「誰でも」に寄せられる期待
政府は昨年末、保育所等を利用していない生後6カ月から2歳のすべての子どもを対象に、「月一定時間までの利用可能枠の中で、就労要件を問わず時間単位等で柔軟に利用できる」新たな制度、いわゆる「こども誰でも通園制度」の創設を決定しました。これまでは保育所・幼稚園いずれの対象にもなっていなかった2歳以下のすべての子どもたちが、地域の集団的な生活や遊びに参加する機会が開かれたわけで、大きな期待が寄せられています。
現在は100を超える自治体で「試行的事業」が行われていますが、2026年度から「子ども・子育て支援法」に基づく新たな制度(正式名称は「乳児等通園支援事業」)として全国の自治体で本格実施の予定です。岸田首相(当時)の意向でかなりの急ピッチで新制度発足となったため、まだ「試行的事業実施要綱案」(2024年1月)しか示されていません。ここではこの「要綱」の内容を素材に、以下の点を検討します。
①実施体制が「貧弱」なために懸念されている問題点は?
②既存の保育制度の充実発展ではなく、まったく新たな制度として立ち上げようとしている政府のねらいは?
制度の概要
こども家庭庁の「実施要綱」によると、この制度はおおよそ次のような枠組みでできています(ただし、現在実施されている試行的事業は、自治体間で利用時間や料金、人員配置などかなりの違いがあります)。
①保育所等に通っていない生後6カ月から2歳児のすべての子どもが対象、就労要件は問わない。市町村で認定を受けることによって誰でもこの制度を利用する資格が生じる。
②月10時間を上限に1時間単位で利用できる。その際、施設・曜日・時間帯を固定して利用する「定期利用」と、それらを随時自由に選択する「自由利用」を選べる。
③全国統一のICTシステムを立ち上げ、「自由利用」の際には、どこの施設にでも、利用の直前でも「予約利用」が可能になる。
④利用料は子ども一人当たり1時間300円を標準に各事業者が決める。それに加えて、子ども一人1時間当たり850円(障がい児の受け入れ400円加算)の補助があり、事業者の収入は1150円。
⑤「保育」の体制は、現在の「一時預かり事業」と同等で、最低2人を配置しなくてはならないが、保育士資格を持った保育士は必要人数の2分の1でかまわない。また、保育所等と一体的に実施し、他の職員から支援を受けられる場合には保育士一人体制でもかまわない。さらに独立した専用室がなく在園児との合同での形態も認められるなど、保育所や認定こども園等の保育より、かなりゆるやかな基準となる。
⑥試行的事業は市町村が実施主体であり、内容水準の確保やトラブル解決に市町村が直接責任を負っている。それに対して、本格実施の際には利用者(保護者)と事業者との「直接契約」の制度となり、市町村の「保育」に対する責任は大きく後退し、問題があってもその解決は事業者と利用者の責任になってしまう。
子どもの視点から考える─「初めて」の不安を子どもはどう乗り越えていくか
さて、一時預かりや乳児保育を経験したことのある多くの保育者が言っています。こんな制度が導入されたら、「初めての子どもは泣きっぱなしになる。保育士がかかりきりになれば、他の子どもを見る余裕がなくなる。保育の質が担保できない」と。
0歳後半ごろから、初対面の人や初めての環境への不安感情が強くなります。「人見知り」とか「8カ月不安」とか言われる時期です。こうした時期の保育所への入所は子どもにとって大きな不安が生じ、保育者にとっても一人ひとりの気持ちや個性に寄り添いながらの緊張に満ちた保育を強いられます。1歳、2歳になっても、入所時だけでなく、保育者が変わったり、子ども集団の構成が変わると、不安が高まり特定の保育者の後追いや気持ちの崩れが起こりやすい時期です。保育者との信頼関係が結ばれることによって、また友だちとの安定した心地よい生活を積み重ねることによってーつまり継続的で安定的な人間関係の構築を通じてーはじめて、その時期の成長にふさわしい経験を得ることができます。
「継続的で安定した関係」がどれだけ大事か
