【論文】汚された水―PFASを追う 第6回 世界の潮流から取り残される日本のPFAS対策

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おそらく、PFASピーファス政策の歴史的な転換点と言っていいだろう。

4月10日、EPA(米環境保護庁)は飲み水に含まれるPFASピーファス(有機フッ素化合物の総称)についての新基準を発表した。PFOSピーフォスPFOAピーフォアはいずれも1リットルあたり4ナノグラムとして、目安である勧告値に代わり強制力のある規制値とした。単純に比べると日本の10分の1以下に引き下げたことになる。

世界でもっとも厳しい規制が打ち出された裏には、環境政策に後ろ向きなトランプ氏が再び大統領に返り咲く前に、との危機感があったことに疑いはない。

というのも、新基準の検討を進めていた5年前の苦い記憶が刻まれているからだ。アメリカの調査報道メディア「POLITICO」は2019年1月に次のような記事を配信した。

〈トランプ政権下の環境保護庁は飲料水中の有害な2物質を規制しない〉

記事では、保健福祉省の傘下にある毒性物質・疾病登録局(ATSDR)が示した新基準案をめぐり、環境問題を担当する行政管理予算局の高官から、トランプ大統領補佐官へ送られたメールの内容が明かされたのだ。

〈私たち(注:国防総省と環境保護庁)は、この数字を公表することがいかなる悪夢を生むことになるかをATSDRに認識させることはできない〉

結局、悪夢と呼ばれた規制(PFOSピーフォス7ナノグラム、PFOAピーフォア11ナノグラム相当)は見送られることになった。

その後、PFASピーファス対策を掲げるバイデン氏が政権を取ると、事実上ゼロでなければ健康への影響が避けられない、との評価が示された。負担増を避けたい水道事業者などからの反発を押し切り、測定機器で検出できる下限値に合わせて4ナノグラムに決めたのだ。

この日、発表された新基準はもうひとつある。PFHxSピーエフヘクスエス/g、PFNAピーエフエヌエー、PFBS、GenXという4種類のうち2種類以上の合計で10ナノグラムを超えない、とした。

GenXは、大手化学メーカー・デュポンのウェストバージニア州にある工場で深刻な汚染をもたらしたPFOAピーフォアの使用禁止にともなって開発されたものだ。この代替物質はその後、ノースカロライナ州の工場からも近くの川に排出され、川の水を飲んだ住民たちに健康被害が相次いだため、新たな規制対象に加えられることになったのだ。

PFASピーファスは1万種類を超えるとされ、一つの物質を封じても別の物質が次なる汚染をもたらす。それだけに、規制と開発の「イタチごっこ」に終わりは見えない。

それでも、アメリカでPFASピーファス規制が進んできたのは、それだけ深刻な被害が起きていることの裏返しとも言える。

昨年春、ミネソタ州で「アマラ法」と呼ばれる法案が可決した。法案の名称は、PFASピーファス規制を訴えながら、法案成立の直前に亡くなったアマラ・ストランデさんにちなんでつけられた。

アマラさんが生まれ育った町には、PFOSピーフォスPFOAピーフォアを製造していた大手化学メーカー3Mスリーエムの工場があり、地域の水道水が汚染されていた。かつて通っていた高校の近くには、3Mスリーエムが廃棄物を捨てていたという。

アマラさんは15歳のとき、肝細胞がんと診断される。肝臓切除や胸部切開など20回を超える手術を受け、回復の見込みがなくなった2022年、PFASピーファスの使用禁止を訴えるようになる。環境団体からの求めに応じ、州議会などで5回のスピーチを重ねた。

「私は、自分が悪いわけでもないのに、有毒な化学物質にさらされてきました。その結果、私はこのがんで死ぬのです」

アマラさんは21歳になる2日前に息を引き取った。その約2週間後、法案は可決された。

アマラ法により、ミシガン州では2025年までに一部の製品へ、2032年までほとんどの製品へのPFASピーファスの使用が禁止される。調理器具や食品包装容器だけでなく、化粧品、歯間ブラシ、おむつ、生理用品のほか、カーペット、ラグ、布張り家具も含まれる。また、PFASピーファスを使用する製品には表示義務も課される。

規制は被害のあとにくるーー。よく言われる言葉はアメリカでも例外ではない。先進的な取り組みは多大な犠牲の上に実現したのだ。カリフォルニア州やワシントン州など、少なくとも25州で規制が実施・検討されているという。

◇◇◇

環境対策先進地のヨーロッパではどうなっているのだろう。

国境を超えた欧州の16の報道機関が共同で進める「永遠の汚染プロジェクト」によると、Eとイギリスを合わせると2万3000カ所で10ナノグラム以上の汚染が確認されている。

欧州化学品庁(ECHA)は昨年2月、PFASピーファスを物質ごとではなく、グループとして規制する法案を示した。ドイツ、デンマーク、オランダ、スウェーデン、ノルウェーの5カ国による提案を受けて現在、検討が重ねられている。

〈すべてのPFASピーファスおよび、またはそれらの分解生成物の主な懸念は、非常に残留性が高いという水準をはるかに超えている〉

そうした認識のもと、規制の対象は、繊維製品・内装・皮革・衣料・カーペット、食品接触材料および包装、金属メッキおよび金属製品の製造、化粧品、消費者用製品類(洗浄剤等)、スキーワックス、フッ素化ガスの応用、医療機器、輸送、電子機器と半導体、エネルギー分野、建築材料、潤滑剤、石油と鉱業の14分野を想定している。

