「地表に影響を与えない」はずの大深度工事の「神話」は、昨年10月の東京・調布市の陥没事故で崩れました。しかし今年、リニア新幹線で大深度工事が始まります。ルート上の住民の不安を伝えます。
予想していた事故が起きた
2020年10月18日。東京都調布市東つつじヶ丘2丁目の住宅街の生活道路が陥没しました。民家のガレージ前に幅5メートル、長さ3メートル、深さ6メートルの穴が現れ、近隣住民は一時的に避難を余儀なくされました。
陥没現場のすぐ近くに住む住民は、事故に驚くよりも「やはり起きたか」との認識でした。住宅街の地下で建設されていた高速道路「東京外かく環状道路」(以下、外環)のトンネル掘削による危険性を7年も前から不安視していたからです。
外環計画や調布市の陥没事故についての詳細は他の著者も論じているので、詳細はここでは割愛しますが、一つだけいえるのはこの事故で「大深度法の神話」が崩れたことです。
陥没事故のニュースに「やはり起きたか!」と現場に駆けつけたひとりが、東京都大田区田園調布の市民団体「リニアから住環境を守る田園調布住民の会」(以下、住民の会)の三木一彦代表(63)です。三木さんは現場の状況に息をのみ、こう思った─「田園調布でも同じことが起きるのか…」
というのは、田園調布の住宅街でも、調布市と同じように、その大深度(地下40メートル以深)を直径14メートルもの巨大掘削機、シールドマシンでトンネル工事が行われるからです。
JR東海が建設する「リニア中央新幹線」(以下、リニア)は2027年に東京(品川駅)と愛知県名古屋駅の286キロメートルを最高時速505キロメートルでわずか40分で結ぶ計画です。そのうち東京都、神奈川県、愛知県では延べ約50キロメートルが大深度での掘削となります。(図)
根幹にあるのは大深度法
外環には、従来の地下トンネル工事と決定的に異なる特徴があります。従来、都市部での地下トンネル工事のほとんどは幹線道路の真下で行われたのに対し、外環は、人口密集地の住宅街の真下を長距離掘削するという日本初の工事であることです。
それを可能にした法律が、2001年施行の「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法」、通称「大深度法」です。大深度法では、「大深度」を、人が使うことがない「地下40メートル以深」か「ビルの基礎杭の支持地盤の上面から10メートル以深」と定義しますが、大きな特徴は、「地上の地権者との用地交渉」も「補償金の支払い」も想定していないことです。
この法律が生まれた契機は1995年。大深度地下利用についての調査を求めるため、自民党の野沢太三参議院議員(当時)が、議員立法で「臨時大深度地下利用調査会設置法案」を提出したことに始まります。
野沢氏は1956年から1984年まで国鉄の技術者として山岳トンネル建設に従事し、また都市部でも東京駅から品川駅までの横須賀線のような地下鉄道建設などを担当しました。野沢氏はその経験から痛感したことを、2010年に上梓した『新幹線の軌跡と展望』(創英社)で次のように述べています(概要)。
「都会では土地所有者が所有権などを主張し、補償も要求するため、どうしてもハンコを押さなければならない事態が生じる。用地買収を行えず、ときには何年も仕事が止まった。そこで、地上に影響のない深さ、大深度で、公共目的の地下利用であれば無償で使えるようにしようとの発想が出てきた」。
野沢氏は、それまで地権者と掛け合ってきた交渉や補償が大深度工事なら不要になると読んだのです。
果たして1995年、12人の有識者で組織する「臨時大深度地下利用調査会」が発足。その後3年をかけて、建物の地下階、構造物の基礎、井戸、温泉の位置を調査した結果、調査会は、大深度の地盤は「固く変形しにくい」ことに加え、東京、名古屋、大阪の3大都市圏での地下30メートル以深は、温泉や井戸などを除けばほとんど使われていないことから、「速やかに適正な法制度の構築を期待する」とした答申を当時の橋本龍太郎内閣総理大臣に提出しました。
この答申をもとに、内閣が作成し、2001年に施行されたのが大深度法です。
大深度法は、東京23区を中心とする「首都圏」、名古屋市を中心とする「中部圏」、そして大阪市を中心とする「近畿圏」の人口密集地である3地域のみが対象とされ、事業者は、公共性のある事業(電気、ガス、水道、鉄道、道路など)では大深度地下を無償使用できることになりました。
リニアのための大深度法?
