岸田政権は、2022年春の通常国会で、経済安全保障推進法を成立させ、政令等で具体化を順次図ってきています。この経済安全保障法体制は、ひとことで言えば戦争の準備を経済面から進めるものであり、地方自治体とも深く関係しています。この面でも憲法と地方自治をめぐる危機が深化していることに留意しなければならない局面だといえます。
◎安全保障概念の拡張
軍事的安全保障に留まらない、安全保障概念の拡張論議は、じつは1970年代からありました。岸田氏と同じ派閥の先輩である大平正芳政権のもとで、田園都市国家構想とあわせて「総合安全保障」政策を打ち出したわけです。シーレーン防衛がこのときに始まりました。エネルギー、食料の海外依存が問題とされ、他方で技術立国論を提唱したことを覚えている方も多いかと思います。
◎今回の経済安全保障論議の出発点
今回の経済安全保障論議の出発点は、この石油危機直後の総合安全保障論と全く違うものです。エネルギー主権論も食料主権論も政府からは出てきていません。大平政権のときには、政府が農水省も入れて会議体を作っています。実はまったく違った文脈から経済安全保障論は出てきました。
安倍政権の下で2013年に国家安全保障法を制定して国家安全保障会議(NSS)を作り、2015年の安保関連法を制定しました。この流れの延長ではないかと、私は見ています。
2020年4月に内閣府国家安全保障局に「経済安全保障の司令塔」となる経済班を設置しました。これが大きなエポックです。そのトップに北村滋氏という人物(元国家安全保障局長)が座りました。菅、安倍内閣で使われた人物です。彼は公安警察出身です。
自民党サイドでも政務調査会の中に新国際経済秩序創造戦略本部が置かれ、その座長が甘利明氏でした。そこが20年9月に「中間まとめ」を行い、国家安全保障戦略を改訂し、その中に「経済安保」というものを盛り込みます。そして、菅政権下の2020年12月に本提言をまとめました。
それを受けた形で、21年10月の岸田政権発足後、初めて経済安保担当大臣(小林鷹之氏)を置くとともに、「経済安全保障法制に関する有識者会議」と「経済安全保障推進会議」を設置しました。その時に北村滋氏がブレーンとして公式に委員を務めています。退官して公式の委員として政策決定に参画するようになります。
そして、北村氏の国家安全保障論と甘利氏の国家経済会議(日本版NEC)創設論が結合して動いていくことになります。北村氏は、とくに軍事転用可能な 半導体技術の機密情報の国外流出に危機感を抱いたと書いています。また、米国と比較して日本の安全保障には軍事や外交があっても、「インテリジェンス=情報収集・分析と、エコノミ─(経済)が欠けている」と述べています(北村滋『情報と国家』中央公論新社、2021年)。つまり国民の情報を全て集約する、企業情報もそうです。こうした情報収集・分析能力が日本は米国と比較して極めて弱い。そしてエコノミー、軍事経済体制も弱いと。ここにターゲットを絞ってきます。北村氏は安倍政権から菅政権にかけて国家安全保障局長を務めて、特定秘密保護法、経済安全保障推進法、重要土地利用規制法に関与しました。日本学術会議会員任命拒否でも、中国と繋がっているグループを排除すべきだと彼は強く主張したと、別の場で語っています。
◎経済安全保障推進法の制定と具体化
岸田政権は前述の「経済安全保障法制に関する有識者会議」と「経済安全保障推進会議」の提言を受けて、2022年春の通常国会で、経済安全保障推進法を成立させました。
法律の柱は次の4つです(図参照)。
ⅰ 海外依存度の高い特定重要物資のサプライチェーン(供給網)の強靭化
ⅱ 基幹インフラの安全性・信頼性の確保
指定された施設設備や業務委託について事前届け出。これが自治体と直接関係してくる話です。
ⅲ 官民技術協力 半導体、宇宙、量子、AIなどについて軍民両用技術の開発促進。これを拒否したのがじつは日本学術会議です。邪魔なんですね。これを法制度的に固めようと画策しているわけです。
