【論文】公文書管理問題の現状と民主主義


今年は公文書管理法が施行されて10年、情報公開法が施行されて20年にあたります。改めて公文書管理や情報公開がなぜ民主主義において重要なのか考えていきます。

公文書管理法施行10年

今年は公文書管理法が施行されて10年、情報公開法が施行されて20年の節目の年になります。近年では、森友学園問題や加計学園問題、桜を見る会問題など、さまざまな政治問題の中で、公文書が捨てられたり、隠されたり、あまつさえ改ざんされたことが大きな問題となり、改めてこれらの法律への注目が高まっています。

ではなぜ、公文書管理や情報公開は民主主義において重要なのでしょうか。それを考えてみたいと思います。

新型コロナの有識者会議議事録未作成問題

まずは最近の公文書管理についての問題を取り上げてみましょう。

昨年5月、新型コロナウイルス感染症対策を検討してきた政府専門家会議において、逐語の議事録が作成されていなかったことが報じられました。担当相は、専門家会議のメンバーから発言者を特定しない形での議事概要を作成することに理解を得ているとして、議事録を作成しないことを正当化しました。

ただ、多くのメディアで取り上げられて批判を受けたため、議事録を作るかどうかの再検討が行われましたが、最終的には一部の専門家が難色を示したことや、政府内に「自由闊達な議論ができなくなる」という意見が支配的となり、発言者を特定した議事概要を作成して公表すること、「速記録」を残して原則10年後に国立公文書館に移管して公開することとなりました。

この専門家会議は、現在では「新型コロナウイルス感染症対策分科会」と組織替えをして存続しています。議事概要に発言者名は入るようになりましたが、公文書管理法のガイドラインで書かなければならないと規定されている会議場所や開催時間などが書かれていません。また、毎回4ページ程度の簡単なものが公開されているにすぎず、会議内容の再現とはいえないでしょう。速記録が残るのは一歩前進ではありますが、どのような形式のものなのかハッキリとしません。

東日本大震災の際の福島原発事故における国会事故調査委員会による検証は、発生9カ月後から行われました。公文書などの資料だけではわからないことも多く、膨大な関係者にヒヤリングをしており、記憶がまだ鮮やかな時期に検証が行われています。検証というのは、決して当事者を責めるためにあるのではなく、今後おなじことを繰り返さないように教訓を残すという意味でもあります。よって、新型コロナウイルス感染症が落ち着いた時には検証を始めるべきであり、10年後に公開としたのは、自分たちが責められることを過度に恐れた措置としか思えません。

確かに、先を見通せない状況の中で意見表明を迫られる専門家の方の心労は推し量るべきだと思いますが、専門家であり、その発言が政治的に影響を少なからず与えている以上、「責任」を伴うはずであり、議事録が残ることを怖れるのはおかしいと思います。確かに、議事録がすぐに全面的に公開されれば、個人攻撃を受ける恐れがあるでしょうから、配慮が必要なことは言うまでもありません。ですが、議事録を「作成」することと、即時に「公開」することはイコールではないのです。

相次ぐ議事録未作成問題

情報をきちんと公開しなければ、どうしてその決定をしたのかが理解しにくく、決定への不信を招きます。昨年の「アベノマスク」の配布などは典型的でしょう。本来、議事録などの正確な情報を記録して公開することは、政策への国民の理解を高めるためでもあります。隠そうとすればするほど、邪推にあたるような意見も生まれることになり、政府への信頼を損ねることにつながりかねません。

なお、政府の新型コロナウイルス感染症対策がどのように政策決定をされたかについては、果たしてどこまで検証できるのかは疑わしい状況です。政府の「基本的対処方針」を決めている「新型コロナウイルス感染症対策本部」の会議の議事概要は公開されていますが、内部で調整済の事項を読み上げている会議に過ぎず、どのような調整を内部で行っているのかは良くわかっていません。安倍内閣時には、関係閣僚や一部有識者などが集まる「連絡会議」が連日のように開かれていたようですが、議事録や議事概要は一切残っていません。最近ではその連絡会議すら開かれなくなり、さらに決定過程が見えづらくなっているようです。

