私は2023年3月に市役所を退職しました。在職終盤に気になっていたのは、市役所の窓口や日々の生活の中で住民と対話して感じたことを、事業や政策の立案に生かすことが少なくなったことです。業務の民営化や、直営の場合であっても職員の非正規化などで、公務の最前線である「対話する現場」を次々と失ったように思います。
一方で、業務に関する法改正や制度改正の際に、首を傾げることが多くなりました。しかし、そのことを共有できる職員も少なくなっていきました。自治体職員は、最終的には法等に従わざるを得ませんが、疑問に思うのと思わないのとでは、住民との関係は大きく異なります。
窓口ではさまざまな人に接しました。困難を抱えている人と向かい合う際、「私は現在そのような状況にはないけれど、それはたまたまのことで、その方は私のもう一つの人生を歩んでいるのかもしれない」とさえ感じました。私は一つのことから色々なことを想像してしまいますが、その立ち止まって考える行為は、組織の中でどんどん居心地が悪くなっていきました。職員が減る状況にあっても業務にはスピード、質、量が求められ、立ち止まっていられない現実が広がっていました。
暗い面ばかり書き連ねましたが、住民と協働して物事にあたるのは、やはり変わらぬ「喜び」でした。しかし投資的経費が枯渇し、発案の自由度が狭まるなど、自治体職員が置かれる状況は厳しさを増しています。「お金出さずに知恵を出せ」と言われても限界があり、若手職員の自主退職が増えているという報道には、ついうなずいてしまいます。
ではどうしたら喜びが得られるでしょうか。そのための「住民を主体とした、自治体職員、研究者などが自由に意見を言い合える自治研活動」だとしても、それ以前の問題として、距離が生じた住民と自治体職員の関係をどう再構築していくかが問われている気がします。自治体職員が外に足を一歩踏み出そうとする場合、業務についてどこまで住民に話をしていいのか、発言が問題になることはないだろうかなど戸惑いは多々あり、そもそも住民との協働の経験がない職員からすれば、対話の必要性すら感じないかもしれません。
住民と協働する最初の経験をどこで積むかは難しい問題です。まずは職場で話をする機会を増やし、次に外に目を向け同じ職種の人とつながり、それら内的な対話の中で、考えている方向性や内容に少し自信を得てはどうでしょうか。嫌なことも楽しいことも人と接するところから来るけれど、やはり住民との対話は楽しいと目を輝かせて語る先輩はいるはずです。自治体職員も住民であり、それらは明確に区分できるものではないという視点を習得することが、自治研活動の原点です。
住民の考えに賛同して行動しても、成し得ないことはあります。考え方がよくても財政的理由を盾に排除されることも想定されます。自治体にどうして「自由なお金」がないのか、どうすれば問題解決するのか、公費の使い道に目を光らせるだけでなく、自治体職員には禁忌とされているかのような政治の問題についても、対話を広げていくことが重要です。物事はすぐに動かなくても、目の前の小さなことを積み重ねていくことで職員と住民の関係は変わり、住民の公務への信頼を感じることは、働く最大の喜びとなります。