人口奪い合いの先に地域の未来はない
安心して子どもを産み育てることができ、子どもが豊かに成長できる社会は、出生率の数字のためではなく、私たちの幸せのためにどうしても必要です。しかし、子育て環境を改善し出生率が上がったとしても、今後40年以上、日本全体の人口は減少します。人口の多かった団塊の世代ジュニアが高齢化し、子どもを生む世代の人口が大きく減ることも、その要因になっています(図)。
そんな中で「わがまちの人口減を小さく」しようと思えば「他のまちの人口減を大きく」してやるしかありません。結局、「地方創生」の掛け声のもと、自治体同士が人口の奪い合い=つぶし合いをやっている。こんな先に地域の未来はないでしょう。
現在の社会の仕組みは、右肩上がりの時代に、人口が増加し様々なものが拡大することを前提に作られました。「現在の社会の仕組みを維持したいから人口減を止めよう」ではなく、人口は減るのですから、「人口が減っても皆が幸せに生きていける持続可能な社会の仕組みへ変えよう」に転換して政策を立てることが重要です。
うまく小さくし、質を高める
持続可能な仕組みにするために多くの分野で共通するのが、「うまく小さくし質を高める」という視点だと考えます。
エネルギーも、火力や原子力で大規模に発電して広域に配る仕組みから、太陽光、風力、小規模水力、地熱、バイオなど再生可能エネルギーを地産・地消する仕組みに移行する。これをどこまで出来るかは、私たちの未来を大きく左右するはずです。
公共施設を例にもう少し詳しく見てみると、全国の自治体で高度成長期に集中的に整備された公共施設が、2020年代に次々と更新時期を迎えます。しかし、建設ピーク時に投資していた財源の多くは、今では介護や子育て支援などに回り、老朽化した施設を従来と同じに建て替えるのはまず不可能です。
そもそも、人口が減るのに公共施設が今まで通りでは地域の質は高まりません。公共施設の再編成が必要です。
◆周辺自治体との共有化
今までは市民も行政も、隣の自治体にある施設は自分の自治体にも欲しいと考えてきました。隣市に音楽ホールがあると、「わが市でも市民が熱心に音楽活動をしている。建設してほしい」と市民から要望が出され、行政も実現したいと考えました。これからは「隣市にあるなら一緒に使えばよい」と、発想を逆にする必要があります。
◆積極的な複合化・多機能化
もう少し小規模で各地区にあるような施設は、積極的な複合化、多機能化が必要です。とくに各コミュニティの中心にある学校は、徹底した複合施設にしたいと考えます。学校施設の一部開放といったレベルでなく、学校は子どもの施設という概念を捨て、福祉、文化、スポーツなどの「地域住民の総合拠点」と位置付ける。ただし子どもは一番大事で、最優先して中心に置く、というくらいの発想が必要だと考えます。
そのためには、学校長に管理責任を全て押し付けるわけにはいきません。私が千葉県我孫子市長だった時(1995~2007年)、構造改革特区制度に基づき、学校の管理者を平日昼間は学校長、平日夜間と休日は市長とする提案をしました。当時、国はこの提案を受け入れませんでしたが、これからは当たり前にならねばなりません。
◆民間との連携を柔軟に
住宅の絶対数が不足していた時代、行政が住宅を建設して低家賃で提供しないと住む所がない人が生まれる可能性がありました。だから公営住宅を整備しました。
現在、貧困の問題はあらためて深刻ですが、住宅数は充足していて、むしろ「空き家」が都市部でさえ問題になっています。行政が民間の賃貸住宅を借りて公営住宅として提供したり、低所得世帯に家賃補助したりすれば、公営住宅が老朽化しても建て替える必要性はありません。
これは極めてシンプルな例ですが、PFI(民間資金活用)の手法なども、市民の利益を基本に改革していく必要があります。
こうすれば、建物としての公共施設は大幅に減らしながら、地域の中で公共施設が担ってきた機能は維持し、質を高めていけます。
市民合意を作る方法を明確に
うまく小さくして質を高めるというのは、切り刻むことではありません。新しく創造するということです。切るだけなら首長や議会の決断で出来るかもしれませんが、新たな創造は、市民が納得し、皆で知恵を出さなければ進まないでしょう。市民合意を形成していく方法を明確にする必要があります。
