【論文】生活困窮者支援を通じた住民の生活力形成と「官民協働」


釧路市における生活保護受給者自立支援、社会的孤立を含む生活困窮者自立支援の取り組みから、住民の生活力形成などへとつなぐ「官民協働」の質についてみてみます。

国は「ニッポン一億総活躍プラン」

2016年6月、国は「ニッポン一億総活躍プラン」という政策を打ち出し、社会保障分野では「地域共生社会実現」を「官民協働」によって推進するとしています。2019年5月、厚生労働省は「地域共生社会に向けた包括的支援と多様な参加・協働の推進に関する検討会」を立ち上げています。断らない福祉や制度横断的な包括的支援体制づくりと柔軟な補助金運用などの法的な整備を目的としているとされています。

問題は地域共生社会の担い手を「地域共同体」としていることです。担い手とされている地域で暮らす住民の現状はどうでしょう。限界集落化であったり、住民の過半数が高齢者であったり、人口減が進むなど、すでに地域が壊れているところがあるといっても過言ではありません。

しかし、問題点探しでは、住民の生活に根ざした支え合いを発見することはできません。住民一人ひとりの生活力を個人の努力から社会や地域にかかわる作法へと高め、住民の自治力や管理能力につなぐことが大事だと思います。

北海道釧路市における生活保護受給者自立支援、社会的孤立を含む生活困窮者自立支援の取り組みは16年目を迎えます。当事者が中間的就労という生きる場を通じて「かけがえのない私という実存の獲得」を目指すものですが、その取り組みは住民の主体形成や「官民協働」の質に通底するものと考えています。

生活保護受給者自立支援釧路モデルの構図(2004年~)

2004年、国の社会保障審議会(福祉部会生活保護制度の在り方に関する専門委員会)が打ち出した新たな自立論に基づいて自立支援プログラム釧路モデルは取り組まれました。それまでの生活保護の自立は「生活保護を辞める」自立論でした。新たな自立論は、従来の経済的自立に加えて「社会生活自立」「日常生活自立」という3つの自立があるとしました。「生活保護を受けながらの自立がある」とした考え方にカルチャーショックを受けながら生活保護受給母子世帯の自立支援モデル事業に取り組みました。

釧路市では、釧路市保護課長付の、有識者、市民が参加する「支援策の検討会」(以下、検討会)を立ち上げました。おそらく不祥事事案を除いて市民が生活保護行政について議論に加わるのは2004年当時、全国的に初めての試みだったと思います。市民委員からは「エンパワメントの視点がない」「自尊心が基本」などと厳しい指摘があり、就労支援という切り口を改め、社会参加型の支援策を考えました。通称はボランティアです。訪問介護をしている事業所の協力を得て介護の利用者宅をヘルパーと一緒に訪れ、ヘルパーが仕事をしている間、利用者の話し相手をするという取り組みです。

参加した一人の母親から寄せられた感想文には「高齢者のお家に行って話し相手をしてきました。帰りがけに今日来てくれてありがとうと言われてとても嬉しかった。私は今まで褒められたことがない」と書かれていました。衝撃を受けながら自己肯定感はここにあることを学びました。

検討会では、こうした取り組みを「お金が出る仕事ではないが家に籠もっているわけでもない」ので無給のボランタリーな社会活動を「中間的就労」と呼びました。

2006年から取り組みを一般化し、図1のように「釧路の三角形」と表現しました。釧路の三角形は生活リズムなどの日常生活自立ができたら人とのコミュニケーションができる社会生活の自立につながり、後は経済的自立につながるという国のステップアップの考え方を縦方向に組み込みながら、肝は中間的就労それ自体が高次化ではなく横に発展することにありました。ステップアップする人もいるが一般就労がゴールにはならない人もいるからです。

図1 釧路市生活保護自立支援プログラム全体概況(2019年4月現在)
図1 釧路市生活保護自立支援プログラム全体概況(2019年4月現在)
出典:釧路市役所福祉部生活福祉事務所

公園整備ボランティアに参加していた生活保護を受給する高齢者が、「無口だった自分が人のことを心配したり、人と話をしたりできるようになった。皆に会うのが楽しみだ。このような歳になっても自分を変えることはできるんじゃないかと思えるようになった」という言葉が釧路モデルを表しています。

中間的就労─漁網の整網からすすめる(2011年~)

2011年、場面は釧路市の生活保護行政から地域に移ります。一般社団法人釧路社会的企業創造協議会(以下、SBCC)を立ち上げ、中間的就労の場づくりに取り組みました。自立支援プログラムはコミュニケーションに偏っているという批判も受け止めつつ「お金がでる仕事づくり」を目指しました。ボランティアに参加している二十数人の生活保護受給者がつどい、5回ほど話し合いました。その結果、「漁網の仕立て」作業をやることにしました。業界の話では「成果報酬型のため熟練しなければお金にならないから人がこない」「若手で60歳、80歳でベテランに支えられているがベテランが認知症などで辞めていく」現状でした。生活保護で生活が支えられているなか、「整網技術」を時間をかけて覚えることができると考えました。

