近年の観光白書を見ると驚きます。観光で「どう儲けられるか」という記述が大半を占めます。観光白書は「どう楽しめるか」を書くものです。観光政策とはすぐれた自然環境や文化財、さまざまの風物に国民が接し、その行動が生きがいともなれるよう、国がすべきことを整えるものです。この悪しき姿勢により、コロナ禍のなかGoToトラベルが経済を回す切り札かのように登場し、コロナのまん延を助長してしまいました。
日本社会では自由に使える休日の少ないことが、国民の観光への意識や体験を貧しくしています。オーバーツーリズムの根本原因もここにありそうです。そこで想起されるのが、マルクスの物質代謝論です。斎藤幸平のベストセラー『人新世の「資本論」』でもふれられ、議論百出の『資本論』第3部第48章の記述です。人間性にもっともふさわしい物資代謝は「労働日の短縮が根本条件である」としています。観光を通じて考えると、物質代謝の攪乱と長時間労働の関係は日本社会の問題を如実に浮かびあがらせます。
1960年ごろから観光問題の重要性に着目してきた建築学者・西山夘三が、人間と地域の発達を観光の展開の中で考えてきたのは、この脈絡からです。拘束労働をはなれた人間の自由な時間の過ごし方、すなわちレクリエーションが人間自身をバランスよく発達させ、地域も豊かにさせるとしてきたのです。日課で散歩するにふさわしい近隣が整えられていて、週ごと月ごとには大緑地で休日を楽しむことができ、年に一度は豊かな自然環境や歴史都市の中で長期滞在の旅行ができる─こうした国土像を描いていました。
最大の物質代謝の攪乱は大気中の二酸化炭素を280ppmから410ppmにして、気候変動を起こしたことです。国土や都市の姿にも深刻な攪乱があります。長時間労働・長時間通勤が大都市圏を肥大化させ、多くの緑地や農地を喪失させました。人口減少時代に入ると郊外には荒れた団地やマンションが出現しつつあります。観光の観点からみると、もし自由な時間が長くてゆったりと観光ができるならば、対象物をつぶさに観察し興味をより深めることができるでしょう。あるいは無心になって長く佇むだけに時間を費やすこともできるはずです。長時間労働の社会では、悪い意味で手短に観光をしようとします。コマーシャリズムにのせられた観光では金儲けの餌食となります。そうした観光政策や観光産業は往々にしてすぐれた景観を損ねます。景観破壊とは物質代謝の攪乱の状態を視覚的にとらえたものだといっていいでしょう。
京都市は、国の観光政策と同様に、入込客数を増やすことを中心に政策を組み立ててきました。オーバーツーリズムの弊害に適切な対策を打たず、コロナ禍を経てもホテル建設にまい進しています。典型的な例は世界遺産仁和寺の門前のホテル計画問題でしょう。共立メンテナンスが京都市の後押しで建築基準法の規定の2倍もの床面積のホテルを建てようとしています。同社は中央労働委員会から不当労働行為により警告を受けている企業です。労働者の人権を尊重しない企業が京都の景観破壊に手を染めようとしています。
コロナ禍は、労働時間を短くし豊かな観光を実現するという日本社会の宿題を明らかにしました。