(東京)町田市立自由民権資料館が運営する講座「町田自由民権カレッジ」が目指した能動的学びの試みと、卒業生による同窓会やその分科会の学び・市民協働の実践を紹介します。
自由民権資料館とは
町田市立自由民権資料館は、1986年11月3日に自由民権運動と町田の歴史をテーマに、資料の収集・保管、展示などの活動を通して、市民の理解を深めることを目的に開館しました。その背景には、1980年代前半の「自由民権百年」運動の影響がありました。市域には「武相民権運動百年記念実行委員会」の事務局が置かれ、積極的に講演会・シンポジウム・フィールドワーク(史跡巡見)など市民の学習会が開かれました。集会には民権家ご子孫の参加もあり、自由民権運動の歴史的意義を市民とともに考え後世に伝えるためとの条件で、町田市が民権家村野常右衛門のご子孫より土地の寄付を受けたのが資料館建設のきっかけとなりました。
そもそも、立憲政体の樹立を目指した自由民権運動は、国家や社会の課題を自分自身に直接関わることとして引き受ける国民となることを、人びとに求めた運動でもありました。そのため、運動を担った民権家たちも結社を組織し、討論や演説を通して政治や法律、社会のありようを学ぶことで、主体的に社会と関わる精神を養う努力を自身に課していました。つまり、当館は、設立に至る経緯にしても、対象としている自由民権運動というテーマにしても、学びと深く関わっているといえます。
「町田自由民権カレッジ」の実践
町田自由民権カレッジ(以下、「カレッジ」)は、2009年に始めた講座で、年間15回の3年間で終了する長期の講座になります。講師は正規職員1人と会計年度職員3人の計4人で行っています。1年目は学芸員4人によるリレー講義、2年目はゼミ形式での史料講読、3年目はゼミ形式での卒業論文執筆にむけた研究報告を行い、最後に論文を書いて卒業するというものになっています。
カレッジを構想するうえで、念頭に置いたのは、第一に1999年12月、法政大学多摩キャンパスで開かれたシンポジウム「地域研究と博物館─市民的研究との交流を求めて─」での東京都高尾自然科学博物館の実践例報告です。同館では講座の卒業生が対象を決めて研究を継続して専門性を高め、講師を務めるまでに成長しているとのことでした。このような講座運営をしてみたいという思いがありました。
第二には、福島自由民権大学の活動があります。これは、自由民権百年運動から生まれたのですが、大学教員などの研究者、(元)教師などの地元の研究者・郷土史家、民権家のご子孫などで構成される福島県内外の会員が年に2回集まり学習会を開催している自主学習組織で、現在も活動を続けています。
第三には、2007年に当館で編集・刊行した『武相自由民権史料集』と、それを記念して翌年に開催したシンポジウム「地域から考える自由民権」です。『史料集』の「刊行にあたって」には、「自由民権運動の歴史的意義を次世代へ継承するという町田市の目的は、この史料集の刊行をもって達成されるのではなく、むしろ、多くの市民に活用されることが、新たな一歩となるものと考えております。町田市が市民とともに自由民権運動を歴史的に位置づけ、評価し、継承する具として、本書が有効に活用されることを願っております」とあります。しかし、シンポへの市民の参加は極端に少なく、参加した研究者からも、市民に目を向けた資料館として自覚的に運営すべきではないか、との発言がありました。『史料集』で自ら掲げた理想と現実とのギャップを埋める取り組みが、当館に突きつけられた課題でした。カレッジは、この課題と向き合うための試みとして企画したものでした。
めざしたのは、講師の話を聞いて「知る」という受け身の学びにとどまらず、自力で「調べること」「考えること」の楽しみを体験してもらい、調べ方や考察の仕方のスキルを修得する体験を経てもらうことで、市民が主体的な学びのスタート地点に立つ機会を提供したいということでした。開講した当時、地域検定ブームなど知識量を重視する傾向があったこともこの背景にはありました。それに飽き足らず、知識を得るまでの調べていく過程や、知識をもとにして思考することに意味を見いだし、そういう学びの機会を求める市民の需要は社会には少なからずあるはずだ、というのが当時の学芸員の判断でした。
現在、3期生まで卒業し、4期生が今年度で論文を書き卒業することになっています。卒論は日本近世~現代史であれば構わないとしており、当然ながら民権運動以外のテーマにする方のほうが多くいます。テーマ選択の傾向を見ると、講座を受けているなかで出会った史料に興味を持ちそれをテーマにする方、自分の来歴や経験を踏まえ、それをまとめようとする方に分かれます。基本的には「興味深い」「おもしろい」と思うかどうかは、その人の人生や価値観と関わっており、このどちらのタイプも、自分自身を見つめ直す機会でもあるという点で共通しています。
卒業してから一年余り過ぎたところで、卒業論文の内容を基礎にした展示会を「市民協働展」として開催しています。卒論では長文で論理的に説明することが求められますが、展示ではできるだけ短い文章で表現しきる必要があり、自分の調査研究した内容を改めて熟考することが求められるので、よい学びの機会だと考えています。
「まちだ自由民権カレッジ同窓会」の活動
