奪われてきた声を取り戻す

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 日本における自治的活動は現在、1960年代と比べれば後退していると言わざるを得ないでしょう。たとえば衆議院議員総選挙でみれば、1967年に約74%であった投票率は、2014年には約53%にまで減少しています。労働組合の推定組織率をみても、現在は16.3%にまで低下しています(厚労省2023年12月発表)。しかしこの労働組合組織率の推移をみてみると、1960年から1975年までの約15年間は30%台の前半で推移していたことがわかります。それがほぼ一貫して減少に転じたのは、1976年からとなっています。

 この組合組織率減少の原因には、文部省の1969年通達が影響していると、わたしはとらえています。この通達には、高校生の政治的活動は望ましくないものであり、「国家・社会としては未成年者が政治的活動を行なうことを期待していない」と書かれていました。実際にわたしが高校に入学した1975年にはすでに、生徒会は形骸化していたことを覚えています。この高校生の政治活動禁止通達は、高校生たちからことばを奪い、自治的活動の場を奪ったことが、現在の自治的活動の停滞につながっていると、わたしはとらえています。2015年10月に文部科学省が高校生の政治活動禁止通知を見直すまでの46年間、日本の高校生たちは声を奪われ続けてきました。ドイツやフランスなどでは逆に、高校生たちの参政権を拡大させてきたことと対照的なことでした。

 労働組合の組織率が減少し続けている中で、多くの職場には多忙と多忙感が蔓延しています。多忙の原因は、必要なところに必要な人が配置されない、あるいは身分の不安定な非正規職員が仕事を担わざるを得ない状況が続いているからです。また多忙感の原因は、職場で実際に起こっている事態とずれている決定が、現場に「下ろされてくる」ことで生じているように思われます。大学でも2014年の学校教育法改定以降、教授会は重要事項に関する審議機関ではなくなり、あらゆる決定がトップダウンで決められるようになってきています。教職員、学生・院生の声が大学運営に反映されず、職場には不合理な仕事が増えて多忙感が蓄積され続けているのです。多忙と多忙感が蔓延する職場に無力感がひろがり、自治的活動が後退しているのだとしたら、それは民主主義にとって深刻な事態と言わなければなりません。

 職場で実際に起こっているリアルな情報は、現場職員や地域住民のネットワークによってこそ集約されうるものです。トップダウンの決定では、職場で実際に起こっている事態を反映させることはできません。職場でのつぶやき、住民の暮らしから生まれてくる切実な声を集めて共有していくことができるのは、やはり下からの自治的な取り組みにかかっていると言えるでしょう。

 2015年からは選挙権年齢が日本でも18歳に引き下げられました。先の投票率の推移からみても、上昇傾向にあります。高校では「探究」学習の取り組みも広がっています。理不尽なことに対しては黙っていないで声をあげるための学びや経験は、自治的な活動が厳しい現状においても着実に蓄積されてきています。これらの学びと経験を大事にしていくことこそが、つぎの民主主義の時代をつくっていくとわたしは信じています。

 ※この原稿は、『全大教新聞』(2023年11月号)「労働組合のこれからのかたち(論壇)」を、加筆修正したものです。

荒井 文昭

だれが教育を決めているのか、決めるべきなのかを研究している(教育政治研究)。『教育管理職人事と教育政治』(大月書店、2007年)他。NPO法人多摩住民自治研究所理事長。

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