ところがこの制度では、この時期の子どもたちがとくに必要とする「継続的で安定した人間関係」の確立に対する配慮が著しく欠けています。月数回だけやってくるわけですから「初めての不安」を乗り越えるのがむずかしい。にもかかわらず資格を持たない保育者が担当したり、(専用室がないために)見知らぬ在園児との生活になったり、さらに「自由利用」の場合には何度も繰り返し「まったく初めて」にさらされることにもなりかねません。「来るたびに泣きっぱなし」ということもありえます。一人の不安や泣き声は他の子にも伝染します。「保育の質が担保できない」という訴えを政府は重く受け止めるべきです。
さらに心配なことがあります。それは保育中の重大事故に関することです。
全国の保育施設等での保育事故で亡くなった子ども(2004年から2022年の間に国の統計では228人に上る)のうち、0、1歳が全体の8割を占めています。しかも、その30%が預けはじめ1週間に、50%が1カ月以内に集中しています。家庭から社会的な場へという環境の変化は、子どもの健康や安全上の重大なリスクと背中合わせなのです(高齢者介護の場合も同じです)。
政府は、「専門的な理解をもつ人がいる場で、同じ年頃のこども達が触れあいながら、家庭にいるだけでは得られない様々な経験を通じて、ものや人への興味が広がり、成長していくことができる」と、この制度の意義を語っています。しかしこのような不安定で貧弱な「保育体制」では、子どもにとっては不安や戸惑いばかりが経験されることになりかねません。
保育者の視点から見ると?
次に、保育者の側からこの制度を検討してみましょう。
継続的で安定したかかわりを強く求める子どもたちを相手に、毎日異なるメンバーを受け入れながら、安全で心地よい集団生活を作り出すことはとてもたいへんなことです。この事業のあり方を議論している検討会においても、一時預かり事業を担当する保育者は「一般の保育者に比べて、緊張・ストレスを感じる時間帯が多い傾向」があると報告されています。それだけにこの制度を持続させるためには、専任の保育士を確保した上で、一般の保育よりもむしろ保育者の配置を手厚くする必要があります。
そのためには制度としての実施基準を引き上げるだけでなく、必要な保育士を確保する明確な方策が講じられなくてはなりません。現在、保育所等において全国的に深刻な人手不足が続いているのはよく知られています。2024年1月において、保育士の有効求人倍率は前年同月比0・42ポイント増の3・54倍で、全職種平均の1・35倍と比べると非常に高水準にあります。保育士不足の影響は深刻で、新規の受け入れ人数の制限や、一時預かり事業の休止を余儀なくされる例が少なくありません。
この制度の対象となる子どもの人数は1、2歳だけでも約62万人(2022年度の人口統計と保育所等を利用する子どもの人数に基づいて計算)、これは現在の保育所等の在園児の6割にあたります。必要となる保育士の人数計算はできませんが、「こども誰でも」と銘打つ制度を運営するには、まっさきに保育士不足問題の解決ー処遇改善と労働時間短縮を抜本的に進めるーに取り組む必要があります。しかし、現在の政府の方針は、保育士が足りないなら資格がなくてもできるようにすればいい、専任を確保できないなら通常の保育の担当者に兼任させればいいというまったく逆の方向を向いています。
政府のねらいは「保育の市場化」にあり
皆さん感じられたと思いますが、この制度は子どもへの配慮や保育条件の確保に「ちょっと不足」があるというより、根本的に、子どもの最善の利益や保護者、保育者のことを「そっちのけ」にしている感があります。とりわけ、こんなに敏感な子どもたちを対象にした、「全国どこでも、直前でも」予約利用できる「自由利用」方式を一つの柱にした制度となっている点に対しては強い疑念をもたざるをえません。もちろん、緊急の事態に対応できるような仕組みを設けるのは必要ですが、あくまで「定期利用」を原則にすべきです。
なぜこうした制度設計になっているのでしょう。その理由は、事業者が「その気になれば」、より多くの利用者を集めることができる制度ーつまり、営利を主目的とした事業者が参入しやすい制度ーにするねらいを政府がもっているからです。
