国連人権理事会の作業部会は神宮外苑再開発を例に、日本の環境アセスにおける住民協議は不十分で人権に悪影響があるとしましたが、この問題をあるべきアセスの観点から具体的に論じます。
都市の公園緑地と人権
都市の公園緑地は、自然の中で人々が憩うだけでなく都市気候を緩和するなど、重要な都市施設であり、市民誰しもが享受できるよう公共主体が提供しています。とりわけ、都心部では貴重で、私有地であっても都市計画公園に位置付け、公共空間としています。神宮外苑も大半が都市計画公園として維持管理されてきましたが、不透明な形で再開発の対象となり、都条例の環境アセスメント(環境影響評価)を経て2023年2月、一部の工事が始まりました。
これに対し、2023年6月、国際影響評価学会(IAIA)日本支部はアセスの問題点を指摘し、都知事に勧告を発し、9月にはイコモスがこの再開発に対しヘリテージ・アラートを発出。さらに2024年3月、アセスの一連の問題点に関し日本弁護士連合会からも会長声明が発せられました。続いて5月、国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会(以下、国連WG)が、この再開発は人権に悪影響を及ぼす可能性があると指摘しました。国連WGは基本的人権の観点から弱者やマイナリティの人権侵害にも注目しています。
国連WG報告はパラグラフ57で日本の環境アセス制度の不備を指摘し、住民との協議が不十分だと懸念を示し、一例として神宮外苑再開発を挙げました。これに対し、日本政府は意見書(Comments by the State)を提出。この再開発は法令に従い進めており問題はないとパラグラフ57の削除を求めました。しかし、国連WGはアセス制度のあり方を問題にしたもので、政府意見は的外れです。
都市公園の開発は、次の2点で人権と関わります。まず、生活の質(QOL)の観点から、世界では環境権や文化享受権は重要な人権と捉えられています。わが国でも憲法第25条で生存権を保障し、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」としています。市民には、そのための重要な都市施設である公園緑地を享受する権利があります。その喪失や削減は人権侵害になり得ます。
もう一つは、人々の意見が適切に計画に反映されたかということで、これは民主主義社会の基本的な権利です。神宮外苑再開発では不十分な情報公開のまま、地域住民はじめ多様なステークホルダー(利害関係主体)の声はほとんど無視されてきました。貴重な公共空間である都市公園を再開発に使うには、開発用地の土地利用規制の解除や緩和が必要となりますが、それには住民との丁寧な協議が不可欠であり、十分な情報公開は必須です。
環境アセスメントの役割
環境アセスメントは、開発行為が及ぼす負の影響を最小限にし、より良い計画にするための手段ですが、神宮外苑再開発計画ではこれが機能しませんでした。国連WGは、日本のアセス制度はステークホルダーの捉え方が狭く、不十分な情報公開、参加の場で「意味ある応答」がされていないなどと指摘しています。
環境アセスメントは事業や計画、政策など、人間行為の与える影響を事前に予測評価して、それらの影響を回避、低減するためのものです。影響の回避も低減も困難で、事業や計画のメリットが大きいので実行する場合は、やむを得ず代償措置を講じます。この意思決定はアカウンタブルなものでなくてはならず、透明性をいかに高めて行くかが基本的な課題です。そのために、科学性と民主性が必要となります。
科学性とは再現性のあること、すなわち、誰が確かめても条件が同じなら同じ結果が得られることで、この検証に情報公開は不可欠です。データの信頼性はデータ取得手続きの標準化と作業の透明化により担保されます。影響への配慮を適切に行うには信頼性のあるデータに基づき、誰もが納得しうる方法で影響が予測されなければなりません。再現性が保証されて初めて、人々はその情報を信頼でき判断の根拠にできます。アカウンタビリティとは単なる説明責任ではなく、証拠(アカウント)に基づく説明責任のことです。
民主性とは、人々の意向が民主的な形で計画の意思決定に反映されることです。どのような土地利用にするかは人々の意向が反映されなければなりません。また、影響の評価は主体によって異なります。安全性や健康性などに関わる評価は専門家の判断が重要ですが、利便性や環境の快適性、歴史・文化など地域の個性は評価主体によって異なります。従って、影響評価には多様なステークホルダーの価値判断の反映が必要です。
