法学の世界では、昨年11月25日に最高裁大法廷が60年ぶりに判例を変更し、大きな話題となりました。その内容は、23日間の出席停止処分という懲罰を受けた岩沼市議会議員が提起した訴訟を司法審査の対象としたものです。当然のことのように思われるかもしれませんが、除名は別として、それ以外の出席停止などの懲罰処分は、長らく司法審査の対象外とされてきました(最大判1960年10月19日民集14巻12号2633頁)。これに対して、前述の最高裁が、出席停止の懲罰が科されると、「議員としての中核的な活動をすることができず、住民の負託を受けた議員としての責務を十分に果たすことができなくなる。このような出席停止の懲罰の性質や議員活動に対する制約の程度に照らすと、これが議員の権利行使の一時的制限にすぎないものとして、その適否が専ら議会の自主的、自律的な解決に委ねられるべきであるということはできない」と判断して、司法審査の対象になるとしたわけです。従来の判例が裁判官全員の一致で覆ったことは、その判例の説得力のなさを明らかにするものでもあります。
この判例変更は、安易な出席停止の懲罰を防ぐ効果をもちそうです。しかし、「懲罰の性質や議員活動に対する制約の程度」に照らして、他の懲罰である戒告や陳謝も同様の扱いとなるかは明らかではありません。また、違法性の判断はこれからですが、23日間の出席停止は、同じ会派の議員が懲罰処分としての陳謝を行ったことについて、「政治的妥協」によるものと発言したことを理由にしたもので、懲罰に値するか疑わしく、明らかに重すぎると考えられ、議会が正常に機能していないことを示しています。
この事件の背景には、原告の主張にあるように、議会の多数派による少数派の抑圧があるように思われます。こういった事態は、私が住む愛知県内の、弥富市議会でも起こっています。市民オンブズマン活動をし、市に対して新市庁舎建設事業にかかわる2件の住民訴訟を提起して却下判決と棄却判決を受けた議員に対して、2020年9月23日に議会多数派によって多数決で議員辞職勧告決議がなされました。その後、名古屋市民オンブズマンから出された、議員や議員になろうとする者が、住民監査請求や住民訴訟を提起することが自由にできることや、議会外の場において、適法な手段で行政を監視し、是正しようとする行為を自由にできることを確認する決議を求める請願が採択され、多数派からお詫びの文書も出されています。しかし、対立が解消したわけではなく、なおも多数派が自らやそれが主導する自治体行政に対する批判を認めない姿勢は継続しているようです。弥富市議会の本会議録を読むと、辞職勧告決議が問題とする「オンブズマン活動」が何かを他の議員が質問しても、多数派の議員は、それを説明することなく、単に提案理由の全文を繰り返し読むといった不誠実な対応をしていることもわかります。
議会は、多様な意見を反映する場として、「討議」が重要です。岩沼市にも弥富市にも議会基本条例がありますが、その理念である「討議」が現実化しているようには見えません。裁判所が多数派の行き過ぎを是正するとともに、日常的な議会運営における「討議」の実現が必要で、そうした議会の活動に住民も関心をもたなければなりません。