【論文】今こそデジタル・インクルージョンを

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今こそデジタル・インクルージョンを

誰でもが受けられるべきデジタル化の恩恵ですが、コロナ禍の中で、恩恵の格差(デジタル・デバイド)がより深刻化しました。その格差の解消をめざすのがデジタル・インクルージョンです。

総務省の新たな政策を考える

総務省は6月17日、一つの調査報告書を公表しました。「メディア情報リテラシー向上施策の現状と課題等に関する調査結果報告」です。この報告書は「偽・誤情報に関する啓発教育教材「インターネットとの向き合い方~ニセ・誤情報に騙されないために~」の公表内容の一部に過ぎなかったため、あまり目立たない地味な報告書ですが、これまでの総務省のメディアリテラシー政策を根本的に変えてしまうインパクトを持っています。

総務省はこの調査報告書を作成するにあたり、「ICTリテラシー向上施策研究会」を立ち上げ、「偽・誤情報に関する啓発教育教材」を開発するとともに、世界中の偽情報・誤情報政策・施策を検討しました。筆者もそのメンバーの一人でした。

本報告書の趣旨はあくまでも偽・誤情報対策ですが、世界中で取り組まれているこの問題に対する政策・施策を一望することができます。それほど、この問題は深刻です。おりしもロシアがウクライナ侵略を始め、世界中にロシア政府がでっち上げた偽情報やプロパガンダが流布されています。日本も例外ではなく、ソーシャルメディア上には日本語による偽情報・プロパガンダが拡散されています。こうした偽情報やプロパガンダが西側諸国に混乱と分断をもたらすことが目的だとしたら、その目的はおおむね達成されているといえるかもしれません。

総務省はこれまでの教育工学の影響を強く受けたICTリテラシー政策にかえて、ユネスコのメディア情報リテラシーとデジタル・シティズンシップ概念を政策に位置付けました。それは当然のことながら、世界各国が取り組んでいる偽情報・プロパガンダ対策も含むものです。

もう一つ重要な点があります。ユネスコのメディア情報リテラシーにせよ、デジタル・シティズンシップにせよ、その一丁目一番地に「デジタル・インクルージョン」が置かれている点です。すなわち、深刻化するデジタル・デバイドの解消です。

デジタル・インクルージョンの重要性

新型コロナウイルス感染症パンデミックの中、デジタル・デバイドはより深刻化しました。それは主として二つの点にあります。一つは、行政におけるデジタル化の格差であり、もう一つは市民のICT機器活用能力(デジタルリテラシー)の格差です。総務省の令和3年版『情報通信白書』(2021年)にも、パンデミック下で「情報セキュリティ」、「リテラシー」、「利活用が不十分」、「通信インフラが不十分」及び「端末が十分に行き渡っていない」といった点が浮かび上がったことを明記されています。パンデミック下におけるインターネット利用率は、地域や年収によって大きな格差があることが明らかになりました。

台湾のデジタル担当大臣オードリー・タン氏がICTを活用したさまざまな施策を行ったことで有名ですが、彼の思想には「インクルージョン」が深く刻まれています。この視点がなければ、どんな最先端のテクノロジーを導入しても一部の人間しか恩恵は受けられません。

デジタル・インクルージョンとは、デジタル・デバイドを解消し、すべての人々がデジタル化の恩恵を受けられることをめざす理念です。2010年、オバマ政権のもと、アメリカの連邦通信委員会(FCC)は全米ブロードバンド計画を発表しました。当時は全米の3分の1にあたる1億人がまだインターネットの恩恵を得ていませんでした。この計画は10年にわたって全米に高速ブロードバンド網と、それを誰でも利用できる環境整備を目的としたものでした。この計画に呼応して、博物館図書館サービス振興機構(IMLS)は報告書「デジタル・コミュニティの構築:行動のための枠組み」を発表し、デジタル・インクルージョンへの取り組みを開始したのです。

その内容には以下の3点が含まれています。

  • (1)すべての人が高度なICTの利点を理解できる。
  • (2)すべての人が高速インターネット接続機器やオンライン・コンテンツに公平かつ手頃な価格でアクセスできる。
  • (3)すべての人がこれらの技術を利用して、教育的、経済的、社会的な機会を利用することができる。

アメリカでデジタル・インクルージョンの実現に際して、とりわけ大きな役割を担ったのは公共図書館であり、図書館員たちでした。日本でも公開された映画「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」でもデジタル・インクルージョンは大きなテーマの一つでした。映画にはさりげなく低所得者に低価格でルーターの貸し出しをしているシーンを見ることができます。

デジタル社会に参画する力

筆者は、都内にある自主夜間中学校で忘れられない経験をしました。文字の読み書きが十分にできないある学習者がスマートフォンを持っていたのです。どうやって使うのかと聞くと、音声で操作するといいます。確かに、スマートフォンには視覚障害者のために音声で操作する機能があります。もし、文字の読み書きができなければ、デジタル機器は使えないと思っていたとしたら、それは偏見です。

実際、ユネスコも発展途上国でのデジタル・テクノロジーと識字教育の統合をめざしたプログラムの結果、同じ結論を導いています。デジタル・インクルージョンは、すべての人を対象にしています。デジタル機器にアクセスできる特定の人たちだけのものではありません。むしろ、ハンディーキャップを持っている人々こそがデジタル化の恩恵を受けなければなりません。デジタル・シティズンシップの土台にはこのような多様性の理念があります。