〈何もしないことによる社会的コストは、PFASピーファスの使用を禁止することによるコストを常に上回る。(略)PFASピーファスsの禁止を遅らせることは、健康や環境への影響からコスト負担を将来世代に転嫁することになる〉

こうした発想の根底にある予防原則では、住民側が有害の立証を求められるのではなく、企業や行政が無害であることを証明しなければならない。Eが例外つきながら全面禁止へ舵を切るかどうか。早ければ2025年にも結論が出るという。

この規制案をめぐり、Eは世界中からパブリックコメントを募った。全体で5642件のうち、日本からは2割近くを占めた。そこには企業だけでなく、経済産業省の名前もあった。

日本経済団体連合会(経団連)は1700字に及ぶコメントをホームページで公表している。

〈規制の対象は、経済、社会への影響を考慮しつつ、科学的根拠に基づくリスク評価によって、人の健康又は環境への影響が認められるものに限定するべきである〉

その主張は、さきに触れた予防原則にもとづくEとは根本的に異なる。

製造過程でPFASピーファスが欠かせない半導体産業では、北海道のラピダスや熊本のTSMCなどの工場が稼働に向けて動いている。経済界がPFASピーファス規制に後ろ向きなのは、経済安全保障にもとづく国家プロジェクトに位置づけられていることと無関係ではないだろう。

PFOSピーフォスは2010年、PFOAピーフォアも2015年までに国内で使われなくなったが、それまでどこで、どれだけ使われたのか。経産省は、使用していた事業者名さえ明かさない。すでに使われていないにもかかわらず、「競争上の地位を損なう恐れがある」という。

山下芳生・参院議員が調べたところ、PFOSピーフォスPFOAピーフォアを扱っていた企業は少なくとも43都道府県の200を超える自治体にあることがわかった。北は北海道から南は鹿児島まで、島根、鳥取、高知、沖縄の4県をのぞく全国に広がっていたのだ。

では、いったいどのように管理されているのか。

伊藤信太郎・環境相は、「リスクに応じた規制が講じられ、企業に対しても関係法令に基づく適切な対応を求めてきた」(4月21日、参院環境委員会)

というばかりで実態はわからない。そもそも、規制対象に位置づけられていないため放置しているに等しい。

◇◇◇

2024年度から、厚労省が担っていた水質管理業務が環境省に移管された。そのため、飲み水や地下水だけでなく、土壌や血液検査(バイオモニタリング)も含めて、PFASピーファス政策のほぼすべてを環境省が担うことになった。

しかし、これまでの対応を振り返ると、「健康影響については科学的な評価が定まっていない」と言って「知見の集積に努める」という常套句を繰り返す場面が目立つ。

たとえば、汚染が判明した地域での血液検査について、血中濃度がわかっても健康影響との因果関係がわからないとして、環境省は実施に否定的だ。

PFASピーファスによる健康影響として指摘されるのは腎臓がんや精巣がん、潰瘍性大腸炎、甲状腺疾患、高コレステロールといった疾病で、PFASピーファスを大量に体内に取り込むことによって特有の症状がでるわけではない。このため「21世紀の公害」とも呼ばれる。

血液検査に続く疫学的な調査によって追跡しなければ、健康影響は見えてこない。にもかかわらず、その入り口となる血液検査を封じようとしている。そのうえで、「これまでPFASピーファスにより死亡した事例は確認されていない」と繰り返しているのだ。

環境省の前身である環境庁が発足するきっかけとなった水俣病をめぐっては、公式確認から原因確定までにも12年かかり、患者の認定をめぐる争いは半世紀以上続いている。

その水俣病の教訓を、環境省はホームページにこう記している。

〈初期対応の重要性や、科学的不確実性のある問題に対して予防的な取組方法の考え方に基づく対策も含めどのように対応するべきかなど、現在に通じる課題を私たちに投げかけています〉

「予防的措置の広範な利用」は、1992年にブラジルで開かれた地球環境サミットで採択された「環境と開発に関するリオ宣言」のなかでも掲げられている。

〈不可逆的な被害のおそれがある場合には、完全な科学的確実性の欠如を環境悪化を防止するための(略)対策を延期する理由にしてはならない〉

環境省がPFASピーファス規制を実効性のあるものにするには、現在の「要監視項目」から「環境基準」に引き上げて、遵守義務を課すことが必要になる。

環境基準は水質基準に連動するため、水質管理をめぐる位置づけが焦点となる。現在の「水質管理目標設定項目」を「水質基準」のカテゴリーに引き上げられれば、暫定目標値にもとづく管理ではなく、基準値を遵守することが義務づけられる。

その意味で、7月にも開かれる「水質基準逐次改正検討会」から目が離せない。この場では、分類に加えて、数値そのものも議論されるが、現在の「PFOSピーフォスPFOAピーフォアの合計50ナノグラム」が据え置かれる公算が高い。

日本のPFASピーファス対策は世界の潮流から取り残されたままガラパゴス化が進むのか。分かれ道にある。

諸永 裕司

1969年生まれ。1993年、朝日新聞社入社。『週刊朝日』『AERA』編集部、社会部、特別報道などに所属。2023年に退社後、フリー。SlowNewsで「PFASウオッチ」を連載中。著書に『消された水汚染』(平凡社新書)、『沖縄密約 ふたつの嘘』(集英社文庫)ほか。

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