後から検証を行う際に、果たしてどこまで公文書が残っているのか、心許ない状況です。

なお、新型コロナウイルス感染症対策の議事録問題は、地方公共団体でも問題になっています。『読売新聞』は、都道府県におかれた新型コロナウイルス対策本部会議の議事録を作成していない県が9つあったことを報じています(2020年6月26日付朝刊)。ただ読売は、発言者名と発言内容を記録した議事概要も議事録にカウントしており、逐語の議事録を作っていない県はさらに多いと思われます。

その後、記者から追及された県では、議事録の作成を明言する知事が現れるなどの変化もありました。未作成県の沖縄では、対策本部だけでなく、専門家会議や知事ら三役による幹部会議の議事録も不在であることが発覚しました(『沖縄タイムス』2020年6月17日付)。その後、普天間基地の移転問題に関する知事が出席する会議の記録も残っていなかったことが明らかになるなど、新型コロナウイルス感染症に関する公文書だけでなく、政策決定過程を後から検証するための公文書を作成していないことが常態化していることが明らかになりました(同、2021年5月4日)。

新型コロナウイルス感染症に関連する議事録未作成問題は、他の政策においても、どこまで検証可能な公文書が残っているのかを考えるきっかけになっています。

情報公開法と公文書管理法の制定

では、そもそも公文書の公開を求める情報公開制度はなぜ必要なのでしょうか。

官僚制研究の大家であるマックス・ウェーバーによれば、官僚は自分たちの専門知識や政策意図を秘密にすることで他の政治勢力よりも優位な立場を築き、他者からの批判を受けないようにする傾向があるとされます。専門的な情報を自分たちが独占することで、他者からの批判を跳ね返すことができるようになるのです。

つまり、元から行政機関は情報を隠したがる傾向があります。情報を出せば出すほど、問題点や矛盾などが明らかになります。自分たちが政策を実行するには、都合のよい情報以外を秘密にする方がやりやすいのです。

権力を持つ側が情報を独占している状況、いわゆる「情報の非対称性」を打破するために、「知る権利」という考え方が生まれました。「知る権利」とは、行政機関の持つ情報にアクセスできる権利を国民に認めるべきだという考え方です。主権者が政治に対して何らかの判断を下す場合、行政機関が行っていることが分からなければ、きちんとした判断ができません。だからこそ、知る権利は重要視されることになり、民主的な政体を持つ国家では、情報公開制度が求められていくことになりました。

日本で情報公開運動が盛んになるのは、1970年代以降です。しかし国政レベルでは、基本的に自民党が消極的であったために、情報公開法の制定は困難でした。「情報は権力の源」です。長期政権の下で、官僚と自民党が情報を独占しているのですから、その状況を変えるインセンティブを、彼らは持ち得ませんでした。

そのため、情報公開運動の関係者は地方公共団体での条例の制定に積極的に取り組むことになり、1982年の山形県最上郡金山町を皮切りに、神奈川県や埼玉県などで次々と条例が生まれました。

国で情報公開法の制定が目指されたのは、自民党が下野した際の細川護煕内閣からでした。その後も自民党と連立を組んだ新党さきがけや自由党などが情報公開法の制定を求め、最終的に2001年から施行されることになりました。

これまで公文書の公開は、行政サービスの一環として行われていたため、公開するかしないかは行政側の裁量でした。しかし、情報公開法では開示請求権が認められたため、原則公開されることになりました。また、行政の持つ公文書(行政文書)の定義が初めて法定化されました。

