題も含まれます。

第三の「社会的コストの発生リスク」とは、公共事業・サービスの供給にともなって生じうる社会的損失(環境破壊やサービス悪化など)が自治体の運営による場合よりも高まるというものです。もちろん、自治体の直営事業でもこのような社会的損失が引き起こされることがありますが、自治体の場合には①営利を目的としていない、②選挙や住民参加などの民主主義制度が存在する、という点において、社会的コストの発生リスクは少ないと考えられます。災害時において民間事業者による対応がなされないケースなどもここに含めてよいでしょう。

第四の「財政コストの増加」については、いくつかの視点があります。一つには、自治体の監視コストが大きくなるという点です。監視コスト(monitoring costs)とは、民間事業者が社会的コストを発生させずに適切なサービスを安価に供給しているかどうかを自治体がチェックする上で必要な人員や事務にかかる財政費用のことです。監視コストは公民コスト比較の際には無視されやすい財政負担であり、実際に監視業務を十全に遂行しようとすれば甚大な財政費用が必要となるものです。もう一つは、当初は低廉であった民間への委託などが中長期的にはかえって財政負担を増加させるというものです。たとえばPFIによる公共施設の運営過程において、内部の空調システムの不具合が発生したとします。空調システム全体を入れ替える場合に、自治体の直営であれば一般競争入札を通じてできるだけ安価に導入しようとします。ところが、PFIとして維持管理業務をすべて委ねている場合には、事業者が自分たちの関連企業に高い価格で空調システムの導入を発注するということが生じます。その財政負担が自治体の責任に属する契約になっていれば、自治体にとってPFI事業は非常に高価なものになってしまうのです。

第五の「公共性の腐敗」とは道徳哲学的な観点からの指摘です。たとえば、公園運営を指定管理者へ委託した場合に、委託料の引き下げの見返りとして公園使用の裁量を事業者に大きく移譲したとします。事業者は営利を追求するために、公園スペースを自らの収益事業(飲食やイベントなど)に優先活用し、収益性のない一般市民への貸出し部分を減らすという事態が発生することがあります。これは公共性の放棄といっても過言ではないケースです。同じことは公共施設を建設・管理するPFIでも同様であり、PFI事業者がその施設に不適切な収益事業を行うことで、当該施設が保持すべき品格や威厳を損なうことがあります。たとえば、公民館のスペースを使って居酒屋やゲームセンターを経営するようなことは、たとえ収益性があるとしても公共性を腐敗させる行為といえます。

このような「民の欠陥」があるからこそ、公共事業・サービスの民間化に対して強い反発が生じているのです。しかし、民間化の手法や分野を十把ひとからげにして「何でも反対」というのは、理論的にも実践的にも間違いですし、社会的にも到底受け入れられるものでもありません。具体的な公共事業・サービスの内容やコストを「民の欠陥」に基づいて包括的かつ厳密に検討した上で、民間化のあり方を判断していくことが必要です。民間化に際しては、必要な公的責任を担保するための規制などが行使されなければなりません。

PFIからみた「民の欠陥」─英国会計検査院の報告書から─

日本の現政権はPFIの拡大に強い意欲を示しています。そこで、PFIを事例に民間化のもつリスクを考察しておきたいと思います。

ここであらためてPFIについて説明しておきます。自治体直営による公共事業では、自治体が地方債を発行して資金調達し、それを使ってインフラや公共施設の建設を行います。その運営は直営の場合もあれば、民間へ委託する場合もあります。建設にかかる実際の財政負担は当該年度の支出ではなく、後年度に発生してくる毎年度の起債償還額(公債費)になります。

他方でPFIの場合には、民間事業者(PFI事業者)が銀行などから資金調達を行い、それを元手に公共事業を実施します。自治体はそれによって完成したインフラや公共施設をPFI事業者に運営させます。その際に自治体は、PFI事業者が調達した建設費や施設の運営費などをカバーするだけの委託費(物件費)を毎年度支出します。この委託費のなかには、PFI事業者の利益も含まれることになります。これを示したものが図です。

図 直営事業とPFI事業の比較
図 直営事業とPFI事業の比較
筆者作成

財政論理からいえば、直営よりもPFIのほうが高くつくはずです。その理由は、①自治体の地方債よりもPFI事業者の借入金のほうが金利は高くなる、②PFIの場合には直営では発生しない利益を委託費に上乗せする必要がある、という2点にあります。それに加えて、上述した監視コストなどを加味すれば、PFIは明らかに高価な民間化手法でしかありません。

このことは、2018年に英国会計検査院が出した報告書PFI and PF2にも示されることになりました。まず、PFIによる建設費は直営よりも高くなる傾向がみられると指摘されました。次に病院PFI を事例に運営コスト(operational costs)を検証したところ、直営との間に違いはみられず、病院事業が外注しているサービス(クリーニングなど)についてはPFIのほうが高い傾向がありました。つまり、運営コスト全体としてみれば、PFIは直営と同等かそれ以上のコストがかかっていることが明らかになりました。そしてPFIの借入金の金利は、2013年時点で公債よりも5%も高かったとしました。これらの他にも、PFIの場合には事業破綻リスクに備えた保険料や外部のアドバイザー費用や管理費用などのコスト負担が発生するとされました。これらのことから、PFIは直営の場合よりも高価であり、学校PFIについては40%、病院PFIについては70%も高いと本報告書は結論づけています。これをうけて、英国財務省は今後の新規案件に対してはPFIを用いないことを表明しました。