しかし、民主主義社会にとっては、デジタル化の恩恵を受けるだけではなく、デジタル端末を使って社会に参画することが必要となります。そのための能力がデジタル・シティズンシップです。5月15日に発表された総務省の「2030年頃を見据えた情報通信政策の在り方答申案」では、デジタル・シティズンシップが次のように定義されています。

「デジタル技術の利用を通じて、社会に積極的に関与し、参加する能力を指すものであり、コンテンツの作成や公開、他者との交流、学習、研究、ゲーム等のあらゆるデジタル関連の活動を行う能力に加え、オンライン消費者意識、オンライン情報とその情報源の批判的評価、インターネットのプライバシーとセキュリティの問題に関する知識など幅広いリテラシーを含む」

総務省は、デジタル・インクルージョンを含むデジタル・シティズンシップへの取り組みを今後全国的に広げていくことになるでしょう。その中心的役割を担うのは、公共図書館や生涯学習センター、公民館などの社会教育施設です。

地方自治体の行うべき取り組み

社会のデジタル化(デジタル・トランスフォーメーション)は、その土台にデジタル・インクルージョンとデジタル・シティズンシップの理念が不可欠です。総務省の施策に合わせて、全国の地方自治体での取り組みが求められます。

総務省が毎年実施している通信利用動向調査によれば、スマートフォンなどのモバイル端末の世帯保有率は9割を超えます(令和3年版『情報通信白書』)。見方を変えれば、100%ではないということです。まずは、文字どおり誰でもインターネットに接続可能な環境を実現することが最優先されます。

もう一つは公共施設におけるインターネット接続サービスの充実です。とりわけ公共図書館は、デジタル・インクルージョンの最前線でなければなりません。たいていの公共図書館にはインターネット接続サービスがありますが、それが多くの市民に利用しやすい環境になっているか、確認する必要があるでしょう。

さらに、高齢者や在日外国人を含め、多様な人々にとってネット上の公共情報サービスが使いやすいものであること、そして、デジタル端末を利用するためのデジタルリテラシー講座なども必要です。また、総務省の報告書にあるように、単にデジタル端末が使えるだけではなく、偽情報や誤情報、ヘイトスピーチに対抗し、市民社会に参画するためのリテラシーの形成が求められます。

学校教育にも同じことが言えます。デジタル・シティズンシップ教育を推進する吹田市の教育センター所長草場敦子氏は、児童生徒1人1台のタブレットを配布するGIGAスクール構想をデジタル・デバイドの解消策として位置付けたと語ります。デジタル・シティズンシップ教育がスムーズに導入されたのはこのような理念があったからです。

教育委員会もまた、吹田市の事例のようにGIGAスクール構想をデジタル・インクルージョン実現のための政策と位置付けるとともに、デジタル・シティズンシップ教育を早急に自治体の教育政策に位置付ける必要があります。

誰ひとり取り残さないデジタル社会に向けて

総務省が新たな政策を発表した後、私は今後の政策に対してアドバイスを依頼されました。私の回答は、デジタル・インクルージョンの理念をより重視することでした。総務省自身が『情報通信白書』の中で、誰ひとり取り残さないSDGsの理念を掲げ、デジタル・インクルージョンの重要性を指摘しているのです。つまり、すでに述べたように、全世代のみならず、ハンディキャップを持つ人や外国籍の人、そしてインターネット環境を得ることが困難な人々など多様な人々への支援が欠かせません。社会のデジタル化、すなわちDX政策を進めるのならば、デジタル・インクルージョンは絶対条件です。それは総務省だけの問題ではなく、文部科学省などの他省庁や地方自治体も決して忘れてはならないことです。

そして同時にデジタル時代の市民として、偽情報や誤情報、そして国家プロパガンダを読み解き、自分自身の意見を表明し、デジタル社会に参画する力を得ることが求められます。つまり、このような政策はトップダウンで進められるべきものではなく、市民との協働が大前提となります。おそらくどのような自治体でもデジタル・インクルージョンやデジタル・シティズンシップに関係するさまざまな活動が存在しているはずです。プログラミングを地域課題の解決に役立てようとする「コード・フォー・ジャパン」はその一つの例と言えるでしょう。

デジタル・インクルージョンとデジタル・シティズンシップの時代はすでに目の前にあります。キーワードはSDGsであり、誰ひとり取り残さないデジタル社会の実現です。DXという言葉が日本中で使われるようになりましたが、デジタル・インクルージョンやデジタル・シティズンシップという言葉はまだまだ十分に知られていません。しかし、DXはSDGsにつながるものでなければ、中身のないものになってしまうでしょう。だからこそ、デジタル・インクルージョンやデジタル・シティズンシップの実現を主張する価値があるのです。

坂本 旬

1959年大阪生まれ。教育系出版社や週刊誌などの記者を経験したのち、朝日新聞社、毎日新聞社を中心に雑誌執筆者として活躍。1996年より法政大学教員。現在はキャリアデザイン学部教授として図書館司書過程を担当。

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