行政文書とは、①行政機関の職員が職務上作成・取得したもの、②組織的に用いるもの、③その機関が保有しているもの、の3つを満たすものとされました。当時の各地の情報公開条例では、決裁や供覧の手続きをされた文書のみを「公文書」としていたり、審議会の議事録や資料などは、審議会自身が「非公開」を決めた場合は公開されない規定が組み込まれていたケースが非常に多くありました。行政側は組織として確定していない情報を公開すれば「不要な混乱を招く」などを理由としていましたが、情報公開を「説明責任」を果たすためであるとの認識はあれども、途中経過を開示して行政に市民を参加させるという意志が弱かったと言えるでしょう。国の情報公開法は、決裁や供覧に限らず、組織として利用していれば行政文書とされ、範囲が広がることになりました。

情報公開法の施行は、審議会の議事録や資料がウェブ上に公開されたりすることが当たり前になるような、公務員の側の意識変革に繋がりました。一方で、情報公開請求に対する文書の「不存在」が多発するようになります。文書を作成していない、文書を捨てている、行政文書にせずに「個人メモ」とされているなど、市民に情報を公開することに消極な姿も浮き彫りになりました。情報公開法は存在する文書に対して公開を求めるものであり、存在しなければ機能しないわけです。

そこで、公文書をきちんと作成し、管理されるような公文書管理法の制定が求められるようになりました。この時、たまたま公文書管理制度に関心を持っていた福田康夫衆議院議員が首相になって、公文書管理法が2009年に制定され、2011年から施行されることになりました。

公文書管理法の第一条の目的では、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であり、「主権者である国民が主体的に利用し得るもの」とし、それをきちんと管理することによって、「行政が適正かつ効率的に運営」され、「現在及び将来の国民に説明する責務が全う」されるようにすることとしています。公文書は民主主義において必要不可欠であることが明確にされ、公文書をきちんと管理することが、現在だけでなく「将来」の国民への説明責任を果たすためであるとされました。

そのため、公文書管理法では、公文書の作成から、管理方法、保存期間満了時に廃棄するか、国立公文書館等で永久に保存するかまでの、いわゆる「ライフサイクル」を法定化しました。

国が開示した「赤木ファイル」。5センチほどの厚さがある。2021年6月。(朝日新聞社提供)

公文書管理法の課題

公文書管理法は、福田首相の肝入りの政策であったこともあり、あまり多くの人に理解されないままに成立しました。議員の中でも、初代公文書管理担当大臣であった自民党の上川陽子衆議院議員や、修正協議の中心であった民主党の西村智奈美衆議院議員など、一部の人にしか理解されていなかったと思います。

私は、公文書管理法は公務員の仕事の方法を大きく変えることになるはずであり、実効力を持つようになれば、大きなインパクトを政治に与えるだろうと考えていました。その後、民主党政権下の原子力災害対策本部の議事録未作成問題から始まり、集団的自衛権の解釈変更時の内閣法制局での検討文書の未作成、南スーダンPKO日報の廃棄、森友、加計、桜を見る会など、繰り返し公文書管理にまつわる不祥事が起きていき、その都度、公文書管理法への注目や理解度は高まっていくことになりました。

その一方で、不祥事を機に公文書管理の骨抜きを図る動きも顕在化してくることになります。日本では長らく自民党が政権の一翼を担い続けてきました。自民党にとって、自分たちが不当に政治介入したり、官僚が「忖度」して自分たちに便宜を図ってくれた証拠は残ってほしくないわけです。そのため、公文書管理の不祥事が起きたとしても、「きちんと残して公開すべき」と主張する大臣は稀にしか現れません。

よって、安倍政権下での一連の不祥事において取られた対策は、なぜ政府に「忖度」して公文書管理がゆがめられたのかという点は問題にならず、「現場の人間」の管理に問題があったことにされ、公文書管理のガイドラインのルールが複雑化しただけでした。