自由民権カレッジの1期生が2011年度に卒業した際に、自主的に同窓会を組織し学び合う関係を維持していこうということになりました。現在は3期生まで卒業し一緒に活動しています。活動内容としては、現在はコロナ禍で会場の確保が難しく、毎月はできていませんが、もともとは毎月例会を開き、個々人の卒論レビューやその後取り組んでいる調査研究について研究報告をしています。『凌霜の風』という会報も毎月発行され、個々人の研究活動の報告等が掲載されています。
そのほかに、4つの分科会が活動しています。①最初に結成された「蚯蚓の会」は、古文書を読みたい方が集まり資料館所蔵史料の解読を行います。青年会・青年団の史料を読み、青年団で活動されていた方々の聞き取り調査なども行っています。②「天野政立研究会」は、現厚木市域の民権家天野政立の史料を解読し、彼の思想研究を目指しています。一字一句にこだわり、音読と現代語訳を試みることで、理解を曖昧なままにしないよう心がけているところに活動の特徴があります。③「んの会」は、一人の研究者の論文数本を読んでその試みの意図や意義を考えるという会です。風変わりな会の命名には、会員全員の名字が「あ行」だったことから誰でも歓迎するという意味、目標としたことを最後まで貫くという意味が込められています。会員間で話し合うだけではなく、対象とする論文執筆者とコンタクトを取り、話し合いながら論文を選択し、会員で論評し合った後に再度論文執筆者と議論するという形式で活動しています。④第一金曜日に集まる「一金会」は、互いの読んできた本について紹介・報告し合う活動を続けています。
「蚯蚓の会」と「天野政立研究会」では、解読した史料を市民協働による史料集刊行につなげようと計画しています。史料集という成果物を目標とすることで、活動の動機付けにもつながっていると考えています。
また、2017年は、当館の開館30周年だったため、当館と同窓会との共同開催のシンポジウム「私にとっての自由民権運動─歴史を学び、歴史に学ぶ─」を生涯学習センターのホールをつかって開催しました。自由民権資料館が同窓会と行う最初の協働シンポなので自由民権運動をテーマにしたいと、資料館側から提案しました。当然さまざまな問題関心を持つ方々で組織されていますから、もう少し広い歴史テーマを掲げてはどうかとの意見も出されましたが、テーマを絞った方が議論が散漫にならないと説得しました。パネラー4人は同窓会員、司会は学芸員と同窓会員が1名ずつ、コメンテーターを筆者が務め、聴衆は80人ほどでした。
「カレッジ」と「同窓会」の意義
最後に、カレッジと同窓会の活動に携わった学芸員として、この学びの実践にはどのような意義があると考えているのかをまとめておきたいと思います。まず、市民が歴史を考える「楽しさ」「おもしろさ」を体感できているということです。資料館の側からすれば、その場の提供に成功しているということになります。
筆者個人としては、「社会教育」から「生涯学習」への行政の姿勢の転換や両者の差異という課題も意識しています。「社会教育」という言葉は、社会と個との関係を重視しての学びに重きが置かれていますが、主語は教育する側にあり、住民は自治体にとって教育すべき対象ということになります。それに対し、「生涯学習」は社会とつながる個という考えが希薄になり、個人主義的であるとともに多様性に重きが置かれていますが、主語は学習する側にあり、自治体は住民をサポートする存在というスタンスに立つ言葉になっています。その意味で、自分でテーマを選び歴史を主体的に学ぶという行為は、自らが置かれている社会や自身の経験と自分との関係を見つめ直すという行為と無関係ではあり得ません。そのため、結果として「社会」との関係を個々人が見つめ直す「生涯」の学びになっているといえるでしょう。
さらに、同窓会の活動は、さまざまな場面で資料館の事業を「市民協働」というかたちで支えてくれてもいます。「市民協働」と銘打った行政の事業の大半は、職員の労力削減のため市民の力を利用しているのが現実でしょう。その意味では、資料館と同窓会との関係は、それぞれの事業を通して、「市民協働」と能動的な「学び」が実現している試みとして重要な意味を持っていると考えています。
課題と今後の展望
カレッジの試みとそこから生まれた同窓会における学びのあり方は、全国的にもあまり例を見ないものではあるでしょう。ただし、すべてがうまくいっているとはいいがたく、課題は山積みというのが現状です。野心的な試みは、その反面学芸員の大きな負荷にもなっており、館の業務全体にその影響が出ているという状況は否めません。勤めて間もない学芸員にも複数回の講義や卒論指導を担うスキルと知識の修得を求めざるを得ません。さらに、4つある分科会のうち2分科会の活動は、学芸員がアドバイスのためにかなり時間を割いてきてどうにか成り立たせてきました。当然ながら産みの苦しみは必要だったのだと思いますが、市民協働事業としての効率化は今後の課題となっています。
また、カレッジは、知識や知恵を効率よく修得することに偏重しつつある風潮に対して、より深く学び考えたい、自分で調べ解決するもしくは考える力を養いたいという欲求に応えるという趣旨の講座です。しかし、それは裏を返せば、気軽に学びたい人に対しては、敷居を高くしてしまっているのでしょう。現状のカリキュラムでは、その多様な学びの欲求に応えられてはいないでしょう。多様な学び方のニーズにどのようにすれば応えられるのか、カリキュラムをどのように改編すればより多くのニーズに応えつつ当初の目的を失わないのかを考える必要がある、というのが現在の当館の課題だと考えています。