ⅳ 機微な技術の特許非公開 国の安全を損なうと考えられる特許について非公開にする。試験研究機関は自治体にたくさんあります。大学もそうです。機微技術と閣議で決定されれば、それを研究している人は家族も含めて監視状態に入っていきます。敵国とみなされている国に情報を流出させているのではないか、と常時監視するわけです。
こういうことができる法制を準備してきています。
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次に、ここにきて加速している経済安全保障政策の具体例を見ていきます。
今の法律は基本法として通しましたから、その後具体化の動きが2022年5月からどんどんでてきます。日米首脳会議で防衛費増額を口約束し敵基地攻撃能力保持を表明しました。併せて、米国主導の「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」への 参加表明を直ちに行いました。これが中国包囲網の外交・軍事同盟です。経済的な連携のように見えますが、実はTPPのようなものではなく外交・軍事同盟に国会にもかけずに入ってしまっているわけです。
そして2022年7月の日米経済政策協議委員会では、経済安全保障の観点から戦略物資確保の合意を日米間でやっています。9月にはさらに、経済安全保障推進法にもとづく基本方針と、先ほどのⅰとⅳに関わる基本指針を閣議決定しています。12月には特定重要物資として半導体以下11分野を指定しました。さらに今年の4月28日には前述のⅱとⅲにかかわる基本指針を閣議決定しました。ほぼガイドラインは揃ってきている状況です。
このとき、特定社会基盤(インフラ)役務をおこなう指定事業者の範囲が設定されました。
◯電気事業、ガス事業、水道事業、鉄道事業、貨物自動車運送事業、貨物航空事業、航空事業、空港の設置・管理事業、電気通信事業、基幹放送事業、銀行業・保険業。地方自治体直営のものも指定管理・民営化しているものもあります。いずれにせよ、自治体がカバーしているものがかなりあります。
◯道路、港湾、空港というインフラだけではなく、金融、情報、放送等の事業がすべて国家の指示下で統制下におかれていく。そして地方自治体や民間の利用が規制、侵害される可能性がある、という点でかつての有事立法より動員的性格が強いものになりつつある状況ではないかと思います。
これらは全てホームページ上で見ることができますので、「経済安全保障」というキーワードで検索してください。
◎何が問題なのか
では何が問題なのか、私なりに整理してみました。
①戦時動員体制づくりの根本的矛盾
まず、安倍政権以来の日米同盟を大前提にした軍事的な安全保障対策強化の一環として、経済分野を取り込んでいく動きを、岸田政権が継承し、具体的に実行しているという点です。
それは、従来の東芝、三菱、日立のような重厚長大の狭い意味での軍事産業だけでなく、情報系企業、コンサル系企業も軍事産業として取り入れ、国内外の企業に市場を提供していくということに走り始めているということです。
そして重点産業として位置付けられた半導体は、安倍氏、甘利氏、小林氏と利益共同体であるという側面をもっています。半導体戦略推進議員連盟というものが自民党内にでき、その最高顧問が安倍氏であり麻生氏でした。そして会長が甘利氏であり、統一協会問題で大臣を辞任した山際氏や、小林経済安保担当大臣もそのメンバーです。政府は、台湾の半導体メーカーTSMCの工場を熊本県に誘致するために5000億円弱の補助金を出すことを決めました。ただ、この工場は先端技術ではなく、自動車や家電向けの半導体生産だとされています。法の趣旨と違っています。もし仮に軍事的なものであれば、熊本県は軍事標的になるわけです。片方では利権、片方では経済安保名目での国費の投入が地域開発幻想を振りまきながら行われています。
私は大学院生時代から戦時動員体制下の国土政策も研究してきましたが、かつての戦時経済統制体制の再現という側面があります。ただ単純な再現ではなく、日米同盟の下での現代的再現です。ただし大きな障害があります。その一つが憲法です。憲法本体で地方自治体の権限が国と対等なものとされ、地方自治法もあります。したがって明治憲法下のように軍事体制を上意下達で一気に作ることができない。ここに大きな矛盾があります。