「制度の概要」の箇所で述べたように、この制度は利用者と事業者の間の「直接契約」方式で本格実施されます。現在の保育所制度では、市町村が責任をもって地域の子どもを保育するという理念が確立しています。例えば、万が一事故が起こった場合、それが公立であろうと民間の施設であろうと、市町村が関与して、原因究明や監督や予防策を講じる責任があります。そうした市町村の関与・責任が大幅に後退し、問題があれば当事者のいわば「自己責任」となる、そういう意味で「こども誰でも通園制度」は保育所とはまったく原理を異にする「新たな制度」として発足するのです。
「市場化」か、「公共の民主的発展」か
この事業を実施する事業者に関する規制はとくに設けられていません。保育事業の経験がない営利事業者であっても、基準をクリアしてさえいれば、その参入を防ぐことはできません。
保育の分野に、「利益追求」の対象として企業に開放しようとする「市場化」政策が導入されようとしています。必要な規制や基準を緩和し、営利目的の事業者が参入できるようにすれば、政府支出を増加させずにサービスを拡大することができ、事業者間の競争によって質が保たれるはずだ、というのが「市場化=規制緩和」を進める「理屈」です。しかし、実際には質の低下が生じることが保育に関する国際的な研究でも広く指摘されています。同じような「市場化」がもちこまれた、障がいのある子どもたちの放課後デイサービス事業では、一部の営利的事業所において、職員の配置が手薄だったり行方不明事件が増加していたりという問題が報じられています。
保育や子育て支援には、利益追求や市場化は本来なじみません。
子ども一人ひとりの不安に寄り添い心地よい生活を作り出すには、大人がエネルギーと時間を惜しまず注ぐ必要があります。育ちにむずかしさを抱える子どもや家庭を支援することや保護者の孤立感を解消することが、この制度には期待されていますが、そのためには子どもや保護者の要求に応えてじっくり対話したり、かかわり方を工夫したり、他機関との連携を図ったり、契約の時間を超えた温かな働きかけが必要です。営利を追求する企業の目から見ると、入念な準備や打ち解けた語り合いや親身になった相談などは、補助の対象にならないなら「削減すべき無駄」ということになりかねません。
懸念や問題点ばかり挙げる結果になりましたが、2歳以下の子どもたちに社会的保育の場の必要性が広く認められるようになったという点では一歩前進です。「子育ては家庭だけで担うものではなく、社会的保育との両輪ですすめるもの」という時代がやってきました。焦点は、それを「保育の市場化」によって進めるのか、「公共的な保育の発展」を原則にするのかにあります。
「市場化」とは、保育を時間単位で切り売りするサービスへと変質させることです。言い換えると人と人との結びつきによって成立する温かなケアを、その結びつきを断ち切ることによって商品化することに他なりません。それは、子どもを育む社会的な資源を細らせることにつながります。そして商品化は、保育内容の一律化・標準化になじみやすく、そこに国による管理が強まる土壌があります。私たちは、この制度の導入を契機に、保育制度全般に市場化が拡大する恐れがあることにも注意する必要があります。
「公共的な保育の発展」には、人と人との温かで民主的な結びつきがいっそう発展するように、その土台となる物的基盤を整備する「国・自治体の責任」が明確にされなければなりません。その上で、保育を受けることはすべての子どもの権利であるという共通認識のもと、子ども・保育者・保護者、そして地域社会が参加して形作る、民主主義を原理とした保育制度を創っていくことが必要です。
【注】
- 1 政府はこの制度において行われる子どもたちの遊びや生活の保障を「保育」とは呼ばずに、「通園支援」と名付けている。保育所等の基準・条件よりずっと低い水準で制度化することを「正当化」するためにそうしているのだと思われる。しかし子どもたちに提供されるのがケアであり教育であるのは明らかで、わが国ではそうした実践をずっと「保育」と呼び続けてきており、またこの制度でも「保育士」の配置を求めているわけだから、表現は変えるべきではないと考える。そこでここでは括弧付きで「保育」としている。
- *なお、全国保育団体連絡会/保育研究所編『保育白書2024』(ひとなる書房、2024年8月)に掲載された諸論文、とくに逆井直紀、阿部一美、白石正久、伊藤周平各氏の論考を参考にさせていただいた。詳しくはこれらを参考にされたい。