「国家『的』事業」の歪みを生む構造はどこにあるのか
「国家『的』プロジェクト」と表現されるリニア新幹線計画。「民間事業」であれ「国策」として扱われるということです。その問題点を国が指摘することは決してありません。
はじめに
1999年。山梨県都留市、大月市、そして笛吹市で私の会った住民は、「いったい、いつになったらリニアの工事を始めるのか!」との憤りを見せていました。
JR東海は、2027年にリニア中央新幹線(以下、リニア)の東京(品川)・名古屋間の開通を目指しています。そのための準備施設として、1997年4月から、都留市と大月市の間に設置した約18キロメートルの「山梨リニア実験線」(その後約43キロメートルに延伸)で実験車両による走行実験を続けています。
この実験線建設のため、多くの桃農家やブドウ農家が土地を手放しました。農家はこう記憶しています。
「1989年に実験線誘致が決まると、JR東海、鉄建公団(現在の独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」)、そして県職員のお百度が始まりました。土地を売ってくださいって。悩んだ私たちは何十回も勉強会や話し合いを持ちました。結局、土地を手放したのは、JRや県が訴える『国家的プロジェクトにご協力ください』『国土の新たな大動脈の構築に土地が必要です』との言葉でした。私たちは『国のために』と泣く泣く土地を手放したんです」
つまり農家は、「リニアは『国家事業』である」と認識するような説明を受けていたのです。そして、21世紀初頭には大阪までの着工をするのだとも。ところが走行実験開始から2年が経った1999年になっても、一向に大阪までの着工がなされる様子もありません。そして、土地を売った人たちは、その年、自民党の「磁気浮上式鉄道に関する特別委員会」の委員長代理の堀内光雄(衆議院議員、当時)の発言に驚いたのです。
「リニア実験線において、JR東海を中心とした民間主導のプロジェクトでは資金運用面で制約がある」
ここで住民は初めて、「国家『的』プロジェクト」とは民間事業であると知り、さらに、金がないことを理由に大阪までの工事が始まらないのであれば、「いったい何のために土地を手放したのか」と不満の声を上げていたのです。
当時、筆者がJR東海広報部に取材したところ、JR東海は国による建設費の拠出を期待していたようです。しかし、国(運輸省・当時)は筆者の取材に、建設の決まっている整備新幹線(北海道新幹線、東北新幹線、北陸新幹線、九州新幹線・鹿児島ルート、同・長崎ルート)に金を出すのが先で、それを飛び越えてリニアに金は出せないと説明しました。国の言い分は正しいです。国はその当時、リニア実験線に予算をつけてはいましたが、それはあくまでもリニアという「新技術」の完成への助成との位置づけでした。
リニア実験線で、延々と走行実験だけが繰り返される様子に、リニア推進派にも「リニアが大阪まで走ることはない」とのあきらめムードが漂っていました。
しかし2007年12月。状況は一転します。
JR東海が突如「大阪までの建設費9兆円を自費で工面して建設する」と発表しました。リニア計画が完全な民間事業であると公言したということでもあります。
ところが、2011年から環境アセスメント(以下、アセス)手続きが始まると、リニア計画と対峙する市民団体は「これは本当に民間事業なのか」とその実態を訝るようになります。
JR東海は、2011年に環境アセスの調査項目とおおよその工事概要を説明する「環境影響評価方法書」の縦覧とその住民説明会を、2013年には2年間の環境アセスの報告書である「環境影響評価準備書」の縦覧とその住民説明会を開催しました。しかし、方法書でも準備書でも批判されたのが、そのあまりにもずさんなアセスの内容です。
水資源、生態系、大気質、騒音や振動、景観、地域分断などのすべての項目について、その予測結果は、「リニア工事による影響は小さいと予測する」との判を押したような表現で評価されていたのです。
JR東海はアセスについての住民説明会を各地で開催しましたが、どこでも質問されたのが、ひとつにはリニア工事による水枯れ(実験線では頻発していた)の未然防止や、5680万立方メートルという東京ドーム約50杯分にもなる膨大な残土をいったいどこで活用するのかでした。
水枯れについては、JR東海はこう答えたのです─「慎重に工事を進めます」
残土問題についてはこう答えました─「都県を窓口にします」
これはリニアが通る1都6県から残土処分の候補地を提示してもらい、それから処分や活用が可能かを調査するということです。ところが問題は、都県を窓口にするタイミングは2014年の事業認可のあとだったということです。逆に言えば、JR東海は、リニア施設への残土利用(盛土をしてのリニア車両基地建設など)を除けば、ただの一カ所も残土処分地を決めることがなかったのに、国(国土交通省)がリニア計画を事業認可したということです。
もしリニアが国家事業であれば、こうはいきません。2002年に国土交通省(以下、国交省)は「建設副産物適正処理推進要綱」という残土処分に関する要綱を出していますが、国交省総合政策局・公共事業企画調整課の説明によれば、「国の直轄事業においては、発注段階において、建設発生土の処分先を決めておくことを推進している」ということです。
しかしリニアは「国家的事業ではあるが民間事業である」以上、それに従う必要はないのです。市民団体は幾度となく国交省と交渉の場を持ち「このまま残土処分地が決まらないのでは、ずさんな処分になる可能性がある。国から指導してほしい」と訴えましたが、国交省は必ず「民間事業には口出しできない」とその監督責任を放棄した答弁に終始しました。
