【連載】いいからかん日和 第1回 多様性のなかへ


*群馬県尾瀬のふもと片品村にて四季折々の彩を楽しむ、手で紡ぐ暮らしの営み「iikarakan」経営。

HP:https://iikarakan.com/。「いいからかん」は村の方言で「いいかげん」。

はじめに

「経済より命が大切です。大切な人の命を守りましょう」。コロナ禍により連日耳にするようになりました。私たち人間は所詮、自然界で生きる生き物なのだと痛感します。

コロナ禍により改めて一人一人がどう暮らしていくかを問われる時代になりました。東京一極集中から変化の兆しが見えるいま、地方移住をアチコチの自治体があの手この手で勧めているのを目にします。確かに都市部に比べれば「三密」とは程遠く、四季折々の自然が豊かな地でおいしい食べ物、おいしい水が毎日飲める。子どもたちも伸び伸びと育ち、コロナ禍とはいえ楽しく過ごしているように感じます。

移住といっても地方都市に住むのか、私のように人口4500人ほどの小さな村に暮らすのかでだいぶ違ってくると思いますが、地方に暮らすというのは現実的にさまざまな問題があるのではないでしょうか。よく問題として挙げられるのは人間関係の濃さや地域の付き合いです。17年暮らす私でも「消防団に入って本物の村民になってください」と言われることもあれば「立派な村民だ」と言われることもあります。「村民」と「よそ者」の狭間で揺れるそんな私ならではの視点で、これから5回の連載をお届けしたいと思います。

なぜ「多様性」?

まず最初にお伝えしたいこと、それは地方移住とは「多様性」ということです。都市部の方がたくさんの人がいるのに、なぜ地方が多様性なのか?と思われると思います。

多様性を挙げる一つとして私の話を。私は生まれも育ちも横浜です。高校時代は安室奈美恵ちゃんに憧れるコギャルでした。大好きな渋谷でショップ店員として働き、23歳で店長になりました。しかし、売り上げのノルマや次々に発売される新商品、ヒトもモノも消費される社会に嫌気がさし、たまたま目にした「人を良くすると書いて食」という雑誌のキャッチコピーから、それまでまったく気にしていなかった食について考えるようになりました。食の原点である農業、環境問題まで掘り下げて、「このまま渋谷で考えていても仕方がない! 農の現場を見てみよう!」と思い切って仕事を辞め、ネットで見つけた群馬県北部片品村に24歳単身で飛び込みました。

ついさっきまで渋谷で働いていた元コギャルが農村に来たのだから、地元の人たちが驚くのは当然です。大豆の苗植えのバイトをさせてもらった時のことです。当時ピタッとしたTシャツしかもっておらず、しゃがむと背中が空いてしまう…。「どこを見たらいいのかわからないからこれを着ろ!」と村のおじいちゃんがヤッケをくれました。村の人たちは私のことを珍しがって、毎晩いろんなお家にお邪魔してご飯をご馳走になりました。規則正しい生活、みんなで囲む食卓、当たり前のことがすべて新鮮で心地よく感じました。

その後、片品村以外にもさまざまな農村をまわり、そこで出会った若者たちに衝撃を受けました。大学で環境問題を学びそれを実践したい人、農業を学んでいる人、引きこもりやうつ病を経験した人、ヒッピーのような暮らしをしている人、プロのスノーボーダー、登山家、芸術家の人たち。そんな人たちは都会にもたくさんいるだろうけれど、似たような人としか付き合わず、他人には興味がない。交友関係も狭かったのだと思い知らされました。あんなにたくさんの人がいたのに、空気のようにまるで関心がありませんでした。

農村で出会った人たちとは一人一人としっかり向き合い、相手を知り、自分を知ってもらう。いろんな価値観があって、いろんな生き方がある。私も含め、みんなに共通していえることは、自分にとって何が幸せかを探し考え求め、動いているのだということでした。

しかし地元の人たちは「仕事もないし不便だし何もないところになんで来たの?」と心配に思うのです。「所詮、社会になじめないフリーターでしょ」と言われたこともあります。そもそも安定を求めて移住しようという人はいません。最初はそのギャップに傷ついたり悩んだりしたこともありました。挫折して村を離れる人も見てきました。

昔は、一流の教育を受け一流企業に就職することが幸せ。農家であれば大規模に栽培し売り上げることが幸せ。公務員になって安定した給料をもらえることが幸せ。と、幸せの基準は画一的だったような気がします。

いまは多様な生き方、多様な暮らし、多様な幸せがあります。これからデジタル化が進み、いままでにはない働き方、暮らし方を探し求める人が増えていくと思います。ますます多様性を認識することが大切な時代となってきました。いくら行政があの手この手で移住者を招致したとしても、住民の意識が変わらなくてはいけません。

「楽らく」ではなく「自分なり」

移民が暮らすイギリスの底辺中学校の話『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ著、新潮社、2019年)。そのなかで中学生の「僕」が「多様性は楽じゃない」、「楽じゃないのがどうしていいの?」と聞く母に「楽ばかりしていると無知になるから」というセリフがあります。

自分たちの幸せを追い求めやって来る移住者たち。それを受け入れる住民はやはり楽ではありません。楽ではないけれど、多様な価値観を持つ人が増えたら、きっとその地域はもっともっと面白くなるはずです。多様な仕事が生まれ、多様な大人たちを見て、個性豊かな子どもが育ち、交流人口も増えるでしょう。そう考えるとワクワクしてきませんか。

とはいえ、移住者なら何をしても構わないというわけではありません。「村に住むなら村のルールに従うべき」と考える人もいます。移住者のなかには消防団にも入り、地域の役を全うする人もいるし、私のようにやれることはやるというスタイルで村付き合いをする人も、全く付き合いをしない人もいます。ルール決めはとても難しい問題になってくると思います。移住者もまたそこで暮らす人たちに歩み寄る姿勢が大切ですし、行政に頼らずに自分で人生を開拓していく力が必要だと思います。

移住して17年になる私でさえ、「よそ者」と「村人」の狭間で揺れていて、まだまだ開拓の道半ば。しかしはっきり言えることがあります。私はこの地で自分なりの幸せを見つけたということです。そして片品村に移住し暮らす友人たちはそれぞれ幸せに暮らしているということです。幸せの基準は人それぞれ、自分なりの幸せを見つける。コロナ禍で世界中がパンデミックになったいま、もう一度幸せについて考えてみては。もしかしたらそれは日本の農村にあるかもしれません。

セトヤマ ミチコ

2003年、東京・渋谷のショップ店員を経て、人口約4500人の群馬県片品村に移住。村のお婆ちゃんたちの口癖である「いーからかん」(現地の方言で「いいかげん」)を屋号とし、炭アクセサリー製作、自然農法での野菜作り、冬はスキーのレンタルショップ経営。夫婦で四季折々さまざまな仕事を通し暮らしを営む。