いまや国際的スタンダードになった高等教育無償化がようやく日本でも政治的争点となっています。今回は2019年5月に可決成立した「修学支援法」の内実と今後の課題を考えます。
高等教育無償化の流れ
高等教育無償化の流れはさまざまな抵抗があるにせよ国際的スタンダードになってきています。それは、日本においても規範としては、すでに憲法26条において先駆的にすべての人の「教育を受ける権利」の具現化として、まずは「義務教育」の「無償化」がうたわれています。さらに国連人権規約A規約13条2項において初等教育の無償(a)、中等教育と高等教育の「無償教育の漸進的な導入」(b)(c)(1979年)が掲げられています。日本は長らく、それについての「留保」をかかげていましたが撤回しました(2012年、民主党政権時)。高校の無償化はその具体化の一歩前進でした。
しかし、高等教育の無償化については、この間の自公政権の反対は強く、なかなか前に進みませんでした。それに対して、国民の側には、生活不安感と経済的貧困化の増大、高すぎる教育経費や奨学金返済負担の不満と授業料などの無償化軽減要求が、広範なものとなってきています。この要求に何らかの対応が求められた政権は、後述するようにさまざまな術策を案出してきました。
そして、いまや「幼児教育の無償化」と並んで、「高等教育の無償化」が政治的争点となり、その一つの「回答」が「大学等における修学の支援に関する法律」(修学支援法、令和元年法律第8号、2019年5月10日可決成立)でした。本稿は、その内実を検証して、国民が求めている「高等教育の無償化」とは異質なものであり、危険な内容であることを明らかにします。また、真の無償化のためには、何が必要かを考察します。
近年のわが国の高等教育無償化施策の検討
多くの指摘がありますが、世界的に高等教育人口の拡大が飛躍的に進展しています。日本は、1990年代以降、大学進学率が足踏みを続けるなかで、いまやOECD主要国のなかでは大学進学率は劣位に転落しています。その主な原因は、国の高等教育に対する公費支出の低さ(GDP比0.5%)と突出した高学費にあることは明白になっています。その背景には、新自由主義的な高等教育政策による、競争と格差是認の政治経済を進めている安倍政権の姿勢が大きいといえましょう。しかし、このことは矛盾を生み出しています。グローバル経済競争において、高等教育人口の拡大、とりわけ高度専門職人材の輩出は、総資本の要求でもあります。これを国民の負担において続けるのか、国の公費負担を拡大するのかは、大きな争点になっています。どちらに進むのかは、意見の分かれるところですが、いまやいかなる意味でも高等教育改革は避けて通れなくなっています。そこで、高等教育無償化の政策的検討は、いくつかの複合策を伴って検討されてきました。
一つ目は、教育再生実行会議の提言です。ここには、多様な政策が混在して論じられています。(「これからの大学教育等の在り方について」第3次答申(グローバル化に対応した教育環境づくり)、2013年5月28日、「今後の学制等の在り方について」(幼児教育の無償、義務教育期間の見直し、大学の授業料減免や所得連動返還型奨学金の修学支援)、第5次提言2014年7月3日、「教育立国実現のための教育投資・教育財源の在り方について」(高等教育段階における教育費負担軽減)第8次提言2015年7月8日、「全ての子供たちの能力を伸ばし可能性を開花させる教育へ」(高等教育段階における教育費負担軽減)第9次提言2016年5月20日、などがそれです。
二つ目は、政権の具体化措置として「閣議決定」の形をとる手法です。閣議決定「経済財政運営と改革の基本方針2015」(教育を通じた人材育成は極めて重要な先行投資)2015年6月30日、閣議決定「新しい経済政策パッケージ」(低所得世帯に関する授業料減免と給付型奨学金支給による高等教育の負担軽減)2017年12月8日、閣議決定「経済財政運営と改革の基本方針2018」2018年6月15日(「骨太方針」における高等教育無償化具体策の概要=無償化の対象範囲、支援対象者の要件、支援措置の対象となる大学等の要件、中間所得層の支援)などがそれです。
三つ目は、高等教育無償化の具体的内容の検討でした。文部科学省が設置した有識者会議による報告書がそれです。高等教育段階における負担軽減方策に関する専門家会議「高等教育の負担軽減の具体的方策について」2018年6月14日です。