そこで、経済安保を「成長戦略」の一環だと位置づけて、財界幹部や自治体首長の支持を得ようと考えたのではないかと思います。しかし、財界内部では、矛盾があるわけです。経済安保を歓迎する業種とそうでない業種がある。とくに中国で活動している企業にとってはマイナスでしかありません。これに対してコロナ禍やウクライナ危機を国家的な危機だと位置付け直して、これに便乗しながらDX、GX重視ということで関係大企業に利益を分配しながら、なんとか改憲まで持ち込み、「戦争ができる国」の体制を作りきることに、岸田首相の目標があるのではないでしょうか。
②デジタル貿易協定と情報主権の欠如
対外的な話をしますと、東アジア諸国との緊張関係は必然的に高まってきています。WTOとTPPを締結する時には自由貿易体制を構築すると言ってきましたが、真逆なことをやっている。ブロック経済化なり敵対的な国際関係を作るということで 今は動いてしまっています。
だから信頼関係を失っているわけですが、ここでバイデン米国大統領が提唱するIPEF(インド太平洋枠組み)に加えて日米FTAの存在があることに注意したいと思います。2020年1月1日に日米間で自由貿易協定とデジタル貿易協定が発効しました。そこに重大な内容が盛り込まれてしまいました。日本側がAIとか様々なIT機器用ソフトを購入してそこで何かしらの間違い、齟齬があったとしても、日本政府は、─これには地方自治体も含まれますー米国の企業に対してそのプログラム、アルゴリズムの公開を求めることができない、という条項があるのです。これらは設計者の考えに応じて論理が組み立てられており、米国の企業が設計したアルゴリズムを日本の政府も地方自治体もチェックできない形でのデジタル貿易であり、これでは情報主権がないといってもいいでしょう。
③サイバー警察の設置と個人情報・人権
国内的には、警察法の一部改正案が2022年に国会で通ってしまいました。ここで置かれたのが国家警察としてのサイバー特別捜査隊です。これまでサイバー犯罪に関しては14都道府県警に対して認めていましたが、これでは国際的なサイバー犯罪は防げないということで国家警察が復活したのです。あの特別高等警察(特高)が廃止されたのは戦前の苦い経験からです。捜査権のあるサイバー警察が国家警察の中に作られました。
個々の人たちが誰とどういう情報のやり取りをしているかまでサイバー警察が捜査し、逮捕することまでできるわけです。自由法曹団が声明を出していますが、まさに「サイバー特高」といってもいいものです。
そういう中で、自由な研究、発表や情報発信を確保し広げていく取り組みが必要になっているのではないでしょうか。個人や企業の情報が、自治体警察の上に立つ警察庁のサイバー警察(公安警察)の監視対象になるということは、経営活動の自由を奪ったり(大川原化工事件)、土地所有に関わる制限を行ったり(重要土地利用規制法)、科学技術の(民生用と軍事用の両方につかえる)デュアルユースを推進するために学問の自由を侵す(日本学術会議会員の任命拒否問題)ことと必然的に結びつきます。個人情報の保護に関しても日本はもっとも遅れた先進国の一つとなっています。
そういう意味でいかに個人の人格権としての情報、データを守っていく運動を強めていくのかが大きな課題となっています。ヨーロッパではそれがとても盛んですが、日本はそれがまだまだです。これに対する注意の喚起が必要になってきていると考えるわけです。
今や国家が自治体を介在しながら、国民一人一人のデータを全て捕捉できる。やろうと思ったらコントロールすることもできる。そういうシステムに近づきつつあります。そこに民主主義や地方自治を入れ込んで民主的に改革し、基本的人権を守り、いかに発展させていくのか、ここが一つ大きな問題として浮かび上がってきています。
◎おわりに
─足元から未来を展望する
