【論文】ごみ処理場の立地問題と「公正」の諸相

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ごみ処理場と「公正」

本稿では、「公正」の観点からごみ処理場と合意形成について考えてみます。焼却場や埋立場などのごみ処理場の建設に対して、主に候補地周辺の住民から反対の声が上がることがあります。ごみ処理場はいわゆる迷惑施設の一種とされます。施設自体がもたらす環境リスクだけでなく、ごみトラックに起因する様々な「迷惑」、地域発展の阻害(その土地を地域発展のために有効利用したい)、不動産価値への影響、地域イメージの悪化など、様々な理由から住民に忌避されます。

ごみ処理場への反対には、しばしばNIMBYという非難が投げかけられます。Not-In-My-Back-Yardの略で、「その必要性は認めるが、自分の近所(裏庭=back yard)に建てることには反対する」態度を指します。NIMBYには、社会全体の利益を損なう「地域エゴ」という否定的な意味が込められています。しかし、住民の反対は必ずしも「地域エゴ」であるとは限りません。

特に、施設立地に伴う不公正への不満が反対の大きな理由になることがあります。迷惑施設は、その便益は広く多くの人々に享受される一方で、一部の人々に集中した負の影響をもたらします。そのため、周辺住民からしてみれば、「なぜ我々が犠牲にならなければならないのか」、「迷惑を一部の住民に押し付けて知らん顔している人たちこそエゴだ」ということになります。さらに、迷惑施設の立地には格差や差別が介入し、貧困層や人種・民族的なマイノリティが多く住む地域に集中する傾向が指摘されてきました。こうしたことから、「公正」の問題にどう取り組むかが、合意形成への鍵を握ることになります。

「公正」の諸相

しかし、施設立地紛争における「公正」は一様ではなく、様々な類型が存在します。ここでは次の4つに大別してみましょう。

表 

公正の諸類型

①「立地の公平な分担による公正」は、地域間で施設による負担が公平に分担されるべきという考え方です。後述する東京23区の自区内処理原則と一区一工場政策は、この公正の典型的な適用例です。ただし、公平な分担には、単純な平等分配から、ニーズや人口などの一定の基準に比例した分配、裕福な地域ほど貧しい地域より多くの負担を受け入れる累進的分配まで様々な考え方があります。また、ごみ処理施設だけでなく様々な種類の迷惑施設が存在するため、どの施設を考慮するかによって、公平性の評価も違ってきます。

②「補償による公正」は、立地地域は負担に応じた補償を受けるべきという考えです。いわば、便益を供与することによって、当該地域の受益と受苦の不均衡を是正する手法です。金銭や有益な施設の提供といった補償措置は、ごみ処理場だけでなく様々な迷惑施設で用いられてきました。

③「発生抑制による公正」とは、施設の必要性を生む源を抑え、施設の数や規模を最小化することで公正を実現する考え方です。これまでの2つの公正概念が施設の必要性を前提としているのに対し、施設の必要性を生む根本原因に取り組むことを指向しています。環境被害における差別や格差の是正を目指す環境正義運動が、NIMBYという非難に対抗してNIABY(Not-In-Anybody’s-Back-Yard:誰の裏庭にも作らせない)を唱えたように、環境リスクの公正な分配から、発生源の抑制に視点を転換する考え方です。

④最後は「手続き的公正」です。これまでの3つは、いわば結果の公正です。しかし、公正は、最終的な結果だけでなく、その結果が生じるまでの過程にも関わります。この観点からは、負担の分配は、それが公正な手続きで決まったものであれば正当化されることになります。もちろん、公正な手続きについての考え方も多様で、不偏性、機会の均等、自発性、参加、熟議など、様々な基準が考えられます。施設立地問題の研究者や実務家は、従来の強権的なやり方では上手くいかないことから、より民主的で地域住民の参加と自発性に基づいた手続きに注目してきました。

これらの公正の諸概念は必ずしも相互に対立するものではありません。しかし、施設立地紛争では、立場によって公正の考え方が対立することがあり、これが合意形成を困難にします。また、ある公正の理念が多くの人々に受け入れられるかどうかは、その時代や地域の社会経済的文脈に応じて違ってきます。