財政投融資
国家「的」事業であるリニアが、いよいよ国の意思で動いていると思われたのは2016年6月1日。安倍晋三首相(当時)が記者会見で「リニアや整備新幹線などに財政投融資(以下、財投)を活用する」と表明したのです。
JR東海は、東京・名古屋までの建設費5兆5000億円のうち、約2兆5000億円を東海道新幹線の収益から充て、残り3兆円をどこかからか工面すると予想されていましたが、どう工面するかが関係者の間では関心がもたれていました。というのは、2013年9月、山田佳臣JR東海社長(当時)が記者会見で「リニアは絶対にペイしない」と公言したように、採算性のない事業に融資をしようとする金融機関がなかったからです。
ところが安倍首相は、3兆円の財投をJR東海に融資すると公表しました。この発表に、同日、柘植康英JR東海会長は「大変ありがたい」と記者会見で歓迎の意を示しました。
この動きに、市民団体「リニア新幹線沿線住民ネットワーク」の天野捷一共同代表はこう疑問を投げかけます。
「絶対におかしい。いざ事業認可された後に社長が3兆円もの公的資金を歓迎するなんて、『自己資金でやる』との前提で進めてきた手続きをすべて無にするものです」
財投はひと言でいうなら「公的資金」です。財源は国民の貯金や年金などの積立金。
財務省が発行した国債を金融機関が購入し、財務省は、そこで得た資金を「財投機関」(政府系の38の特殊法人)に融資するのです。2022年度で約19兆円が融資されています。
財投は、民間企業で対応困難な大規模事業を実施することを目的としています。誰もが知る事例としては、高速道路を建設した「旧・日本道路公団」、長良川河口堰を建設した「水資源機構」や、東京湾横断道路を建設した「東京湾横断道路株式会社」なども財投機関です。
ところがJR東海は財投機関ではありません。では、安倍首相はどうやってJR東海に財投の資金を回そうとしたのか。ここで、国は裏技を展開してきたのです。
財投機関の一つに、JR各社の新幹線を建設する独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(以下、支援機構)があります。政府・与党は、融資などしたことのないこの組織に融資機能をもたせることで、JR東海への融資を可能にする「鉄道建設・運輸施設整備支援機構法」を改正してしまったのです。
この改正法は同年11月に成立し、果たして支援機構は、JR東海に5回に分けて延べ3兆円を融資しました。融資の内訳は、「返済期間は40年だが、最初の30年は支払い据置」、「利子0・6~1%」(市中銀行は3%前後)、そして「無担保」という一般金融機関ではありえない超優遇措置です。
大深度法
2020年10月18日。東京都調布市東つつじヶ丘二丁目の生活道路が突然「ドーン」という音とともに陥没しました。その地下47メートルで直径16メートルという巨大なシールドマシンが高速道路「東京外かく環状道路」(以下、外環)を建設していたことが原因です。
この事故の特徴は、地下鉄などのトンネル工事の多くは幹線道路の真下で行われていたのに、調布市では住宅密集地の真下で行われていたことです。
それを可能にしたのが2001年施行の「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法」(以下、大深度法)です。この法律は、地下40メートル以深の「大深度」空間においての工事では、地上の地権者との交渉も補償も不要としました。
国交省が、大深度法の適用を認可した事業は2022年6月時点で4つしかありません。
最初が2007年の神戸市の「大容量送水管整備事業」で、直径約3メートルの水道管を約270メートル敷設する小規模建設でした。次の認可が外環(2014年3月)。3番目がリニア(2018年10月)。そして4つめが、大阪府の地下河川工事の「淀川水系寝屋川北部地下河川事業」(2019年3月)となっています。
大深度法が生まれた契機は1995年。大深度地下利用についての調査を求めるため、自民党の野沢太三参議院議員(当時)が、議員立法で「臨時大深度地下利用調査会設置法案」を提出したことに始まります。
野沢氏は議員になる前は、旧国鉄の技術者として山岳トンネルや都市部での地下鉄道(東京駅から品川駅までの横須賀線など)を担当していましたが、その経験から痛感したことを2010年に上梓した『新幹線の軌跡と展望』(創英社)にこう記録しています。
《都会では土地所有者が所有権などを主張し、補償も要求するため、どうしてもハンコを押さなければならない事態が生じる。用地買収を行えず、ときには何年も仕事が止まった。そこで、地上に影響のない深さ、大深度で、公共目的の地下利用であれば無償で使えるようにしようとの発想が出てきた。》
つまり、野沢氏は、地権者に費やしてきた長時間に及ぶ交渉や膨大な補償が、大深度工事なら不要になると読んだのです。
詳細は割愛しますが、上記議員立法の成立を経て、12人の有識者が「大深度の使用を促進すべし」とする答申を出したことで、大深度法が施行されます。
ただし、野沢氏の経歴には気になる点があります。野沢氏は議員時代に「リニア中央エクスプレス推進国会議員連盟」の事務局長を務めていました。つまりリニア推進の中心人物でした。また、野沢氏が議員立法で法案を提出した1995年はちょうど山梨リニア実験線の建設中の時期でもあります。大深度法は将来のリニア計画を睨んだものではないのか。筆者はその疑問を確認するため、2012年に野沢氏に電話取材を試み、以下のやり取りをしています。
─どういう目的意識で大深度の利用を推進したのですか?