当初は技術習得が中心で稼ぎはほとんどありませんでした。現在7年余りが経過して10人ほどの当事者が通い、年間合計160万円程度の稼ぎを生み出し、場の管理や作業の進行管理はほぼ当事者の手で行われ、仲間づくりにつながっています。

地元金融機関の幹部は「基幹産業のニッチなところを担っている。廃れかねない整網技術を継承しているところに価値がある」と評価してくれました。中間的就労について一定の理解が地域のなかで得られていることを示すものでした。

生活困窮者自立支援制度とつながる(2013年~)

生活困窮者自立支援法が2013年に成立し、2カ年のモデル事業を経て2015年から施行されました。

生活相談支援事業を全国900余りの福祉事務所設置自治体の必須事業とし家計改善事業や就労準備事業などの任意事業を自治体で選択する制度です。当初、生活保護基準の引き下げと抱き合わせで議論されたことで、同法は生活保護に寄せ付けない「沖合でつり上げる作戦」「水際作戦」という批判が起きましたが、2018年に改正生活困窮者自立支援法が成立し、そうした批判は少なくなりました。

改正法では、同法の目的に「人の尊厳」を掲げ、これまでの経済的事情による困窮に加えて「社会的孤立」を定義に入れました。生活困窮者自立支援法が必要なのは人の生活上の困難が複合的で折り重なっており、同時に孤立を伴っているという社会的背景があるからです。制度ができて6年、国は地域共生社会づくりの中核に位置するとしていますが、この制度がまたぞろ新たな「縦の制度」に収斂してしまうのか、それとも制度を横断して複合的な困難解決に向かうエンジンになるのか、包括的な体制づくりが急がれています。

中間的就労による地域づくり(2018年~)

生活保護や生活困窮の取り組みから始まった「中間的就労」にはそれにとどまらない役目が生まれています。釧路市と飛び地合併した旧音別町は現在さらに人口減少が進み、2005年10月の合併時2800人余りいた人口が14年後の今日1700人台と約1000人減少し、限界集落化が進んでいます。この地に、生活困窮者支援の仲間が退職後移住、その人の周りにサロンのように離農農家の人たちが集まっていました。「ここはフキが特産なんだ」という彼らの声には音別地域のフキとともに歩んだ歴史、愛着、誇りがありました。

そのことに確信を持ち、音別部会というワークショップを開催しつつ、住民自身の主体的な組織として一般社団法人音別ふき蕗団を立ち上げました。山に自生するフキから畑で栽培するフキへ転換し作付けも50㌧を目指すことにしました。「音別未来のくらし」と題した音別部会ワークショップは「ふきで音別町が有名になり、若い人から年配の方までどんな人も自信を持ってイキイキと暮らせる」とのビジョンを共有しました。

音別産のフキの出荷作業。写真提供、SBCC
音別産のフキの出荷作業。写真提供、SBCC

その上で音別部会(図2)はビジョンを支える「官民連携」の枠組みをつくりました。住民が生きる場づくりに格闘し、理解者を社会に増やそうとしている姿に共感するからつながりが生まれるのです。これこそが価値であり連携の本質に通ずるものと思います。

図2 音別ふき蕗団と地域の連携 音別部会
図2 音別ふき蕗団と地域の連携 音別部会
出典:一般社団法人釧路社会的企業創造協議会(SBCC)

「官民連携」と中間的組織

官だけではなく民も実は縦割りのなかに投げ込まれているという自覚から連携を考える必要があります。

一方の当事者である住民の活動は、思いがエンジンでありエネルギーです。官のような政策ではありません。思いから出発した音別ふき蕗団は当初自分たちだけだったので他のことを気にすることはありませんでした。しかし、何もないところからたくさんのステークホルダーと関わることになるにつれ、「ズレ」が起き始めました。

ここでは共通の言語を見いだすことが必要でした。フキの生産量と収穫量であったり、収益と価値であったり、ステークホルダーの立ち位置によって見えている状況が違うという当然の前提をつなぐ共通言語を探り、「ズレ」を修正する作業が必要でした。

音別ふき蕗団を取り巻く音別部会、ビジョンを支える「官民連携」の枠組みの共通言語を探るファシリテーターを果たしていたのがSBCCです。縦割りに押し込められている住民や民間組織にあってファシリテート機能を有するSBCCのような中間組織を育成することは「官民協働」にとって欠かせないものという認識が住民のなかで広がるとともに、政策側の官からみても財政的に中間組織を支えることが「官民協働」にかなうという認識が求められています。

2019年3月議会の市政方針で「いまそこにあるものを生かし、さまざまな分野の人々が関わりながら地域を元気にし、笑顔の輪を広げたい。『音別ふき蕗団』の皆様を中心としたこの取り組みに、地域の大きな可能性、そしてこのまちの明るい『みらい』を確信」という釧路市長の報告がありました。住民の生活力形成、自治力形成への取り組みが文化的な基盤をもった連携を拓いていくものと思います。

櫛部 武俊

1951年富良野市生まれ。釧路市職員(ケースワーカー)をへて、2011年に一般社団法人釧路社会的企業創造的協議会を立ち上げ、現職。