自区内処理原則をめぐって

ここでは、具体例として東京23区の自区内処理原則を取り上げます。自区内処理原則は1970年代の東京ごみ戦争から生まれてきた理念です。「自区のごみは自区内で処理する」ことを意味し、各区に清掃工場を立地する一区一工場政策として具体化されました。

▶15号地埋立処理場埋立状況

(『東京都清掃事業百年史』から)

この「立地の公平な分担による公正」に基づく理念に対して、どのような異議が唱えられたのかを、社会経済的な背景も含めて見ていきましょう。

自区内処理原則は江東区によって提唱されました。江東区に隣接する埋立場には23区からごみが持ち込まれ、区民は、ハエ、ネズミの大発生やごみトラック公害など、ごみ公害に長年苦しんでいました。1971年、高度経済成長下でのごみ量増加と清掃工場建設の遅れに対処するため、東京都は既存の埋立場の拡張を提案します。しかし、江東区は提案を拒否し、自区内処理原則を唱え、焼却処理を進めるために各区に清掃工場を建設するよう求めました。これが第一次東京ごみ戦争の発端です。これを受けて、東京都は一区一工場を政策目標として掲げることになりました。

清掃工場の立地を求められた区や住民からは、自区内処理原則への異議が唱えられました。港区、中央区、新宿区は、食肉処理場や汚水処理場、し尿処理場、下水処理場といった他区も利用する施設を受け入れていることから、ごみ処理場のみを対象として負担の公正を目指す自区内処理原則に疑問を呈しています。

▶江東区のごみ搬入阻止

(『東京都清掃事業百年史』から)

また、自区内処理原則による建設の正当化に対抗して、手続き的問題が取り上げられていきます。1970年代の東京ごみ戦争において最大の焦点となった杉並区高井戸の清掃工場計画では、反対運動は候補地の選定過程が政治的に歪められていると主張していました。また、美濃部都知事(当時)が構想した新宿副都心清掃工場計画に対しても、地元住民や再開発に関連する大企業からの反対が生じました。ここでも、都が一方的に場所を決めて発表するという手続きへの不満が反対の理由の一つとして挙げられました。

その後、自区内処理原則は、1973年の第一次石油危機をきっかけとした高度経済成長の終焉、それに伴う財政危機とごみ量増加の鈍化のなかで、政策への影響力を失っていきました。しかし、1980年代後半のバブル景気の影響によってごみ量が急増したこともあり、1990年代に再び注目されることになります。当時、予定より早く既存の埋立場が満杯になると見込まれたことから、新海面処分場の建設が計画されました。これに怒りを募らせた江東区は、再び自区内処理原則の実現を目指す運動を開始します。それを受けて、東京都も1991年に清掃工場建設計画を公表し、自区内処理原則に基づいて一区一工場を目指す方針を掲げました。第二次東京ごみ戦争の勃発です。

▶反対期成同盟の“砦(とりで)”となった見張り小屋

(杉並正用記念財団『東京ゴミ戦争 高井戸住民の記録』から)

1990年代のごみ戦争においても、新宿区は汚水処理場と火葬場があることを理由に、自区内処理原則に消極的な態度を示しました。また、渋谷区では、1970年代に区民会議で候補地を決定した経緯があり、その場所と今回の候補地が異なったため、手続き的な正当性が問題とされました。

加えて、1990年代には、「発生抑制による公正」が自区内処理原則へのより根本的な対抗理念として登場します。減量/再利用の徹底によりごみ発生量を減らせば新しい清掃工場は必要ないという議論は、1980年代の目黒清掃工場をめぐる紛争の中でも反対運動から提起されていました。1990年代に入ると、ダイオキシン問題や循環社会形成を背景として、焼却処理に反対する立場から、自区内処理原則に基づく清掃工場建設を批判する声が大きくなりました。

2000年代になると、長引く不況と財政危機、ごみ量減少、広域処理の推進を受けて、自区内処理原則は政策から姿を消していきます。2000年の都区制度改革で東京都から清掃事業を移管された23区は、2003年に自区内処理原則を事実上放棄しました。2008年には、一区一工場に代わり、ごみ量のさらなる削減と補償金支払いによって区間の公正を担保する政策に移行していきます。未設置区に清掃工場を新設することで「公正」の達成を目指す自区内処理原則は、新たな清掃工場の必要性が否定されたことで、「発生抑制による公正」と「補償による公正」に道を譲ることになりました。

