【論文】「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」の意義と課題


2019年12月12日、川崎市議会において「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」(以下、「本条例」という)が可決・成立しました。本稿はその特徴と論点、今後の課題について検討します。

はじめに

2019年12月12日、神奈川県川崎市議会において「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」(以下、本条例)が可決・成立しました。以下では、本条例の内容を明らかにするとともに、本条例を巡る論点を明らかにした上、残された課題を論じます。

本条例の内容

本条例には、大きく3つの特色があります。

(1)包括的な差別の禁止

本条例は、禁止の対象となる「差別」を「人種、国籍、民族、信条、年齢、性別、性的指向、性自認、出身、障害その他の事由を理由とする不当な差別をいう」と定義しています。問題となる「差別」の範囲を幅広く規定するものです。その上で本条例は「何人も、(中略)不当な差別的取扱いをしてはならない」としています。

(2)不当な差別的言動の「禁止」

本条例は、「市の区域内の道路、公園、広場その他の公共の場所において(中略)次に掲げる本邦外出身者に対する不当な差別的言動を行い、又は行わせてはならない」としています。本条例は、ここにいう「不当な差別的言動」とは、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(以下、解消法)第2条に規定する本邦外出身者に対する不当な差別的言動をいう」としつつ、さらに、その類型について、①本邦外出身者をその居住する地域から退去させることを煽動し、又は告知するもの、②本邦外出身者の生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加えることを煽動し、又は告知するもの、③本邦外出身者を人以外のものにたとえるなど著しく侮辱するもの、の3つに分けて明確化しました。さらに、その中でも、市内の公共の場所において、❶拡声器を使用するもの、❷看板、プラカード等を掲示するもの、❸ビラ、パンフレット等を配布するもの、の3つに限定しています。本条例はヘイトスピーチの全てを補足しようとしているのではなく、ヘイトスピーチのうち特に悪質なものをくくりだして規制するものです。

(3)不当な差別的言動に対する刑事罰

そして、本条例でもっとも注目されているのは、(2)で禁止された不当な差別的言動を行った者に対して刑事罰(50万円以下の罰金)を科すとする点です。

もっとも、条例に違反した者に直ちに刑事罰を科すのではなく、まず、市長が同様のヘイトスピーチを行わないように勧告し、勧告に従わなかった場合には命令を下し、それでも従わなかった場合に氏名の公表と罰則をもって対処する形式をとっていることで、表現の自由とのバランスをとったといえます。

条例を巡る論点

本条例はその制定の過程において、激しい議論がありました。以下、主な論点を2つ挙げておきます(以下、傍点は筆者)。

(1)条例で刑事罰を科すことができるか

まず、本条例の根拠法令となる解消法には、刑事罰がないにも拘わらず、下位の条例において罰則を設けることはできるであろうかという論点があります。

この点、「特定事項についてこれを規律する国の法令と条例とが併存する場合でも、(中略)国の法令が必ずしもその規定によって全国的に一律に同一内容の規制を施す趣旨ではなく、それぞれの普通地方公共団体において、その地方の実情に応じて、別段の規制を施すことを容認する趣旨であると解されるときは、国の法令と条例との間にはなんらの矛盾牴触はなく、条例が国の法令に違反する問題は生じえ」ません(徳島市公安条例最高裁判決・最判昭和50年9月10日刑集第29巻8号489ページ)。そして、解消法4条2項は、地方公共団体が当該地域の実情に応じた施策を講ずる責務を定めているため、自治体がその地方の実情に応じた規制を施すことを容認する趣旨であると解され、条例において罰則を設けることは許されると考えられます。

(2)刑事罰を定める条例として「明確性」の要件は満たしているか

刑事罰を定める法令の条項は明確でなければなりません(日本国憲法31条)。この点、本条例の「煽動」(草案の段階では「あおり」)という文言が問題とされました。

しかし、そもそも「ヘイトスピーチ」の本質は差別煽動です。そして、破防法などに関連して「煽動罪」の違憲性が論じられるのは、刑法で規定された教唆犯の処罰が被教唆者(唆かされる者)の行為を前提としているのに対し、煽動罪は被煽動者の行為を必要とせず、したがって、具体的法益侵害やその危険性すら発生していないのに処罰される危険があるからです。この点、ヘイトスピーチの場合、被差別者の被害は「朝鮮人をぶっ殺せ」などと世間一般に対する差別煽動が行われた時点で発生するため、これと同列に論じることはできません。

くわえて、本条例はヘイトスピーチ全てを規制しようというのではなく、拡声器や看板、ビラの配布等、特に悪質なものをくくりだして規制するものですから、明確性の原則に照らしても、批判に耐えうる内容になっていると考えます。

意義と残された課題

冒頭に本条例の特徴を3つあげましたが、本条例の画期的意義は、なにより一定の限定付きではあれ、ヘイトスピーチに刑事罰を科す道を開いたことです。

その意味はなにより、ヘイトスピーチが犯罪たり得るほど重大な人権侵害であることを社会に宣言する効果です。これはレイシストたちに対する抑止効果と同時に、社会一般に対して教育的な効果を持ちます。

他方、本条例は、証拠の収集方法やその取り扱いについて実務上の取り扱いが不透明な部分が大きいのです。また、本条例は、インターネット上のヘイトスピーチを罰金の対象外とした上、川崎市が事例の公表や削除要請などの拡散防止措置を行うとしていますが、海外のプロバイダーに削除要請をする等の措置は地方自治体の手に余る行為であり、根本的には国による立法を待つほかない部分があるでしょう。

ヘイトスピーチ問題を超えて

そして、一定のヘイトスピーチに刑事罰を科す本条例は画期的ではありますが、それは街頭等における一部のヘイトスピーチを規制しうるに過ぎません。ヘイトスピーチ問題の根源には、在日朝鮮人・韓国人に対する、日本社会の抜きがたい差別があります。そして、その背景には、歴史認識や戦後補償を巡る緊張関係があることを忘れてはなりません。

このことを十分に認識し、ヘイトスピーチ問題を超えて、歴史認識や戦後補償の問題に日本人が誠実に向き合うことにこそ、真の解決の鍵があると考えるべきです。

神原 元

2000年より弁護士。自由法曹団常任幹事。武蔵小杉合同法律事務所主宰。著書に『ヘイトスピーチに抗する人々』、共著に『9条の挑戦』(いずれも新日本出版社)。