皆さん方、暗い気分になったかもしれません。少し明るい話で終えたいと思います。コロナ禍の下で、お金儲けが優先の惨事便乗型の動きがずっと続いています。そして国が地方自治体の上に立つ意思決定権と政策遂行権を持つべきだという動きも、地方制度調査会での議論の一つになってきています。けれども、いちばん大事なのは人間のいのちと人間らしい暮らしです。それを実現する動きも確実に存在しています。ただこれは、運動なしではできない。しかも運動があればそれができるという実例がコロナ禍で生まれてきました。
一つが2021年8月22日に、人口370万人を超える日本最大の基礎自治体=横浜市で、現職や総理大臣が推薦した候補を打ち破って山中竹春さんという無名の候補が当選しました。これはカジノ反対の3年にわたる区単位の運動と住民投票直接請求運動で様々な共同、連携の取り組みの蓄積によるものです。
そして昨年6月19日の東京・杉並区長選挙です。前区政への不満がいろんな分野で高まっていました。これに対して、住民との対話、公共の再生を重視し、女性を中心とした市民との連携を強めていこうという岸本聡子さんが候補になりました。街頭宣伝も自ら地面に座って住民の声を聞いてそれをすぐに政策に反映していくという運動をやった結果、区長に当選します。さらに今年の杉並区議会議員選挙で、共同街宣とか様々な工夫によって、投票率が高まり、女性の大幅な進出など議会構成が大きく変わりました。
さらに、昨年12月には、保坂展人世田谷区長が中心になってローカルイニシアティブネットワーク(LIN─Net)が結成されました。これは、地方から 伝統的既得権や新自由主義的な公的セクター解体ではなく、一人一人の人権と尊厳を大事にした命の政治に転換していくことを目標にした首長のネットワークです。この動きは日本だけではありません。岸本さんが参考にしているのは、スペインのバルセロナのコウラ市長です。インバウンド観光客向けの民泊がたくさんできた観光都市で、なんとか住民が住める街に再生しようと、水道を再公営化し、再生可能エネルギーを作る供給公社を市が作ります。さらに住民を追い出して空き家を作ってしまった開発業者に対して住宅と公共施設の付置を求める条例を制定する。個人情報に関しても、国家や大きな企業のものにしない。住民がみずから個人情報を確保しながら、意思決定に活用していくプラットフォームを作る住民参加型の予算づくりをしていく。
これらを通して、 を追求してきています。そして、これが世界的ネットワークになりつつあります。さきほどの杉並や世田谷の動きはまさにこれとつながっています。世界的な普遍性を持った、新自由主義的改革の矛盾あるいは公共を壊してきた問題を解決していくような地域住民主権による新しいかたちの革新自治体の姿があらわれてきているのではないかと思うのです。
【注】* フィアレス・シティ(恐れぬ都市):政府や大企業・投資家などがつくるルールの強制に抵抗し、地域主権と公共を再生し住民の暮らしを守ろうとする自治体。スペインのバルセロナ市が提起し、世界に広がりつつある運動。
今から60年前、当時の新しい課題としての公害問題を目にして、自治体労働者や議員の皆さん、研究者の皆さんが、共同で研究し、地域開発政策や自治体のあり方を変えていくことを目標に、この自治体問題研究所が作られました。住民の命を守っていく地域の運動の展開が、革新自治体の誕生と広がりに繋がっていったといえます。
さらに市町村合併の問題に関しても、地方分権の問題に関しても、それが住民の利益になるのかどうか、地方自治や地域経済の発展に繋がるかどうかをきちっと検証しながら、それに代わる政策案あるいはモデルを提示してきました。これは自治体問題研究所の貴重な財産です。
研究所会員という人の財産もあれば、いろいろなつながりの財産もある。そして様々な資料や刊行物も各地域研に残されていますし、全国研も持っています。これらを生かしながら、今の厳しい時代を乗り越えて、より良い時代に変えていくことができるということを、先ほどの事例は示しています。夏の自治体学校をはじめ、いろいろな学習、交流を通して、今後、70、80、100周年を目指して、自治体問題研究所が日本や世界の地方自治の発展にとって、確かな灯台としての役割を果たしていただくよう強く期待いたしまして、私の話を終えます。ご清聴ありがとうございました。(了)