合意形成への示唆

以上の経緯は、ごみ処理場の合意形成に何を示唆するでしょうか。合意形成を社会的合意(政策についての社会一般的な合意)と地域的合意(施設立地についての地域の合意)に分けて考えてみましょう。

1970年代には、自区内処理原則について一定の社会的合意がありました。その背景には、高度経済成長期にごみ量が爆発的に増加し、埋立中心から焼却中心のごみ処理へ移行するために清掃工場新設が急務であったという事情がありました。1990年代になると、脱焼却主義と循環社会形成を背景とした「発生抑制による公正」が自区内処理原則へのより根本的な対抗理念として登場し、2000年代には自区内処理原則はごみ処理政策と齟齬をきたし、社会的合意を失っていきました。このように、ある「公正」の理念が社会的に受け入れられるかどうかは、社会経済的状況とともに変化します。自区内処理原則のように規範的には否定しがたい理念も、例外ではありません。社会的合意を形成するためには、その時々の社会経済的状況に照らし合わせながら、広く受容される「公正」を追求する必要があるでしょう。

また、自区内処理原則が社会的合意となっていたとしても、地域的合意が得られるとは限りません。特に、自区内処理原則は各区に清掃工場立地を求める一方で、各区内での場所の決め方、すなわち手続き的公正については何の指針も示しません。そのため、1970年代の杉並清掃工場計画のように、手続き的な正当性が大きな焦点になっている場合には、地域住民との合意形成は困難になります。結果的に杉並清掃工場は建設へ向かいますが、自区内処理原則に説得されたというよりは、反対運動に否定的な世論が喚起される中での、江東区による杉並区のごみ搬入阻止と美濃部都知事の土地収用手続き再開の決断という、圧力による部分が大きいといえるでしょう。地域的合意形成のためには、自区内処理原則のような結果の公正だけでは不十分であり、関係者が納得できるような決定過程の公正性が重要になります。

「公正」の捉え方は多様であって、施設紛争では何をもって「公正」と考えるのかが争点になります。いいかえれば、ごみ処理場をめぐる紛争は、多様な「公正」の存在が明らかになる機会でもあります。紛争をきっかけとして、広く市民のごみ問題への関心を喚起し、様々な立場からの「公正」の主張に耳を傾けることが、合意形成の第一歩となるでしょう。

【参考文献】

NAKAZAWA, Takashi, Waste and Distributive Justice in Asia: In-Ward Waste Disposal in Tokyo(Routledge, 2018)

中澤高師「東京ごみ戦争と自区内処理原則:江東区の戦略と立場」(政治経済学・経済史学会2021年度春季総研究会)

URL:https://researchmap.jp/7000011590/presentations/33188701

中澤 高師

施設立地紛争を中心に研究しています。 多くの政策領域において、関連施設の立地は避けては通れません。廃棄物処理施設、火葬場、刑務所、社会福祉施設、保育園、飛行場、新幹線、道路から、原子力発電所、あるいは風力発電などの自然エネルギー施設に至るまで、施設建設は政策目標達成のために「必要」とされます。その一方で、こうした施設の立地は周辺地域に大きな影響を与えるため、住民との紛争を引き起こします。 施設立地紛争は、政策や地域社会の問題・課題や矛盾が集中して顕れる場であり、社会的意思決定のあり方、リスク・コミュニケーション、科学コミュニケーション、地域社会の構造、公害・環境、差別・格差、住民・社会運動、自治、政策形成など、社会科学の重要テーマと密接に絡みあうフィールドです これまで、廃棄物処理施設を中心に研究をすすめ、PhD論文では東京都23区の自区内処理原則の立地政策への影響の変動を分析しました。最近では、浜岡原発、高レベル放射性廃棄物処分場、保育園紛争についても調査を行っています。 また、オンライン合意形成支援システムの開発プロジェクトにも関わっており、オンライン型と従来型の討論型世論調査を比較する実験の実施を計画しています。

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