四つ目は、自民党の憲法改正をめざす上での、国民の改憲への警戒のガードを下げさせる援護措置として、幼児教育と高等教育の無償化を掲げる施策でした。たとえば2017年の憲法記念日の安倍首相の改憲メッセージの改憲4項目に教育条項を含ませたことが、その後の議論を加速させたといわれています。
修学支援法は、「高等教育無償化」といえるのか
修学支援法の柱は、四つとされています。
(1)授業料減免と給付型奨学金の拡充をねらうとされています。しかし、財源は消費税10%への増税分をあてるとされています。逆進性のある消費税を「無償化」の財源にすることは矛盾といわざるを得ません。また、支援対象は、住民税非課税世帯かそれに準じる世帯で、年収380万円未満の家庭が対象とされています。国会質疑では、大学・短大・専門学校に通う約42万人(2019年3月6日の参院予算委員会、柴山昌彦文科大臣答弁)とされましたが、大学・短大・専門学校の在籍者数の約12%にしかすぎないと指摘されています。しかも、年収380万円以上になると、資格を失い、現在授業料の減免を受けている学生も年収が基準を上回ると支援の対象外となります。
(2)対象は、国公私立の大学(大学院を除く)・短期大学・高等専門学校および「専門課程を置く専修学校」の学生です。(同法第2条)対象に学校教育法第1条校以外の専門学校を加えたことは、従来の枠組みを超える積極面も有しています。しかし、大学院生を除外したことは、文科省が示した、その理由の説得力のなさと合わせて大きな問題といえます。
(3)個人の要件については、「特に優れた者であって経済的理由により極めて修学に困難があるもの」とされています。(修学支援法第3条)この点で、子どもの貧困対策推進法(2013年)の関連が指摘されています。「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう」(同法第1条)「我が国の将来を支える積極的な人材育成策として取り組む」(「子供の貧困対策大綱」閣議決定、2014年)という法理念には、低所得層だけを対象として、競争力人材育成をはかるという思想が底流にあるといえます。
(4)確認大学の要件については、「一 大学等の教育の実施体制に関し、大学等が社会で自立し、及び活躍することができる豊かな人間性を備えた創造的な人材を育成するために必要なものとして文部科学省令で定める基準に適合するもの」「二 大学等の経営基盤に関し、大学等がその経営を継続的かつ安定的におこなう」「基準に適合するもの」などを規定しています。(同法第7条2)
さらに「省令」では、次の四つの要件が示されています。
①実務経験のある教員による授業科目が標準単位数の1割以上配置されていること、②法人「理事」に産業界等の外部人材を複数任命していること、③授業計画の作成、GPAなどの成績評価の客観的指標の設定、卒業の認定に関する方針の策定などにより、厳格かつ適正な成績管理を実施・公表していること、④賃貸対照表、損益計算書その他の財務諸表等の情報や、定員充足や進学・就職の状況などの教育活動に係る情報を開示していること、です。
これについては、国立大学協会は、高等教育無償化の条件について、大学の自治への介入と批判(2018年1月26日)しています。日本私立大学連盟も、高等教育無償化の条件について、大学の自主性を脅かすと批判しています。(2018年9月13日)
これまでの「教育の無償化」に対する憲法、教育法の学説
憲法26条第2項後段「義務教育は、これを無償とする」については、「無償化を立法裁量に委ねる立場が憲法学の通説的位置を占めていた」が、その後「授業料無償説」と「修学費無償説」の二説の対立があり、さらに「授業料プラス教科書無償説」が加えられてきました。しかし、教育法学の立場からは、憲法学の消極性に対して国際人権法の規範的理解を踏まえた、中等・高等教育段階を含めた「漸進的無償化義務」を憲法26条の「全体的な規範構造」において論証しようとする動きもでてきています。憲法学者のなかからも、憲法学に抗して「教育法学から放たれた鋭い矢である」と評する理解も現れてきています。この学説的論争には、教育の機会均等理解の差異も潜んでいるといえます。単なる、政策としてではなく、貧困化の現実を踏まえた、人権としての無償性、人間らしく生きるうえでの教育の無償化(高等教育を視野に入れた)の学説構築が射程に入ってきているといえます。