そこで、地域住民はじめ多様なステークホルダーの参加が必須条件となります。参加の場は説明会だけでは不十分で、「意味ある応答」のされる議論の場が必要です。これが、国連WGが求める「意味ある協議」を生みます。
神宮外苑再開発の環境アセスメント
神宮外苑は世界でも稀有な、歴史的価値の高い文化資産です。1926年に完成しましたが、国有地に全国からの献金、献木、勤労奉仕で創られ、公費は一切投入されていません。国民の力で創られた世界に類のない公園であると、イコモスは判断しました。神宮外苑の樹木は100年前の全国の人々の思いがこもっています。まさにレガシー(遺産)です。日本の都市の多くは戦火を受け、樹齢100年もの樹木は少なく、首都東京に残された貴重な緑が神宮外苑です。
写真は絵画館前広場南端から南へ、イチョウ並木を観たものです。左2列の左(東側)は樹林帯で守られています。一方、右2列の右(西側)に樹林帯はなく、奥には景観にそぐわない高さ90メートルの超高層ビルが建ちます。現状でもこのビルは景観を阻害していますが、計画ではこのビルは2倍以上の190メートルビルに改築されます。そうなれば、一目で景観破壊だとわかります。並木の西側には、さらに高さ185メートル、80メートルの超高層ビルが建ちます。加えて神宮球場はイチョウ並木直近に移設するなど、巨大な開発です。事業者は三井不動産、伊藤忠商事、独立行政法人日本スポーツ振興センター、明治神宮の4者です。
この開発により、大量の樹木伐採やイチョウ並木の枯損など、多くの影響が懸念されます。事業者は緑地が若干増えるとしますが、実際は、現況と計画後の緑地の広さに大差はありません。むしろ、樹齢100年のものを含む高木を1000本近くも伐採し、若木に植え代えるため緑量は大幅に減少します。
都条例による環境アセスメントは2019年4月に始まりました。2019年4月~2021年7月が調査計画書段階(方法書段階に相当)、2021年7月~2023年1月が評価書案段階(準備書段階に相当)です。2023年1月20日、評価書公示を終え、13年間にわたる事業の一部が着工となりました。しかし、一連の過程で多くの問題を残しました。
神宮外苑再開発アセスに見る問題点
とりわけ、2022年8月には重要な問題が生じました。8月18日のアセス審議会総会で評価書案に対する答申が出されましたが、審議はなお不足とされ、異例の措置が取られました。審議不足なら本来、答申は出せませんが、評価書を確定させる前に内容について審議会で確認することとしました。ところが、答申後、同日公表された知事意見は「審議会としては今後の事業者の環境保全措置に継続的に関与することで寄与する」という曖昧な表現になっていました。
8月以降、12月末まで都は審議会での審議は一切行わず、事業者は評価書「素案」なるものを突然、12月26日の審議会総会に提出しました。しかも、審議会は素案を確認するのではなく事業者への単なる助言に変えられました。事業者は助言を受けたからと1月10日、早々と評価書を都に提出、20日には評価書が公示されました。
一方、評価書の科学性に大きな疑問を生じる事態が発生しました。1月25日に日本イコモスは記者会見を行い、評価書には数多くの虚偽報告があるとしました。1月30日に開かれた審議会総会では会長が事業者に反証を出すよう指示しました。ところが、事業者が説明をした4月と5月の審議会総会では、日本イコモスの専門家の出席は認められず、事業者のみによる一方的な説明で終わりました。これでは、科学的な判断は不可能です。
これは、アセスの根幹に係る深刻な問題です。日本イコモスで神宮外苑の生態系調査をしてきた中央大学の石川幹子教授は、事業者は一部のイチョウの顕著な枯損を評価書に記載していないと指摘しました。同教授はイチョウの生育状況の毎木調査を、2022年~2023年秋にかけて樹木医と共に実施しました。この結果、2022年秋には、著しく衰退している活力度D(活力度A~Dの最低ランク)のイチョウは1本であったが、2023年秋には4本に急増し、要注意(活力度C)が4本と、合計8本となりました。地球温暖化による猛暑の深刻な影響が疑われます。評価書のデータは2018年12月~2019年1月の調査と、古いものでした。貴重な最新情報が提供されたのだから検討すべきですが、都はこの情報を審議会に提供しませんでした。
D評価の木もC評価の木も西側並木にあります。西側並木と東側並木ではイチョウの健全性に顕著な差が認められます。並木の東側には樹林帯がありますが、西側にはありません(写真)。しかも、西側の枯損木には構造物が近接しており、枯損の要因と疑われます。温暖化が進むなか、巨大な神宮球場を移設すればイチョウ並木は危機に瀕します。