例えば、加計学園問題においては、文部科学省の職員が作成したと思われる文書に、愛媛県今治市に国家戦略特区として獣医学部を新設する計画について、「総理のご意向だと聞いている」として、安倍晋三首相の友人が理事長を務める加計学園への便宜を求められたといった記載があったことがスクープされました。菅義偉官房長官は「怪文書みたいな文書」として一笑に付そうとしましたが、前川喜平前文部事務次官が文科省の職員が作成した文書であったことを認めたことで、その文書の信憑性が高まり、大きな問題となりました。

的はずれの政府の「改善策」

これに対する政府の「改善」策は、文書の「正確性」を期するために、複数の職員による確認を経た上で「文書管理者」(課長級)が確認すること、外部との交渉記録に関しては相手からも確認をとることが、ガイドラインに書き込まれたのです。つまり、課長級の職員が「確認」しない限り行政文書にはならず、外部との打ち合わせの記録は相手の確認を求めよということです。このようにすることで、「怪文書」のような文書が「行政文書」扱いされないようにしたわけです。

公文書管理法が運用されていく中で、行政文書の定義である②と③の公務員と市民との間の解釈のズレが顕在化してきたように思います。公務員側は、組織的に共用することや保存することを、「管理の方法」として捉え、共有フォルダに入っているとか、ファイルに綴じられているといった「組織的に管理」している文書を「行政文書」とする傾向があります。本来の公文書管理法の趣旨は、②は行政組織としてその文書を業務に利用していることを指しているわけで、「複数人で共有されている」といったような「利用の方法」を意味します。③も共有フォルダにあるか否かではなく、組織的に共用されていれば、職場に存在すれば、組織内に保存されていると考えるのです。

その解釈がズレているため、政府の側は新しいルールに則って「適切に管理されている」と言い張り、批判する側は「行政文書をきちんと管理して公開せよ」という主張をすることになり、議論が平行線をたどりやすい状況になっています。

この状況を一朝一夕で変えることはなかなか難しい状況です。本特集でも執筆されている三木由希子さんは、政治の「質」を上げていく必要があるのだと繰り返し述べておられますが、実際にその通りだと思います。公文書管理法を機能させるためには、政治家や公務員が公文書管理法の目的が何であるのかを理解し、国民への説明責任を果たすためになにが必要なのかという原点に戻ってもらう必要があります。そのためには、有権者である市民がより公文書の重要性を認識し、それを隠そうとするようなことに対して批判を重ねていく必要があります。

公文書管理の改善については、公文書管理条例の制定を地方公共団体へ私は期待しています。首長の政策が反映させやすく、公安情報や外交、防衛情報といったセンシティブな情報を持っていない地方公共団体の方が、公文書管理制度の改善を業務改善とリンクさせて行いやすいように思います。

本来、公文書管理制度は、目的にもあるように「行政が適正かつ効率的に運営」されるためでもあります。住民に対する責任を明確にするためにも、公文書管理条例が制定され、より市民から信頼される行政へと発展することを期待しています。

【編集部注】

公文書管理条例は、一般財団法人地方自治研究機構調べで、2021年6月17日現在、都道府県14団体(29・8%)、政令指定都市5団体(25・0%)、市区町村28団体(1・7%)が制定している(27ページ参照)。

http://www.rilg.or.jp/htdocs/img/reiki/019_officialdocumentmanagement.htm

公文書館の設置は、総務省調べで、2017年10月1日現在、都道府県33団体(70・2%)、政令指定都市8団体(40・0%)、市区町村97団体(5・6%)となっている。一方、情報公開条例は、総務省調べで、2020年4月1日現在、1つの町を除きすべての都道府県、政令指定都市、市区町村で制定済みとなっている。

瀬畑 源

一橋大学博士(社会学)。専門は日本近現代政治史(象徴天皇制)。公文書管理制度にも詳しい。著書に『公文書問題』(集英社新書)、編著書に『平成の天皇制とは何か』(岩波書店)など。