蒲島熊本県知事は2020年11月、川辺川ダム建設容認を表明しました。そのプロセスは、科学的な検証に基づき、被災者に寄り添い、声に耳を存分に傾けるものだったのでしょうか。
2020年7月4日に球磨川水系流域を襲った豪雨災害を受け、蒲島郁夫知事は2020年11月19日、川辺川ダム建設容認を表明しました。このことにひどく失望しました。
2008年の白紙撤回
「失望」という強い表現を用いるのには理由があります。
かつて蒲島知事は、川とともに生きてきた流域住民の強い意向を受けて、川辺川ダム計画の白紙撤回を表明しました。2008年9月11日の県議会で知事は「人吉・球磨地域に生きる人々にとっては、球磨川そのものが守るべき宝」「住民独自の価値観を尊重することによって、人や地域が輝き、真に豊かな社会が形づくられる」「ダムによらない治水対策を極限まで追求すると同時に、川とともに生きるまちづくりを目指す」と明言しています。
その直後に行われた地元紙による緊急世論調査では、県民の85%が決断を支持し、長年にわたり川辺川ダム問題をめぐって地域社会での対立や分断を余儀なくされてきた球磨川流域に限っても、82・5%が支持しました(熊本日日新聞2008年9月15日朝刊)。
決断に至る過程では、河川工学、公共政策、気象学、生態学といった専門家からなる公開の有識者会議を現地視察も交えて延べ8回開催し、流域住民を対象とした公聴会の実施、メールや文書での意見も呼び掛けるなど、意思決定のプロセスに公正性と透明性を担保しようとする努力が見受けられました。当時の知事決断が肯定的に受け止められたのは、判断もさることながら、その決定プロセスも評価できるものだったからではないでしょうか。
災害文化が機能不全になる豪雨だった
翻って今回の表明は、意思決定プロセスに公正性と透明性を担保しようとする努力が見受けられる、とは到底言えないものでした。
7月4日の球磨川豪雨災害では、わずか28時間足らずで7月平均降雨量に匹敵する降雨がありました。これまでにも1時間に100ミリメートルの降雨が流域を襲うことはあったものの、今回のように本流支流を含めて流域全体に降るといった状況は、まさに未曾有のものでした(表)。激しい豪雨は急激な水位上昇や山の崩れをもたらしました。九州山地南部を流れる球磨川流域は「大水が出る」ことはいわば「年中行事」であり、災害常襲地であるがゆえに減災の知恵である災害文化が根付く地域でもありました。にもかかわらず、球磨川流域だけで犠牲者は50名にのぼりました。
意思決定過程は適切だったのか
今回の豪雨災害がいかにイレギュラーなものであったかが、この事実からうかがえるのではないかと思います。だからこそ、川に育まれた流域の暮らしを今後も続けられるのか、流域の人々が判断するためにも、被害を拡大させた要因やメカニズムを丁寧に解明することは、必須のはずでした。そして、熊本県が国土交通省九州地方整備局とともに設置した「令和2年7月球磨川豪雨検証委員会」(以下、検証委)は、その役割を担うはずでした。
ところが、検証委は2回目で終了し、検証の内容は、豪雨とそれに伴う被害の概況、市房ダムの効果と川辺川ダムが建設されていた場合の効果に関する説明に時間が多く割かれました。結果的に検証委は、何が被害を拡大させたのかに関する要因群やメカニズムを解明することはなく、水害体験者への聞き取りもほとんどしないまま、幕を閉じました。
被災者を含む流域住民や県民からは、抗議や検証の妥当性をただす公開質問状が相次いで提出されました。9月末には被災者団体「7・4球磨川流域豪雨被災者の会」が発足し、被災者の声を聞いてほしい、と訴えました。
こうした県内世論を受け、県知事は被災地に赴き「住民の皆様の御意見・御提案をお聴きする会」(以下、お聴きする会)を10月半ばから11月3日まで急きょ開催しました。
ただ、直接声を聞こうとする姿勢は評価できるものの、その告知は被災者が知るためには不十分で、日時の設定も災害復旧に追われる被災者への配慮に欠けるものでした。復旧作業に追われている方々は、県庁のホームページはもちろん、新聞を読む余裕もないケースも少なくありません。現に、県ホームページを確認し偶然知った筆者が流域の市民団体のメーリングリストにお知らせして「初めて知った」という声もありました。2008年のようにメールや文書提出の呼び掛けがなされることもありませんでした。意見を届けることができたのは、県が設定した平日の日中や土曜日の限られた時間に出席・発言することのできた一部の人に限られました。それでもなお、「お聴きする会」ではダムに反対する声が多かったと報じられています(朝日新聞2020年11月5日朝刊)。
蒲島知事はその後、流域首長や河川工学者、県議会の意見を聞きました。しかし、丁寧な検証と意思決定を求めた被災者を含む流域住民団体からの公開質問状に対して紙面で回答を寄せることはしませんでした。そして、11月19日に川辺川ダム建設を前提とした流域治水を進めていく、と表明したのです。
被災者の言葉の重み
球磨川豪雨災害の1週間後に、筆者も現地に入りました。豪雨災害の爪痕は激しく、被災した旧知の方々にかける言葉が見つかりませんでした。それでも、被災した方の中には「やっぱり川に生かされてきたから、こんなことがあったけれど、川のそばでまた暮らしたい」と語る方もおられました。胸を打たれました。
学生時代から17年通い続け、川のそばの暮らしによって培われた川と人とが共生する知恵と、それに基づいた流域の方々のダム反対の論理とを教わってきました。流域の方々は、ダムが川と流域を壊し水害を引き起こすことを、暮らしの中で実感してきたのです。
知事の判断に至る過程は、科学的な根拠に基づき、十分に民意を汲み取る努力をしたものだったのか。被災しながらも「球磨川は悪くない」と語る流域の人びとの思いを、踏みにじるものではなかったか。一市民として私自身も、問い続けたいと思っています。
【注】
- 1 表の累積雨量・9時間雨量に示した*は、欠測があったことを示す。つまり、記した雨量以上の降雨があった。観測データは国交省「川の防災情報」速報値を転載した。
- 2 熊本県知事および国交省九地整局長、ならび流域12市町村首長を委員として8月25日に開始。第2回を10月6日に開催した。その後、具体的な治水策を検討する場として「球磨川流域治水協議会」が設置されている。