「全世代型社会保障」は消費増税により負担を専ら庶民に強いる「目くらまし」的施策に他なりません。要介護者と介護労働者双方の環境を改善する真の社会保障改革には何が必要でしょうか。
耳に優しく感じる社会保障制度改革
近年政府は「全世代型社会保障」と銘打って、さまざまな社会保障制度の改革を進めています。医療・介護分野も例外ではありません。このようなキャッチフレーズを聞くと、耳に優しく感じるかもしれません。しかし、その内実は本当に医療・介護などの社会保障を拡充することにつながるものなのでしょうか。本稿では、介護労働者の処遇をめぐる問題に関する施策について検討してみたいと思います。
「全世代型社会保障」の特徴
政府は近年、2017年12月に閣議決定した「新しい経済政策パッケージ」などのなかで、「全世代型社会保障」というものを提起しています。その特徴として留意しておかなければならないのは、第1に、社会保障費抑制のため、若年層に高齢者をバッシングさせるイデオロギー的論調と密接な関係を持ちながら展開されている点です。この間、高齢者が直接的にかかわることの多い年金、医療、介護といった分野においては、「高齢者は優遇されている」「シルバー民主主義」などのレッテルを貼り、若年層に高齢者をバッシングさせて庶民を世代間で分断・対立させたり、社会保障不安を煽ったりしながら、給付の抑制・削減を進めるための社会的雰囲気づくりが行われてきました。「全世代型社会保障」はその延長線上の産物と位置づけられることです。
第2に、財源として2019年10月の消費税10%への増税分を充てることを挙げている点です。「全世代型社会保障」は、世代間対立を煽りながら、かつ、専らつつましい暮らしをしている庶民同士の水平的な再配分に負担を委ねる性格を持っています。社会保障制度の経済的機能の面から見た人権としての意義の一つは、所得再配分です。かつ、その再配分は高所得層や企業から、一般庶民・低所得層への垂直的再配分が基軸に置かれなければ、格差是正・貧困撲滅を行うという目的からすると当然あまり意味がありません。消費税増税による社会保障の「充実」は、仮に社会保障の充実に取り組んでいるそぶりには見えても、サービスを切に必要とする一般庶民にとっては多くの場合税負担や自己負担が重くなるわけですから、あまり充実感は得られないのではないでしょうか。誤解を恐れずにいえば、「目くらまし」の施策にすぎません。
見せかけの「社会保障改革」によって、本来行われるべき莫大な利益を上げている大企業や富裕層の負担強化(垂直的再配分)の方向に市民の論調が向かないよう「目くらまし」をする構造になっているのが「全世代型社会保障」のもう一つの特徴といえるでしょう。
全世代型社会保障と介護労働者の処遇改善策?
近年、介護報酬上の加算(介護職員処遇改善加算)などによって、介護労働者の処遇が改善してきているといわれます。たとえば、厚生労働省(以下、厚労省)は「介護従事者処遇状況等調査」をもとに、ここ数年、介護職員(月給・常勤の者)の平均的な給与が20万円台後半から30万円程度に向上してきているとしています。しかし、この金額はあくまでも月給・常勤の介護職員についてであり、手当や一時金も含んでいることに注意しなければなりません。また、同調査はすべての系型の事業所を調査対象としているわけではありません。この間、さまざまな介護労働者に関する他の賃金調査や統計、実際の介護労働者の処遇状況を見る機会がありますが、率直なところ、それらと比べてもやや高めの印象が拭えません。逆に、非正規雇用の労働者では賃金が下がっている職種もあります。実際に、介護労働者と一口にいっても、雇用形態ないし就労する事業所のタイプによって、同じ職種でも相当に処遇の格差が存在するのが現状です。
全体的な印象としては、この間の介護労働者の処遇改善施策は、正規雇用の処遇の労働者の一部については若干賃金が改善している面はあるものの、非正規の労働者などについては、効果は限定的か、むしろ低下しているところも見受けられる、という感じです。
従来の介護労働者の処遇改善策に加え、「全世代型社会保障」ではどのような「改革」が行われようとしているのでしょうか。「全世代型社会保障」における介護労働者に対する施策の目玉は、新たな処遇改善のための施策です。政府の「新しい経済政策パッケージ」(2017年12月)では、介護人材確保のために「介護サービス事業所における勤続年数10年以上の介護福祉士について月額平均8万円相当の処遇改善を行うことを算定根拠に、公費1000億円程度を投じ、処遇改善を行う」ことが掲げられました。これを受けて、厚労省社会保障審議会介護給付費分科会は2018年12月に「2019年度介護報酬改定に関する審議報告」(以下、「審議報告」)のなかで介護労働者の処遇改善について取りまとめています。「審議報告」は、「リーダー級の介護職員について他産業と遜色ない賃金水準を実現する」としています。具体的には、介護報酬上の加算として、支払われる方式が検討されています。
