私は、1970年代のはじめ、専ら米国政府に向かって「沖縄を返せ!」と歌いながら学生デモ行進に参加していました。ほぼ50年経った今、専ら日本政府に向かって「沖縄を返せ!」と謳いながら沖縄県辺野古争訟を支援しています。沖縄県民の基本的人権の保障、民主主義・地方自治、平和は、その根本のところで、日本国憲法の埒外に置かれてしまったままであることを忘れてはならないと思うからです。
2015年、故翁長雄志知事は、「辺野古新基地政策が唯一の解決策」とする日本政府に対して、「辺野古に新基地はつくらせない」と立ち上がりました。それは、自由・平等・人権・自治といった憲法が保障する理念・価値に対する沖縄県民の「魂の飢餓感」を克服し、「誇りある豊かさ」・「誇りある自治」を獲得するたたかいの始まりでした。そして、沖縄県民の「戦う民意」に支えられて、今も続いています。
元沖縄県知事・仲井眞弘多氏が行った辺野古沖海域の埋立承認に対する「取消」をめぐる訴訟は、代執行訴訟では和解ながら実質勝訴を得たものの、その後、国からの不作為の違法確認訴訟では「敗訴」しました(最高裁判決2016年12月20日)。埋立承認後の国の違法行為を理由とした埋立承認の「撤回」をめぐる訴訟では、国土交通大臣の審査請求に対する裁決において「撤回」が取り消され、この裁決を違法な「関与」として争った関与取消訴訟で「敗訴」しました(最高裁判決2020年3月26日)。また、国土交通大臣の裁決そのものの違法を理由にした裁決取消訴訟においても、「法律上の争訟」に該当しないとして却下されています(那覇地裁判決2020年11月27日)。
沖縄県が提起するいずれの訴訟においても、裁判所は実質的な審査を行うことなく、「門前払い」していることが「敗訴」の原因です。国の防衛政策に基づく新基地建設のための埋立工事といった、私人では不可能な埋立工事の承認であるにもかかわらず、沖縄防衛局が、本来国民の権利の保護・救済のための行政不服審査法の審査請求を、私人になりすまして乱用し、裁判所がこの「私人なりすまし」にお墨付きを与えたことが元凶です。
裁判所が、国の「私人なりすまし」を容認し、あるいは「法律上の争訟」に該当しないことを理由に却下することで実体審理を回避することは、裁判所の司法権の自主的放棄です。これでは、行政権に「法律上の争訟」の終局的解決を委ねることとなり、「法治国家なりすまし」になってしまいます。法治国家理念の崩壊を許してはなりません。
裁判所が国・自治体間の紛争を終局的に解決する体制が整わなければ、地方分権改革は永遠に未完のままで終わります。辺野古争訟は、裁判所が国家・社会の中で、どのような役割を果たすべきかという根源問題を提起しているのです。大浦湾の超軟弱地盤の存在が明らかになり、いよいよ沖縄県による埋立工事変更承認許可のゆくえが鍵を握る段階に来ました。もし県が不許可にすれば、国はまた裁判をするでしょう。沖縄県民の自治への絶望を希望に変えることができるのは、裁判所!あなたです。私たちは、ひとり沖縄の問題としてではなく、私たち自身の問題としてあなたの判断を注視しています。
*争訟:行政事件訴訟法に基づく行政事件訴訟のほか、行政不服審査法上の審査請求などの行政上の不服申立てを含むという意味。