この点で、障害者の高等教育進学に関わって、憲法13条を手がかりに幸福追求権として、高等教育無償化をとらえ、「漸進的無償化促進法」の提案もなされてきています。
今後の課題
高等教育無償化の要求は、当事者や支援団体からも強く表明されてきています。たとえば、「高等教育無償化プロジェクト」(FREE: student advocacy group since 2018)という学生団体は、①学費の値下げにふみだす、②授業料免除枠を大幅に拡大する、③奨学金制度を改善する、をかかげて、「すべての人」への無償化を求めて、東京地区の大学三十数大学の学生から産声をあげてきています。また、全国1340人(126大学)のアンケート実施(2018年9月13日~12月7日)や、イベント、集会を起こしてきています。
こうした動きは、ブラックバイトに抗する運動や、「奨学金被害」に対して全国で組織されている「奨学金問題対策全国会議」と連動して、力強いものになってきています。自治体でも、独自の奨学金制度を設ける事例が増えています。世界でも、高等教育の拡大とともに、その財政負担をどのように解決していくかが大きな争点となっています。北欧などの高等教育を社会負担主義、公共財と考える思想に対して、東アジアの家族負担主義=私財・準公共財と捉える流れがありますが、韓国などではソウル市立大学の学費半額の実現など、大きく変わってきています。修学支援法の欠陥を指摘、批判するとともに、真の無償化の世論をたかめていくことが求められているといえます。
【注】
- 1 憲法(1946)26条の義務教育の無償化は、世界人権宣言(1948)に先立って、画期的なことでした。その後、無償化をめぐる実質化は、法解釈と国民運動によって、進められてきました。
- 2 国連人権規約の教育無償化解釈も進展があります。利用可能性、アクセス可能性、受容可能性、適応可能性の教育への権利保障の4Aスキームをはじめ実際的検討があります。民主党政権時の前進を、その後の安倍政権は「悪夢」としていますが、事態は確実に進展しています。ただし、朝鮮高校を例外としている政権の姿勢には多くの批判が起きています。
- 3 たとえば、三輪定宣『無償教育と国際人権規約』新日本出版社、2018年。
- 4 たとえば、細井克彦『岐路に立つ日本の大学─新自由主義大学改革とその超克の方向』合同出版、2018年。
- 5 高等教育政策が経済成長戦略に組み込まれ、経済政策パッケージとして官邸=内閣府主導(経産省が核)で進められてきています。
- 6 自民党改憲案は、2012年に基本骨格がしめされ、2019年の参議院選挙公約に4項目をあげています。①自衛隊の明記、②緊急事態対応、③合区解消、④教育無償化、とくに④は、国民懐柔策として位置づけられています。
- 7 文科省としては異例な措置ですが、専門学校や国民の要望が強く、貧困化対策法の兼ね合いから踏み切ったとされると考えられます。
- 8 文科省のHPには、Q&Aで大学院の適用除外については、同年齢層の納税者に対する不公平があげられていますが、議論に堪えるようなまともな説明とはいえません。
- 9 中嶋哲彦氏は、「就学支援法と教育の機会均等」と題する報告で(大学フォーラム第2回シンポジウム、2019・6・16)高等教育費の私費負担構造は温存し、低所得層の競争力人材になりうる若者に対して限定的に与えられる恩恵的なものにすぎず、大学改革ガバナンスの押しつけ、学問の自由と大学の自治破壊として強く批判しています。
- 10 今野健一「教育の無償制の諸論点」『教育法学会年報』第48号、有斐閣、2019年、憲法学の立場から重要な論点提示をしています。併せて田中秀佳「教育の無償化政策動向と制度原理」同号参照。
- 11 渡部昭男『能力・貧困から必要・幸福追求へ』日本標準、ブックレット№21、2019年。併せて姉崎洋一「近年の大学政策・大学教育の動向と課題─特別な支援を必要とする学生への大学教育の課題」『障害者問題研究』全国障害者問題研究会、第43巻2号、2015年8月、参照。
- 12 FREEの全国アンケートには、全国から生々しい声が寄せられています。どの高等教育機関に学んでいても、高等教育の無償化(せめて学費の軽減、半額化、給費奨学金の充実増額)は切実なものとなっています。
- 13 岩重佳治『「奨学金」地獄』小学館、2017年、参照。同氏は、奨学金対策全国会議事務局長。