2012年、筆者は政界から退いていた野沢氏に電話をしました。というのは、野沢氏は議員時代に「リニア中央エクスプレス推進国会議員連盟」の事務局長を務めていたからです。いわばリニア推進側の中心人物でした。筆者は、あの議員立法がリニアを睨んでのものだったのかを確認したかったのです。
一つの背景として、リニアの走行実験ルートが山梨県に誘致されたのは1989年。リニア山梨実験線は1997年に完成しますが、JR東海としては、近い将来に、東京から名古屋までのルート設計をしなければならなかったのです。前出の議員立法もこの時期に重なります。以下、一問一答の抜すいです。
――どういう目的意識であの法案を発議したのですか?
「都市部で開発をする場合、土地所有者が所有権などの権利を主張し補償も要求するため、全住民の了解を得るのに何年もかかります。そこで、今まで利用していなかった深さで、公共目的の地下利用であれば無償で使おうと発想したんです。それが地下40メートル以深です」。
――リニアを意識したのでしょうか?
「あくまでも、都市計画全般を考えての議員立法です。とはいえ、リニアにも不可欠との思いはありました。時速500キロのリニアは、民地、公有地の区別なくまっすぐ進むから、手続き簡素化のためにも必要な法律でした」。
このように、野沢氏は筆者の質問を否定しませんでした。
安全であるかを誰も検証していない
そして施行から20年経った今まで、大深度法が適用された事業は極めて少ないです。
事業者が大深度工事をするには、国土交通大臣から「使用認可」を得る必要がありますが、その第1号は、2007年の神戸市の「大容量送水管整備事業」、直径約3メートルの水道管を約270メートル敷設するという小規模建設でした。
次に認可されたのが外環(2014年3月)。3番目の認可がJR東海のリニア中央新幹線です(2018年10月)。そして、現時点で最後の4番目の認可が、大阪府の地下河川計画「淀川水系寝屋川北部地下河川事業」です(2019年3月)。
JR東海も大深度工事の住民説明会を2018年5月に1都2県で開催。そこでは、住民からの「地下からの騒音と振動はないのか?」との質問に、JR東海は「大深度での振動も騒音も地表に近づくにつれて減衰するので、地表に影響しない」と回答しました。
だが、疑問を抱く住民も少なくはありませんでした。大深度工事が地表に影響を与えるか否かの実証を誰もしたことがないからです。リニア山梨実験線にすら大深度区間はありません。この点について、地盤の研究を進める「環境地盤研究所」の徳竹真人所長はこう解説します。
「土質力学の専門家などは『トンネル直径の1・5倍以上の土被りがあれば地上に影響ない』と学会などで述べていました。実際、運用に問題はなかった。でも、かつては複線鉄道の地下工事で約8メートルだったトンネル直径が、近年、徐々に巨大化し、リニアで14メートル、外環で16メートルです。心配だったのは、こんな大口径トンネルに従来の数値計算モデルを適用して良いのかということ。実際、調布では大深度からの振動、騒音、陥没という『常識』外のことが起きました」。
そして、「従来の計算モデルの適応限界を誰も経験していない」と明言しました。
欠陥法
三木さんが、知人を通じ、リニアが田園調布の地下を通ると知ったのは2018年7月。ルートのほぼ直上に住む三木さんは驚き、すぐにJR東海に「説明会の開催を」と要望しましたが、JR東海は「すでに終了している」と受け付けませんでした。
そして、田園調布に住む朝倉正幸弁護士が、自宅が偶然にもリニア・ルートの直上であることからすぐに大深度法を調べると、土地や家屋の所有権よりも大深度地下の使用権が優先されることを保証したその内容に、「これは、財産権の侵害を禁じた憲法29条違反だ」と解説すると、三木さんはますます不安を強めました。
また、大深度法は、地上にはそもそも損害が発生しないとの前提でつくられているので、補償を想定していません。ただし、大深度にある井戸や温泉の源泉やパイプなどは例外です。しかし、第37条でこう定めています。
「(それら施設に)具体的な損失が生じたときは、(土地所有者は)告示の日から1年以内に限り、認可事業者に対し、その損失の補償を請求することができる」(傍点筆者)。