アセス制度の改善に向けて
本事例では情報公開の問題が特に大きく事業者から審議会へのデータ提出は遅れ続けました。評価書案は2022年2月以降、6回の部会審議を経て、8月18日の総会審議で答申は出ましたが、評価書は確定させないという異例の措置が取られました。審議不足の原因は、事業者から十分な情報提供がなされなかったためです。
参加の問題も大きいです。調査計画書に対する意見は72件も出されましたが、双方向での「意味ある応答」は行われていません。評価項目に、歴史的文化的価値や都市気候への影響、温室効果ガスの排出、災害時の避難リスクなど多くの懸念事項は挙げられませんでした。また、評価書案に対する意見も62件出され、加えて意見口述者は17名にもなりましたが、納得する回答は得られませんでした。都も事業者も消極的な姿勢のままでした。
神宮外苑再開発アセスでは、都の運用の不適切さだけでなく、制度自体の問題も大きいです。計画の大枠が決まってから始めるアセスでは、影響配慮のタイミングが遅すぎます。そこで、事業や計画の検討段階からアセスを開始できるよう、配慮書手続があります。神宮外苑再開発でもこの手続が行われていれば、早期からの対応が可能であったでしょう。都条例では計画段階環境影響評価の手続がありますが、民間事業は対象外となっており適用されませんでした。
この事例に見るように、消極的な情報公開や審議会での議論の無視といった不適切な運用、あるいは、データの誤りがあっても手続は先に進んでしまいます。これを正すには、異議申立や裁判など司法的な対応ができる制度にしなければなりません。
国際標準に適うべく、条約の3条件、「環境情報へのアクセス」、「意思決定過程における公衆参加」、「司法アクセス」に適う、制度整備が強く求められます。これらに関しては、SDGsの理念と環境アセスメントに関する拙著を参照ください。
*オーフス条約:国連欧州経済委員会(UNECE)で協議、作成された国際的な環境に関する市民の権利(情報アクセス・市民参画・司法アクセス)を保障した条約。正式名称は「環境に関する、情報へのアクセス、意思決定における市民参加、司法へのアストップ! 住民
【注】
- 国際影響評価学会(IAIA)日本支部(2023)神宮外苑再開発計画の環境影響評価に関する勧告.2023.6.15
- ICOMOS(2023)Heritage Alert: Immediate threat to the urban forest of Jingu Gaien, Tokyo, Japan, Press Release, 7 September 2023
- 日本弁護士連合会(2024)「神宮外苑地区第一種市街地再開発事業」に対する東京都環境影響評価条例の適用に関する会長声明.2024.3.14.
- Working Group for the UN Human Rights Council (2024) Visit to Japan: Report of the Working Group on the issue of human rights and transnational corporations and other business enterprises.
- 原科幸彦(2023)SDGsと人権─ジャニーズ問題と神宮外苑再開発.『私学経営』No.585, pp.2-3.
- 原科幸彦(2011)『環境アセスメントとは何か』岩波新書1301
- 原科幸彦(2023)「神宮外苑の環境はアセスメントで守れるか-日本の制度の効果と限界」『環境と公害』52 (3), pp.66-71.
- 日本イコモス国内委員会(2022)『緊急調査報告「神宮外苑いちょう並木」』
- 石川幹子(2024)「危機に瀕する外苑いちょう並木」『世界』No.979, pp.180-189.
- UNECE(1998)Convention on Access to Information, Public Participation in Decision-making and Access to Justice in Environmental Matters. done at Aarhus, Denmark, on 25 June 199
- 原科幸彦(2024)「SDGsと環境アセスメント-簡易アセスメントの導入が持続可能な社会への道を開く」『環境法研究』No.18, pp.85-111.