やはり公共施設を例にすれば、これまで行政は、文化ホールについては文化ホールの利用者からだけ意見を聞いてきました。行政が市民全体から意見を求めても、その施設の利用者しか関心がなく、それ以外の人は意見を出さないからです。
利用者の声だけが市民の声になると、公共施設再編成に総論賛成でも各論反対になります。文化ホール利用者は「文化は重要であり文化ホールだけはさらに充実を」と主張し、体育館利用者は「健康づくりは重要だから」、福祉センター利用者は「福祉は大切だから」と、すべて同じ結論になるでしょう。
こうした構造の下で、行政は借金と国の補助金によって多くの公共施設を建設してきました(各サービスも同じ)。これからは文化ホールを1回も使っていない人も自分ごととして、納税者の立場で文化ホールの議論に加わることが不可欠です。
無作為抽出された市民で議論
その方法の一つとして注目されているのが、無作為抽出の市民による討議です。例えば「自分ごと化会議in松江~原発を自分ごと化する~」は、2018年11月から翌年2月まで、4回にわたり島根県松江市で開かれました(写真、現在はPart3を準備中)。
「自分ごと化会議」はシンクタンク構想日本がサポートし、これまで全国70以上の自治体で行われ、無作為抽出による参加者は1万人を超えました。ほとんどは行政が主催し、住民基本台帳からコンピュータで抽出します。
松江市では、全国で初めて市民の実行委員会が主催。市選挙管理委員会が公開する約17万人の有権者名簿を75人飛びに手作業で写し(コピーや撮影は禁止)、2217人を抽出しました。島根大学の学生ボランティアが力を発揮してくれました。
松江市の島根原子力発電所は、日本で唯一、県庁所在地にある原発ですが、東日本大震災以降は止まっています。稼働か廃炉かをめぐり、これまで原発推進の人と脱原発の人が、それぞれ自分たちの主張を繰り返してきました。一方で普通の市民は、原発問題に触れるのを避けるのが「まちの空気」でした。そんな状況を変え、普通に生活している市民が両方の話を聴き自分ごととして考えていく、その第一歩にしたいというのが松江の「自分ごと化会議」の狙いでした。
会議では、無作為抽出された市民の中から手を上げた21人プラス島根大生5人が、計4回延べ20時間にわたり話し合いました。無作為抽出なので参加者は各世代にわたりますが30代女性が一番多く、赤ちゃんを連れたお母さんも参加してくれました。
最初に、原子力リスクマネージメントの専門家が基調講演、続いて中国電力、「さよなら島根原発ネットワーク」など原発賛成2人・反対2人が問題提起。それを聴いて市民が話し合いました。毎回50~80人の傍聴者もありましたが、ヤジは一切なく、会場全体が真剣かつ和やかな雰囲気に包まれました。
4回だけで「稼働」か「廃炉」かの結論まで出すことは目的にせず、市民が原発を考えていく上で必要な条件や環境整備について提案書をまとめ、中国電力、松江市長、島根県知事、経済産業大臣へ直接手渡しました。
この会議で市民は、「原発推進と脱原発のどちらが正しいか」ではなく、エネルギーや原発との関係で「私はどんな社会で暮らしたいか」という議論をしました。「どちらが正しいか」なら、専門家の議論のほうがレベルが高いかもしれません。しかし「どんな社会で暮らしたいか」の議論は、市民にしかできません。
2回目の会議では、自営業の参加者から「原発が止まって地域経済が縮小している。何らかの手を打たねば」と提起がありました。また別の女性参加者から、「江戸時代、松江の最大の産業は行燈の燃料になるクジラの油の採取だったが、電気の普及で会社は倒産した。しかし今、それで失業している人はいない。長い時間軸で考えては」という意見が出ました。そこで3回目は「50年後の松江を想像して議論しよう」ということになり、人口推計などの資料も準備して議論。最後まで用意されたシナリオは全く無しで、生き生きとした話し合いが行われました。
見直し可能な柔らかい社会決定を
一般に、市民を賛成、反対、無関心の3つに分けがちです。しかし実際には、賛成反対の決まった立場は持たなくても、出来るだけ正確な情報を得て自分なりに考えたいという人が沢山います。この人たちが中心になり、賛成反対の両端の人を巻き込んで議論してこそ、社会的合意が生まれると思います。