リニアの大深度使用認可の告示は2018年10月17日。しかし、リニアは2014年10月に国交省に事業認可されて以来、立坑や斜坑、仮残土置き場、取付道路などの準備工事はしているものの、告示から2年以上経った今も、大深度工事は未着工。つまり、工事前からすでに、土地所有者の地下の資産については誰も補償されないのです。
さらに、大深度工事の指針ともいうべき国交省の「大深度地下使用技術指針・同解説」によれば、地中の地質を確認するための作業として「100~200メートル間隔でのボーリング調査が目安」と記載されているのに、大田区と隣の世田谷区で見ると、JR東海はルート直上では、ボーリング調査をほぼ400メートル間隔でしか行っていません。これが意味するのは、大深度工事は都市部での地下開発のため、住宅密集という都市特有の物理的背景が工事の基礎となるボーリング調査を難しくし、ずさんな事前調査しかできないことです。
実際、外環でもルート直上でのボーリングは約900メートル間隔でしか行われていません。それも一因として、地中の地質を把握できずに陥没事故につながりました。朝倉弁護士は「これは欠陥法です」と断言します。
田園調布の住民が動く
田園調布は騒音、振動、地盤沈下などに見舞われないか。不動産価値が下落しないか。この不安から、三木さんは「住民の会」を立ち上げました。そして、大田区を中心に大深度使用認可の取り消しを求めた730人分の審査請求書を集め、2019年1月10日に国交省に提出しました。
国交省からその回答である「弁明書」が届いたのは1年半も経った2020年6月1日。そこに書かれていた「住民が抱くのは抽象的な危機感に過ぎない」との文言に三木さんは憤りを隠せませんでした。
これに対して、9月8日、三木さんたちは国交省に「反論書」を提出し、そこではこう指摘しました。
「今まで道路で起きていた陥没や地盤沈下が住宅街で起きることになり、住民は生命、身体の危機に直面することになる」。
果たして、その翌週の14日に調布市東つつじヶ丘2丁目の大深度を直径16メートルの巨大シールドマシンが掘削し、10月18日に陥没事故が起きたのです。
11月20日、「住民の会」をはじめリニア建設に懸念を抱く4団体が、同じ事故は起き得る以上、リニアの事業認可の取り消しなどを求める要望書を国土交通省鉄道局に提出しました。担当者は「調布市での陥没の調査結果を待って対応したい」と話すだけでしたが、筆者の質問に対し、「陥没事故をJR東海は重く受け止めています」と答えました。
だが、その場で国交省はこうも明言しました。
「大深度工事をやると決めた場合、JR東海は2021年度には品川駅近くからシールドマシンを発進させます」。
シールドマシンは1日平均10メートル前後を掘削するので、品川駅から約7・5キロメートル離れた田園調布の大深度は、その1年半から2年後には掘削されることになります。
しかし、リニア計画における問題点の一つは、リニアの大深度工区の約50キロメートルの直上やその周辺には数万軒の家屋があるはずですが、田園調布のように問題意識をもって行動する住民は例外的で、ほとんど誰もが、自宅の真下をリニアが通過することなど知らないのです。その理由は、大深度法は「住民との交渉不要」での工事を認めている以上、事業者が事業の周知をしなくてもいいからです。
しかし、筆者が首都圏でのリニア大深度ルートを調べると、ルート直上には保育園から高校までの教育施設が12もあります。ルート周辺や公園等もいれるとその数は倍以上です。子どもも保護者もこれを知らないのです。
今、東京都、神奈川県、愛知県ではリニア計画に反対する市民グループが、陥没や地盤沈下などの危険性を訴えるチラシを作成し、ルート直上の家々に配布を続けていますが、まだまだ現実感を持てない住民が多いようで、さらなる周知が急がれます。
起こらないとされていた事故が起きた以上、国会で大深度法の見直しは当然あってもいいはずです。これは人命がかかっている問題なのですから。
東京都 | 品川区、大田区、世田谷区、町田市 |
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神奈川県 | 川崎市中原区、高津区、宮前区、麻生区 |
愛知県 | 春日井市、名古屋市守山区、北区、東区、中区 |
▲町名までの詳細情報は https://company.jr-central.co.jp/chuoshinkansen/daishindo/shiyoninka/_pdf/00-02.pdf を参照。(筆者作成)