このイギリスにおけるPFIの調査結果は、図で示した論理を実証的に示したものとなっています。にもかかわらず、日本で水道事業のコンセッションをはじめとするPFIが推進されるのは、公共ではなく民間の利益を最優先するという現政権の姿勢を反映しているからだとみることができるでしょう。

これからの「官民連携」

2018年度に出された自治体戦略2040構想研究会の報告書(第一次、第二次)は、人口減少社会における官民連携=自治体のプラットフォーム化を提言しました。同報告書では、これによって持続的な住民サービスの供給を支えていく必要性が強調されています。このような提案には公的責任の後退という問題があるのは確かですが、他方では「官民連携」が必要な公共サービスが拡大しているのも事実です。生活困窮者自立支援事業、地域包括ケアシステム、地域エネルギー政策、中小企業政策などはその典型です。2016年の改正社会福祉法における社会福祉法人の「地域における公益的な取組」という規定創設も、こうした「官民連携」を支えようとするものだと解釈できます。自治体は公的責任に基づいて、「官民連携」を適切に活用した公共サービスを展開することが求められているのです。

その一方では、PFIを無原則に拡大していくような政治的流れがあります。このような「官民連携」に対しては、自治体が公共サービスを守り、財政責任を果たすという毅然とした対応をしなければなりません。

これからの「官民連携」は、自治体がその能力を駆使して取り組むべき重大なテーマとなっているのです。それによって、地域の命運が左右されるといっても過言ではありません。

わたしたちが依拠すべき規準は住民福祉のさらなる向上であり、そのためには自治体としての責任の確かな自覚と堅持の下に「官民連携」の創造的な協働が再検討されるべきでしょう。

【注】

  • 1 自治体問題研究所が1980年に出した『「都市経営論」を批判する』は、革新自治体の成果を踏まえた民主的自治体改革の道筋を示そうとした端緒となりました。
  • 2 これら以外にも、PPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)という言葉も2000年代以降に広がりました。しかし、これは直訳すれば「官民連携」「公民連携」となり、その説明や例示もきわめて曖昧です。そのため、PPPとはほとんど無概念であると考えてよいでしょう。
  • 3 以下では、このような手法を総称して「民間化」と表現します。
  • 4 経済学では「市場の失敗」などと表現しますが、ここでは①民の範囲には市場活動に含まれないNPOや地域団体なども存在する、②「失敗」ではなく、そもそも根源的問題=欠陥が内在している、という二つの点から、本稿では「民の欠陥」という言葉を使っています。
  • 5 同じことは、最近流行のネーミング・ライツ(命名権)の売却にもいえます。たとえば、2006年から5年間にわたって東京都渋谷区はサントリーにネーミング・ライツを売却し、渋谷公会堂がサントリーの飲料商品名を冠した「渋谷C.C.Lemonホール」となりました。それのみならず、公会堂の正面入口には黄色いレモンのマークをつけた看板が掲げられました。このような行為は、住民自治のシンボルである公会堂が保持すべき品格を腐敗させるものであると考えることができます。こうした現象をどう評価するかは、経済問題よりも上位に位置する道徳上の問題です。
  • 6 PFIのメリットの一つとして「財政負担の平準化」が挙げられてきましたが、これは「財政錯覚」に基づく誤謬です。それは、自治体の建設に係る財政支出を短期間の投資的経費の負担として捉えることから生じています。現実には、自治体直営の場合でも実際の財政負担である起債償還は中長期間にわたって平準化されて支出されているのです。
  • 7 「公務員の人件費が高いために、直営は高くなる」といわれることがありますが、直営事業の場合でも運営を委託すればPFIによる運営の人件費相当分と同じです。また、「PFIの場合には建設・運営コストがかからない施設ができる」という見解もありますが、これも自治体がプロポーザル方式で事業公募を行えばよいだけであって、直営事業であるかどうかは関係ありません。
  • 8 日本のPFIはイギリスをモデルとしています。そのため、イギリスにおけるPFIの評価は今後の日本のPFIにとっても参考になるものです。
  • 9 管理費用はPFIにかかる総コストの1~2%に上ると推計されています。
  • 10 National Audit Office (2018), PFI and PF2, pp.9-15. なお、PFIと自治体直営とのサービス水準の違いについてはデータ不足から評価できないとしています。Ibid., p.16.
森 裕之

1967年大阪府生まれ。1990年大阪市立大学商学部卒業。1993年高知大学助手、1997年大阪教育大学専任講師、2003年立命館大学助教授を経て、2009年から立命館大学教授。近著『市民と議会のための自治体財政』など。

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