「都市部で開発をする場合、土地所有者が所有権などの権利を主張し補償も要求するため、全住民の了解を得るのに何年もかかります。そこで、今まで利用していなかった深さで、公共目的の地下利用であれば無償で使おうと発想したんです。それが地下40メートル以深です。大深度の用途は多岐にわたるはずです」
─リニアを意識したのでしょうか?
「あくまでも、都市計画全般を考えての議員立法です。とはいえ、リニアにも不可欠との思いはありました。時速500キロメートルのリニアは、民地、公有地の区別なくまっすぐ進むから、手続き簡素化のためにも必要な法律でした」
このように、野沢氏は筆者の質問を否定しませんでした。大深度法はリニアのために策定されたといっても過言ではないかもしれません。
止まったシールドマシン
大深度法に則り、工事前には事業者は住民説明会をしなければなりません。
外環の事業者である3事業者(NEXCO東日本、NEXCO中日本、国土交通省)は2013年に、リニアの事業者であるJR東海は2018年に住民説明会を開催しましたが、いずれも住民には「大深度という深い場所での工事では地表に影響はない」と説明しました。
2015年3月20日の第189回国会国土交通委員会でも太田明宏国土交通大臣(当時)は「外環の工事では、地上への影響は生じないものと考えております」と発言しています。
この前提は2020年の外環の陥没事故で崩れました。ところが、2021年5月8日。第204回国会参議院国土交通委員会で、里見晋・国交省大臣官房土地政策審議官は「大深度法の使用認可制度は、合理的な権利調整のルールを定めるもの。直接、工事の安全性を担保する規定はない」と、「影響はない」との太田大臣見解をあっさり否定すると同時にまったく別の理屈を持ち出してきたのです。
そして昨年10月、いよいよ東京都品川区でもリニア工事で初めて直径14メートルのシールドマシンが大深度で発進しました。ところが、シールドマシンは今年3月末時点で50メートル掘進しただけで稼働しなくなり、6月末時点でも止まったままです。
外環工事でも、シールドマシンがたびたび稼働しなくなったことがあり、そのために掘削面を柔らかくするための気泡薬剤を大量に投入したことで地盤が緩み陥没に至りました。同じことが起きないのか。その不安を抱いた約50人の市民が今年5月に国交省と交渉の場をもったのですが、市民が驚いたのは、国交省はその原因調査のための現地視察すらしていないことでした。
岸田文雄政権下で2022年6月7日に閣議決定した「新しい資本主義」の実行計画では、「田園都市国家を支える交通・物流インフラの整備に取り組む」ことが明記されており、リニア計画については以下のように記載されています。
「特にリニア中央新幹線については、水資源・環境保全などの課題解決に向けた取り組みを進めつつ、三大都市圏やその周辺地域をつなぐ高速かつ安定的な交通インフラとして、早期の整備を促進する」
これは、リニアは「国策」であると宣言したようなもので、その「国策」を進める道具である大深度法の見直しについては国会で議論される気配すらありません。一方で、リニアの実現は、見通しが暗いのも事実です。
今止まっているシールドマシンの再稼働の予定は立たず、JR東海は、昨年、さらに1兆5000億円の工費が必要だと公表しましたが、どう工面するかは公表されません。しかし「国策」である以上、財投に次いで国の助け舟があるかもしれません。今後の国の動きには注目したいところです。