戦後の新憲法の下、各地の住民運動はさまざまな分野で展開され、今日の私たちの生活の基盤を築いてきました。とりわけ、公害反対や革新自治体の運動など、1960年代から1970年代には大きなうねりを見せました。
そうした運動のさなかで活躍された方々がご高齢となり、他界された方も少なくありません。運動の経験とともに、それらの方々が保有されていた資料も散逸してしまう状況があります。
自治体によっては、住民運動資料を地域資料として位置付けて、文書館や図書館で引き受けて保管されているところもあります。静岡県の三島市立図書館は「三島沼津コンビナート建設反対運動」に関する資料を、運動を担った故人から引き受けて保管し、閲覧に供しています。私も何度か足を運び、住民アセスの歴史に刻もうと調査しています。
民間では、公害資料館ネットワーク(事務局・公益財団法人水島地域環境再生財団内)に集う各地の公設や私設の資料館が公害被害者運動の記録などの保存に努めています。
法政大学の大原社会問題研究所(多摩キャンパス内)は、「社会労働問題アーカイブス」や「環境アーカイブズ」があり、民間資料を保管・整理して、公開しています。
私は昨年、住民アセスについて大原社会問題研究所で文献を調べていた折、美濃部都政における環境アセスメント条例の制定に向けた対話集会「環境アセスメントを考える~都民の声を条例案に」の報告書を見つけて、そこに記録されている対話集会(全3回、1978年)での58名の発言を読み、当時の東京が抱えていた環境問題やそれに立ち向かう人々の思い、そして海外の事例にも学びながらレベルの高い政策提言をしていることに驚かされました。
この条例案は、都議会自民党などの激しい抵抗により4回の継続審議ののち、鈴木都政により葬られ、国で検討していた制度を下書きにした条例にとって代わられました。
しかし、都民は、美濃部条例案による制定を求める直接請求運動を起こし、必要数の倍以上の32万2200筆を結集して対峙しました。
この条例案の基調となったのは、美濃部知事の諮問による「東京都における環境アセスメントを考える委員会」の答申でした。「代替案の検討」や「住民参加による事後監視」など、きわめて先駆的な内容です。
この答申を、私は大和田一紘さん(多摩住民自治研究所)からご提供いただいた資料から知ることができました。大和田さんは、当時環境分野での若手研究者として各方面から信頼を得て、公害・環境団体が推薦する委員として同委員会に所属していました。
先駆的な環境アセスメント条例案を生み出した運動のパワーは、1980年代半ばから道路問題などで広がりを見せる住民アセスの実践や、2001年前後の「都民がつくった東京都環境影響評価条例改正案」運動などに引き継がれていきます。それらは、これからの環境アセスメント制度のあり方を考える上での羅針盤となり続けることでしょう。
革新自治体とそれを支えた住民運動の経験に学ぶことは今も多くあります。その収集・保存と研究は自治体問題研究の重要な柱となるのではないでしょうか。