島根原発への結論を出すときも、稼働を認めるにしても認めないにしても、様々な市民と行政、電力会社が信頼関係を作り、話し合った結果であることが重要ではないでしょうか。後になりその結論に問題があると分かった場合、信頼関係の下で話し合った結論なら、より良く修正するため、また皆で知恵を出し合えます。しかし、闘いで相手を打ち負かした結果の結論なら、勝者は問題点を認めると今度は自分が敗者になってしまい、何としても結論を守ろうとするでしょう。
信頼関係に基づいた見直し可能な柔らかい社会的決定こそ、原発に限らずこれからの私たちの社会に必要です(松江市がその後に原発再稼働の結論を出した過程は、残念ながらそうなりませんでしたが─)。
改めて求められる地方自治
右肩上がりの時代は、国の方針に乗ったほうがうまくいったかもしれません。例えば、公共施設を増やすには国の補助金を上手に引き出すことが大事でした(それが本当に良かったかは別ですが─)。しかし、人口減少時代に地域の質を高めていくには、地域の人たちが自らの頭で考えて創意工夫し、自らの責任で決定・実行していくしかありません。求められる質は地域によって全く違うからです。あらためて地方自治が求められます。
しかし現実を見ると、多くの自治体は国への依存が根深いと言えます。
2000年4月に施行された地方分権一括法で、国の府省庁からの通達は廃止されました。通達は、上位機関が下位機関に指示するもので、国と自治体は、そういう上下関係ではなくなったのです。それ以降、国が出すのは通知です。これはあくまで技術的助言で、強制力はありません。
それなのに、依然として国の通知に従うのが当たり前と考えている自治体が多いです。残念ながら地方創生の中で、「自分の自治体の市民が幸せになるには何をやらねばならないか」ではなく、「どんな計画を作れば国からOKが出るか」「どんな事業をやれば国が交付金をくれるか」と、市民ではなく国ばかりを見る自治体が増えてしまいました。
自治体は国より市民を見る
私が市長を務めていた我孫子市は、地方分権一括法とまさに同時に始まった介護保険で、厚生省(当時)と対立しました。
我孫子市で利用申請者の要介護度認定を進めていると、一次審査に使う厚生省のコンピュータソフトに問題があることが分かりました。要介護度によって介護サービスをどの程度使えるか決まりますが、厚生省のソフトでは、どんなに認知症が進んでいても身体が元気であれば、5段階の内、一番低い要介護度1にしかなりません。
しかし、体は元気でも認知症が進み夜一人で外出してしまうような在宅の方には24時間の見守りが必要で、一番大変です。そこで、医師などの専門家による我孫子市の介護認定審査会は、認知症が一定程度進んでいる場合は、コンピュータ判定が1であっても3が出たことにして審査会の二次審査を始めるという「独自指針」を作りました。
新聞がこれを大々的に報道すると、厚生省は「独自指針はコンピュータソフトを否定するもので、使ってはならない」と言ってきました。これに対し私はすぐ、記者クラブへ「厚生省のソフトに欠陥があり、独自指針は必要」というコメントを出しました。
すると厚生省は、全国の都道府県へ文書を出し、我孫子市のやり方は不適切なので他の市区町村が真似をしないよう、指導を要請したのです。
我孫子市でも大騒ぎになったのですが、私は断固として主張を貫くことにし、結局最後は我孫子市の主張が通りました。厚生省は「独自指針」を認める文書を出し直したのです。3年後には厚生省のコンピュータソフト自体が見直されました。
核心は自立の精神
介護保険は自治体の自治事務です。もちろん介護保険法に基づき実施しますが、コンピュータソフトの扱いは法令に出てこず、自治体の腕の見せどころのはずです。厚生省に独自指針を止めろと言う権限はないのです。
実はいちばん問題だったのは、我孫子市自身が、国から言われたら従うのが当たり前、という前提を頭の中に持っていたことでした。
私は市の介護認定審査会に出席して、「我孫子市の介護保険の責任者は、厚生大臣でも厚生省の老健局長でもなく我孫子市長だ。私は市長として皆さんの作った独自指針は正しいと判断している。市長が全責任を負うので安心して独自指針を使って十分な審査をしてほしい」と訴えました。
地方自治の核心は、自分たちのことは自分たちの責任で決めるという自立の精神です。これが無ければ何も始まりません。何よりも自立の精神を持った自治体政策を期待したいと思います。