この施策は一見、介護労働者には朗報に思われます。もちろん積極的な側面がないわけではありませんが、評価は慎重にしなければなりません。問題点としては第1に、この施策は介護労働者全体の処遇を抜本的に改善するものにはならないということです。たとえば、先述のように、「勤続年数10年以上の介護福祉士」「リーダー級」という一般の介護労働者と比べて比較的経験・技能があると判断される労働者については他産業の平均的な賃金水準を目指して処遇改善に努めていく方向性が示されていますが、介護労働者の労働条件が一律に改善されるかは未知数です。
現実の介護労働者が強く求めているのは、労働者全体の賃金の底上げです。たとえば、介護労働安定センター「介護労働者の就業実態と就業意識調査」(2017年)の、介護労働者の労働条件の悩み、不安、不満に関する集計結果(複数回答)をみると、介護労働者全体の職場の悩みで最も大きいのは、「人手が足りない」です。介護労働者全体では53・0%、「介護職員」では62・3%が挙げています。そして、2番目に多いのが「仕事の割に賃金が低い」です。介護労働者全体では39・6%、「介護職員」では48・1%が挙げています。いま、現に自分たちがやっている仕事がきちんと評価されていないので、もっと評価し労働条件を改善してほしいというのが労働者の本音です。仕事をしていてもきちんと評価されず、生活も困難なので、短期で辞めていく人が後を絶たず、人材不足が慢性化し、それがさらに労働者の仕事をキツくするという悪循環に陥っています。
また、主たる処遇改善のターゲットが、「勤続年数10年以上の介護福祉士」とされていますが、周知のとおり、介護現場は労働条件の低位性から離職率が非常に高くなっています。介護労働安定センター「事業所における介護労働実態調査」(2017年)によれば、現在介護現場で働く人のなかで10年以上の勤続年数の人は、19・6%にすぎません。多くの労働者は、10年も働き続けることができません。
なお、2019年10月に消費税が増税されることを考えると、仮に労働者の給料は若干増えたとしても、物価が上がるので生活水準自体は実質的にはあまり変わらないかもしれません。
要介護者や一般庶民への影響
第2に、こういった施策を進めると、現在の介護保険制度の下では要介護者や庶民には何らかの形で負担が跳ね返ってくることになります。先述のように、全世代型社会保障は消費税の10%への増税を前提としているため、庶民の生活を圧迫しますし、また介護報酬上の加算という形で労働者の処遇改善を行うと利用者自己負担の増加などとなって利用者に跳ね返ることになりかねません。そうなれば、要介護者はサービスの利用をこれまで以上にいっそう躊躇しなければならない状況も生じかねません。ここに、高齢者層を中心とする要介護者と、若年・就労世代の介護労働者らを、さらには一般庶民を利害対立させ分断する仕組みが設けられています。要介護者や庶民の負担に跳ね返らない方法での介護労働者の処遇改善策が必要です。
介護保険サービスは近年の介護保険制度改革のなかで、中・重度者へのサービスの限定を行い、「軽度者」は次第に介護保険サービスから除外され、「総合事業」や「自助」「互助」に委ねる方向性を強めてきています。また、制度改定のなかでサービス利用時の自己負担も増加してきています。中・重度者には介護労働者が最低限のケアを行うが、「軽度者」はサービスの対象外というような事態となっては元も子もありません。要介護者の医療・福祉サービス保障の拡充と、労働者の労働条件の改善が両立されなくては、社会保障制度の改革としてはあまり意味がないのです。
医療・介護保障の拡充で高齢者も若年層も住み続けられる地域を
この間、筆者は研究や東日本大震災後の被災地支援の関係で、各地の過疎・高齢化の進む地域や災害被災地を訪問したり調査を行ったりすることが多々あります。そこで共通して起きていることは、地域に十分な医療機関や介護事業所などがないということです。このことは地方ではとりわけ高齢層の人々や障がいのある人々が地域に住み続けることができない要因となっています。
