全ての人の移動する権利を実現させるためには、計画に基づく交通政策が必要不可欠です。本稿ではフランスにおける交通権を踏まえた交通計画を取り上げ、その効果や意義を紹介します。
フランスにおける交通権の考え方
現代に生きる私たちにとって、交通は生活上欠かせないものです。衣食住のいずれも、交通なしでは十分なものにはなりません。自由に移動できなければ、働くことも学ぶことも困難です。
20世紀後半のフランスで交通に関わる基本法が制定され、この法律で国の交通関連の施策を、国民の交通に関わる権利を実現させる方針で進めていくことが定められました。これ以来、交通に関わる権利を全般に「交通権」と呼ぶことが増えました。
交通権は、人の移動する権利や交通手段を選択する権利、交通に関わる情報を提供される権利といった様々な権利を併せ持つ概念です。中でも、全ての人の移動する権利を実現させることは、自動車を自由に使用できない人や障害を持つ人といった、自由に移動することができない状態になることの多い人たちの移動機会を確保することにつながる、きわめて大切なことです。
フランスではこうした交通政策を実現するために、交通に関わる基本法を制定した後、それを実現するための方法の検討と実践を行いました。フランスにおけるこうした取り組みが、その後のヨーロッパにおける交通政策の基本になっています。そこで本稿では、フランスの交通計画が発展してきた経緯とその特徴、そして計画に基づいた政策が実現した結果として街がどのように変化したか、紹介していきます。なお、本稿における交通計画は原則として都市内あるいは地域内を対象とするものを指します。
フランスの交通計画制度
フランスでは1982年に国内交通基本法が制定され、国民の交通権を実現させる方針で施策を進めることが定められました。
この頃のフランスでは自動車の普及が進み、自動車があればどこにでも行かれるので、国民の多くが自動車で移動するようになっていました。そのため、各都市にあった路面電車のほとんどが廃止され、街の中心の広場は駐車場になり、自動車以外の交通手段で移動することがとても不便になっていました。このままでは、自動車を運転できない人は自由に移動することができなくなります。そうならないようにするために、当時のフランスではいくつかの都市で交通計画を策定し、その計画に基づいて鉄道やバスを走らせることで、自動車に乗らなくても移動しやすい街を作ることを目指しました。
しかし、当時は計画の作り方についての研究が進んでいなかったうえ、計画を実施するための資金も十分ではありませんでした。そのため、ナントやグルノーブルといった都市では交通政策がうまくいったものの、それは例外的な成功事例で、多くの都市では交通計画の策定もできないまま、交通の状況はよりひどくなっていきました。
その後、1996年に制定された大気及び資源利用の適正化に関する法律に基づいて、国内交通基本法における交通計画制度が大きく変更されました。このとき、フランスの都市交通計画は人口10万人以上の都市圏で策定が義務づけられ、また、計画目的として「自動車交通の削減」が明記されました。そして、交通計画の作り方に関する検討が国の交通研究所で行われ、計画策定のマニュアルが公刊されました。
これをきっかけに、公共交通機関や自転車利用を充実させる交通計画が、フランスの各地で次々に策定されるようになりました。
交通計画の策定主体と実現方法
フランスの交通計画は、行政側の交通担当部局が作成します。フランスに限らず一般的に、都市の交通に関わる施策は行政側の責任で進められます。フランスでは基礎自治体の合併が進んでいないので、複数の自治体を統合した方が効率的な政策分野については、広域連合や広域組合を組織して政策が実施されます。交通もこうした分野の一つですので、広域連合が交通計画を策定するのが一般的です。したがって、フランスの交通計画は多くの自治体を包括したものとなります。
フランスの広域連合は自治体とは別に組織され、議会も予算も独自のものになります。この広域連合の中の、交通を担当する部局が交通計画を策定し、そこに記された施策を実行します。交通を担当する部局は他の部局と大きく異なり、独自の財源を持っています。交通税あるいは交通負担金などと訳されるこの財源制度は、交通計画の対象地域に所在する一定以上の規模の企業などに対し、給与総額を課税標準として、その1~2%程度を徴収するものです。つまりフランスでは地域の企業が、その経営状況が赤字か黒字かに関わらず、一定の金額を交通の財源として負担しているということです。
この制度の背景として、フランスの公共交通は原則として全て赤字であるということが指摘できます。フランスの鉄道やバスなどは、乗客の支払う運賃・料金だけでは赤字となるため、行政側による支援なしに運行することはできません。したがって、フランスの交通事業者は各地域で契約を結び、一定の条件のもとで補助金を得て路面電車やバスの運行を行っています。そのため、交通担当部局の側では運賃収入とは別の確実な収入源が必要なのです。
この交通税制度があることで、フランスの交通計画に記された施策は財源の裏づけを持つことになります。したがって、交通計画の実現可能性が非常に高くなります。交通税の税収は、赤字の公共交通機関に対する補助や、交通施設の整備費などとして用いられます。
しかしフランスの交通税は、全国に共通で適用される制度ではありません。交通税を適用するかどうかは、それぞれの都市圏の判断に委ねられています。ある地域では交通税が課されているのに、隣の地域では交通税の負担はない、ということが制度上あり得ますし、実際にそうしたことになっているところがいくつもあります。そうした状況になりますと、税負担のことだけを考えれば、企業は交通税が課されない地域に立地するのではないかと思われますが、興味深いことに実際には、交通税の課されている自治体からそうでない自治体へと移動する企業はほとんどないそうです。なぜなら、交通税を負担しても、その地域の交通が便利になれば仕事面でも雇用の面でも有利だからです。
このようにフランスの交通計画は、地元のことは原則として全て地元で解決するという枠組みになっています。交通税による収入だけで全ての交通政策を実行できるわけではありませんが、足りない分のほとんどは一般財源から支出し、国からの補助金に頼ることは原則としてありません。
交通計画の構成と策定方法
さて、フランスの交通計画はどのような内容を持っているのでしょうか。計画は、将来像を示し、そこに至る前のプロセスを明らかにするものです。将来像を描くには、まず現況の把握が不可欠です。したがって交通計画を策定するには、まず都市の地理や交通状況などを調査し、その特徴や問題点を明らかにする必要があります。フランスの交通計画では、この現況分析の後、都市の将来ビジョンを実現するための長期的な目標と、その目標を達成するために必要な施策を提示します。
都市の将来像は「ビジョン」として定性的に示しつつ、そのビジョンが実現している状況というのがどのようなものか、定量的な数値目標も設定して、そうした目標をどのように実現させていくかを考えます。たとえば「移動に自動車を利用する人の割合を50%以下にする」「交通事故による死者をゼロにする」といった目標が考えられます。
そのために必要な施策は、さまざまなものが考えられます。たとえば「一定の料金を払うことで、都市内の公共交通を一日乗り放題とする」「都市の中心部に立地する駐車場は、どのような場合も必ず料金を徴収する」といったことが考えられます。その中から地域の実情に合ったものをいくつか選び、計画として明文化し、実行していくのです。
こうした施策は、専門家や関係者だけで検討したり決定したりすることはありません。全ての交通計画は、住民全員のものです。したがって、計画策定の過程では住民が自由に情報を把握し、意見を言ったり議論したりすることができます。一方、計画を策定する側には、情報の提供や住民の意見聴取の義務があります。そのため計画策定側は、検討中の交通計画について住民の理解を深めてもらうために、ニュースレターの配布や意見交換会の実施、さらには、実施計画の中に路面電車の新規整備のような住民生活に対する大きなインパクトがあるものが含まれる場合は、たとえば本物と同じ大きさの路面電車の模型を公園などに置くなどの、様々な方法を用いて住民の意識を高める努力をします。
計画は最終的に議会が承認することで効力を持ちます。議会における議論に際しては、事前に計画についての住民意見を収集し、第三者の専門家がこの住民意見を参考にして計画全体の評価を行う文書を作成します。議員はこの文書を予め読むことで計画に関する理解を深め、議論したうえで議決を行います。議員は万能ではないので、全ての議案について完璧な知識を持ち合わせているわけではないので、重要な件についてはこうした文書を作成することで理解を深めてから意思決定することが法的に定められているためです。
こうしたプロセスを経てフランスの交通計画は策定され、実行に移されます。計画の中には、策定後の交通状況の把握(モニタリング)や事後評価に関わることも記されています。交通計画は作って終わりではなく、施策を実行することで目標が達成できたかどうかを確認するところまでが計画です。評価の結果として、計画通りとなった項目とそうでない項目を取りまとめ、計画期間が終わるまでに次の計画を作るか、あるいは計画の修正を行うかを決めていきます。
フランスで何が起きたか
交通計画に基づく政策がフランスの各都市圏で行われるようになったことで、それまでの自動車優先のまちづくりは180度転換されました。都市中心部では、それまで片側2車線ずつあった道路が自動車通行禁止となり、路面電車と自転車、歩行者だけに開放された空間になるところが多くなりました。車道を減らし、歩道を広げ、バス専用レーンや自転車道を新設しました。
一方で、郊外の道路網の整備も進められ、高速で安全に運転できる道路が増えました。物流上のこともあり、自動車を全面的になくすということはできないので、自動車のない安全な地域と、自動車で快適に走行できる地域を区別しているのです。フランスには中心部の百貨店や商店街と、郊外のショッピングセンターの両方が存在します。住民は状況により、複数の選択肢から目的地や交通手段を選ぶことができるのです。
フランス東部、ドイツとの国境に位置するストラスブールでは、交通計画の制度が確立する前の1994年に、中心部を通る路面電車を開業させました。自動車に乗らなくても速く安価に郊外から中心部へ移動できる路面電車は、多くの人に利用されるようになりました。また、中心部の自動車の走行を禁止したことで空間としての魅力が増し、多くの住民や観光客が訪れるようになりました(写真1)。
地方でこのような優れた事例が増えただけではありません。首都のパリでも自動車の削減に一生懸命に取り組んでいます。大通りの車線を半分に減らし、バス専用レーンを設置してそこをバスと自転車に開放するようにして、バスの走行速度が上がって便利になりました。それに自動車の走行が減ったことで大気汚染も改善されています(写真2)。
日本への示唆
本稿ではフランスを事例に、交通権を踏まえた計画の実態について述べてきました。最近ではフランスの取り組みをもとに、ヨーロッパ全体で「持続可能な都市モビリティ計画」と呼ばれる考え方に基づく交通計画が策定されるようになっています。この考え方は、財源の確保方法を除けばほぼフランスにおける交通計画の考え方と同様です。
日本でも公共交通計画の策定が努力義務となり、実際に交通計画を策定する自治体が増えました。フランスと比べると、日本の交通計画は現況把握が精緻で、数値目標が具体的という傾向があります。一方で、フランスほど財源が充実していないので、計画の実現が困難になったり、目標を高く設定できないといった問題も抱えています。複数の自治体を統合した交通計画もあまり多くありません。
日本の交通計画も、交通権の考え方に則った目標を掲げているものが多くなっています。フランスのように計画の成果が目に見えるようになるためには、財源不足の解消、つまり必要な費用を誰がどのように負担するかについての議論が不可欠です。フランスの経験からは、不足する財源を国に頼らず、地方が自ら確保できるようにすることこそが、今の日本で最も必要なことではないでしょうか。