現在の政府の社会保障改革は、どんどん医療・介護サービスからケアを必要としている人々を排除しています。また、過疎地の自治体では、財政的余裕もありませんから、医療機関などもその数や規模は現状維持か、縮小という方向のところが多いのではないでしょうか。これでは、住み慣れた地域に住み続けたいと願っている住民でも、住み続けることは困難です。結果として、地域衰退は免れないのではないでしょうか。
他方で、同時に見いだせるのは、地域にある数少ない医療機関や介護事業所、役場などの公的サービス部門が、若年層にとって非常に貴重な雇用の場となっていることです。高齢化が進むなかで地方には医療・介護ニーズが膨大にあります。仮に、そういった人々のケアや生活保障に資する安定した仕事を地方で多く創出することができれば、若年層が安心して住み続けることにもつながります。若年層も地域で住み続けられることができれば、消費が増え、地域の地場産業も盛り返す、といった具合に、過疎・高齢化に歯止めをかけることも決して夢ではないでしょう。
たとえば、介護保険制度などの社会保障制度は、保険料の他に国や自治体による税の投入が行われています。「全世代型社会保障」のように庶民に負担の大きい消費税ではなく、仮に大企業や富裕層から徴収した税を財源として、国の税投入の割合を大幅に増やすなどの制度改正を行い、国─地方間、企業─人間間、高所得層─低所得層間の垂直的な所得再配分を強化すれば、要介護者・庶民の負担増なしに、介護労働者の労働条件改善(賃金、人員・雇用増大など)と、医療・福祉サービス拡充(もしくは利用者自己負担を廃止するなどの方向を目指してもよい)の両立を構想することも可能です。社会保障制度はこうした中身の改変によって、地域における雇用創出や経済振興策の手段としても機能させることができます。
上記を実現するためには、負担能力の少ない庶民に大きな負担を専ら強いる消費税ではなく、この間毎年のように戦後史上最高益を更新している大企業群や、格差社会のなかで莫大な恩恵を受けている高所得層、大株主などへの課税強化が不可欠です。
政府はこの間、社会保障費の増加を財政逼迫の原因として問題視するなかでサービス利用者らを「受益者」とみなして自己負担増大の必要性を積極的に主張したり、「将来世代へのツケ回し」などと表現したりしてきましたが、これは悪意ある論点のすり替えといわざるを得ません。社会保障を実現し、財政を健全化するのであれば、庶民に負担を押し付けたり、次世代が負担をすることになると脅しをかけたりするのではなく、いますぐに負担能力の有り余る大企業や大株主、富裕層への課税を強化すべきでしょう。全国で過疎化や人口減少が深刻になっている今日、高齢者も、若年世代も、すべての人が住み続けられる地域を実現するためには、一刻も早く政策の方向性を転換させなければなりません。
【注】
- 1 厚労省「介護従事者処遇状況等調査(2018年度)」によれば、介護職員処遇改善加算(Ⅰ)~(Ⅴ)を取得した施設・事業所における介護職員(月給・常勤の者)の平均給与額は、30万970円。
- 2 詳しくは、拙稿「介護労働者におけるディーセント・ワークの実現をめぐる現状と課題」『国民医療』No.339、日本医療総合研究所、47~65ページ、2018年を参照。
- 3 内閣府「新しい経済政策パッケージ」2017年12月。
- 4 厚労省社会保障審議会介護給付費分科会「2019年度介護報酬改定に関する審議報告」2018年12月。
- 5 「審議報告」では、一般の介護職員や介護職員以外の職種の処遇改善にも利用できるよう柔軟な運用を認めることを容認していますが、そうすると逆に「勤続年数10年以上の介護福祉士について月額平均8万円相当の処遇改善」は難しくなるでしょう。
- 6 介護労働安定センター「介護労働者の就業実態と就業意識調査」2017年。
- 7 介護労働安定センター「事業所における介護労働実態調査」2017年。
- 8 拙稿「介護保険サービス抑制の問題点:岐路に立つ介護保障」『経済』No.237、新日本出版社、2016年、23~33ページなど参照。
- 9 この間の日本における富の偏在の実態やその問題点については、拙稿「現代の経済社会状況から朝日訴訟の意義を再考する─若者世代から見た朝日訴訟─」井上英夫・藤原精吾・鈴木勉・井上義治・井口克郎編著『社会保障レボリューション いのちの砦・社会保障裁判』高菅出版、2017年、42~61ページ参照。
- 10 財政制度等審議会「令和時代の財政の在り方に関する建議」2019年6月など。